眩しい。網膜ごしに刺すような白さに俺は眉をひそめながら、こわごわと目を開いた。 自分が仰向けに寝転んでいることに気づいて、上体を起こす。草と土の匂いが鼻孔を満たす。見渡した広場は緑に覆われていた。 さんさんとした夏の日差しに手をかざす。血色のいい小さな子供の掌だった。手足のリーチも短い。俺はもう一度瞬いた。 「スタン?」 俺の知っているそれより幾分高い声。いや、それも確かに馴染みのあるものだった。声のしたほうへ振り向けば、木陰から懐かしい緑の帽子が現れた。 「スタン!探したよ」 小学生のカイルは頬をピンクに染めて、俺を助け起こすとにこりと笑いかけた。 視点が持ちあがってわかった。ここはスターク公園だ。 カイルの後ろから、幼い姿のカートマンが毒づきながら姿を現す。ケニーも、ぶかぶかのフードの下から変声前の声でもごもごと呻いている。 そのまま四人で団子みたいになって、汗をびっしょりかくまで芝生でそり遊びをした。帰り道にニューススタンドの新聞の、きっかり十年前の日付を確認する。 雑貨屋のショーウィンドウに映る俺はどこからどう見ても、八歳のスタンリー・マーシュだった。 頭には半分もやがかかったようで、小学生のテンションでふるまう自分にも抵抗はない。それでも確かに俺は、『十八まで生きた俺』の記憶を持っている。 上手く出来ているもので、二巡目なんだから勉強なんかもっとよく出来てもいいだろうに、その類の、自分の体験と直接関わってこない知識は粗方洗い流されてしまったみたいだ。 たとえば次の大統領が誰になるはずだったのかも覚えていない。世間を騒がすような規模のニュースにしたって、起こってから『そういえばこんなことがあった 気もする』という気分になる程度で、更にはまるで覚えのない事件のほうが多い。成程一つとして同じ未来は来ないのだろう。 以前の俺が、カイルとそういうふうになったのは、十三の年の冬だった。 自分の中の茹だりきった感情を持て余して、半ば強引にカイルに迫った。カイルは始めうろたえて、何ヶ月かのぎこちない期間を経て、俺の気持ちに応えてくれた。 だからきっと、俺から働きかけさえしなければ、俺たちは友達のままでいられるはずだ。 そうして俺は十四になった。二次性徴を迎えるとカイルへの焦がれるような気持ちは色濃くなったけれど、俺は強く自戒をした。 カイルの傍にいて、はしゃいで、ふざけあって。目交いの距離でカイルが、屈託のない顔で笑うのを見ると、俺は心の底からほっとする。俺は何を置いてもこれを守らなければならない。 こうして穏やかな日々が続いていくのだと、俺はそう思い込んでいた。 「寒い!」 玄関で迎え入れるなりカイルは吠えるように言った。俺は笑いながらカイルの手を引いた。 「コーヒーでいいか」 カイルをリビングに残しキッチンに入ると、後から声が飛んできた。 「ミルクたっぷり入れて」 ご所望の品を手にリビングに戻ると、カイルはテレビの前のソファに身を沈めていた。マグを手渡してやるとちびりと啜る。ソファの反対端に腰を下ろした俺は テレビのリモコンを手に取った。しばらくザッピングをしたけれどろくな番組がやっていないので、見もしないニュースチャンネルに合わせた。カイルは、まだ 寒そうに自分の肩を抱いている。俺は冗談まじりに腕を広げた。 「こっち来るか」 カイルはくすぐったそうにはにかんで、俺の胸に肩を預けた。 「うん」 今や一回り小さい背中に手を回す。温かい。こうしていると過去に戻ってくる前の、今はもう遠い、カイルの粘膜の熱さを薄ぼんやりと思い出す。セックスのと きこいつがどんなふうに俺を呼ぶのか、どれだけ吐息が甘いのか、どれほど近しくひとつになれるのか。みんな俺は知っている。こうして身を寄せ合っていると たまらない気持になるけれど、それでも俺はここで、一時的な欲望に負けるわけにはいかない。俺は今度こそ、カイルのスーパーベストフレンドになるんだ。 俺たちはしばらく無言でいた。聞いたこともない国の、世界遺産認定のニュースをぼんやりと聞く。腕を伸ばして空になったマグをテーブルに置くと、カイルが小さくつぶやくのが聞こえた。 「ねえ、スタン」 「ん」 半分体を捩ったカイルが、覗き込むように顔を寄せてきた。カフェラテの味の息。 「僕、スタンが好きだよ」 心臓が早鐘を打ち始める。俺はつとめて何でもないような表情を作った。 「うん?」 鼻先が触れるぐらいに近い。身を引く間もなく、唇にやわらかい感触が訪れた。 「こういう、意味で」 視界はカイルの帽子の緑で塞がれる。カイルはすっかり俯いてしまっている。好きだよ。這うように声が言った。 「スタンは?」 のろのろと持ち上げられた頬は、髪と同じぐらいに真っ赤に見えた。 「僕のこと、嫌い?」 さきほど俺のそれに触れた、赤い唇がうっすらと開く。 喉が無意識に鳴った。頭が、オーバーロードしたみたいに真っ白になって、びくとも動かない。 カイルの中に全てを埋めて、俺は呻いた。 「好きだよ」 吐き出すたびに、腕の中の体から強張りが溶けていく。 俺の腹の中に無数に沈殿したそれは、次から次へと際限なく口をついて出てきてしまう。何度伝えたって足りない。 お互いの鼓動が胸元でうるさい。この身体では初めて触れ合うのだと思えば、昂揚と焦燥が頭を駆け巡る。 「スタン、」 カイルの張り詰めた声が、汗まみれの胸を伝って震わせる。なんで今まで我慢が出来ていたのかわからないほどに、その響きは甘美だった。 俺の頭の、思考を司る部分が微かに嘆いている。また同じような結果になるのなら、何のために俺は世界を道連れに十年をやり直したんだろう? けれどその哀しさすらも熱狂に浸食されてしまって、今や俺に抗う術はなかった。 カイルとケニーがテイクアウトのレジに並んでいるのを遠目に、俺は目をあわさないまま、向かいに座ったカートマンに言った。 「今日さ、この後、四人で一緒にいたことにして欲しいんだけど」 カートマンは喉で犬みたいに唸った。 「またかよ」 黙っているのは嫌だと、早々にカミングアウトをして以来、シーラの風当たりは年々強烈さを増している。 バル・ミツバ以降は成人扱いだと、ユダヤ教の会合や青年会でスケジュールを埋められがちだ。門限も厳しいし、外出は許可制。俺と二人きりだと知れたらまず 許可が下りない。この年になって、小学生のころのバターズみたいに外出禁止になることも珍しくない。そうなったらもちろん通信機器だって取り上げられてし まうから、俺たちはどうしたって慎重にならざるを得ない。 ロミオとジュリエットみたいだ、とカイルは苦笑する。俺は上手く笑えているかわからない。 アリバイを作るためにケニーはまだしも、カートマンまで毎回、嫌々ながらも口裏を合わせてくれている。 「しかし、お前が協力してくれるなんて意外だよ」 カートマンが鼻を鳴らした。 「なんだそれ。チクってほしいのかよ」 俺が慌てて首を振ると、テーブルに肘をついて、明後日の方向へ顔を反らす。 「誤解すんなよな。ユダヤは嫌いだがそれ以上にあのビッチのやり方が気に食わねえってこった」 嫌がらせのためなら命を張れるようなお前がな。俺は小さく笑った。 「ああ、イライラする」 人差し指でかつかつとテーブルを叩きながら、カートマンは目を細めた。 「何度生まれ変ったって、俺はお前らが嫌いだぜ」 カートマンのせりふは、俺の心にちくりと棘を刺した。『何度生まれ変わったって』、逆らえないものがあるなんて、思いたくはないのに。 メールを一読して俺は血の気が引いた。カイルらしくもない文頭の小文字、断片的な文章にただならない気配を感じて、俺は指定されたスターク池まで車を走らせた。 駐車場に手荒く停め、ロックもせずに駆けだす。湖畔のベンチで小さくなって頭を抱えるカイルを視界に捉えて俺は叫んだ。 「カイル!」 カイルの肩がぴくんと揺れる。持ち上げられた顔は真っ赤だった。カイルはよろけながらも立ち上がり、俺のほうへと両手を伸ばした。 「スタン、ああ」 こんなに取り乱しているカイルを見るのは初めてだ。抱きとめるなり、身体からずるりと力が抜けた。 「落ち着け、どうしたんだ」 カイルは俺の体にしがみつくような形で地面に膝をついた。足元で薄く積もった雪の鈍い音がする。 「カリフォルニアに引っ越すって、ママが、」 水を被せられたように、頭がきんと冷える。 「そこで、ラビの紹介する許婚と会わせるっていうんだ」 シーラのことだから、首に縄をつけてでも連れていくだろう。 カイルはまだ十六だけれど、許婚のことだって脅しやブラフだとは考え辛い。もう話は相当煮詰まってしまっている段階に違いない。 「どうしよう、スタン」 俺は眉をひそめることしかできなかった。俺たちが未成年である限り、現実的な打開策はない。 俺の表情から考えを読んだのか、カイルは嗚咽を漏らし始めた。俺はただカイルを抱きしめた。軋むほどに強く。 噛みしめた奥歯がきりと鳴る。畜生、まただ。また俺は、こいつを泣かせることになってしまった。 |