love/sick/sucks10


「なんで、」
 俺にはカイルが何を言っているかわからない。押し戻された腕はまるで自分のものじゃないような重さでだらんと身体の横にぶら下がっている。
 カイルは俺と少し離れた位置に座りなおした。
「こんなこと、いつまでも続けられると思う?続けたって何の意味もない、発展性もない」
 発展、って。だって『スーパー』ベストフレンドは、それ以上にはなれっこないじゃんか。俺のせりふを待たずに、カイルは続けた。
「この狭い町のことだし、そりゃハイスクールを出るまではいいかもしれないよ。でもそのあと、僕ら二人に一緒にいる理由なんかないんだ」
 俺はそこでやっと、この話の行く末をおぼろげながらに察知した。全身を凍るような恐怖が捉える。どうにかしなきゃ。どうにかしてこいつの進路を阻まなきゃ。俺は反射的にカイルの手を取って訴えた。胸の前で握って、強く。
「なんでだよ、俺たち親友なんだから、スーパーベストフレンドなんだから、一緒にいられるよ」
「スタン」
 カイルは首を振った。君は、とゆっくり発音する。
「ハイスクールの間フットボールで活躍してスカラシップを取って、アイビーリーグに行きたいんだろ。大学で何を学ぶのか知らないけど、卒業したら独立して、就職するなりして、生活が落ち着いたら誰かと、その頃はウェンディじゃないかもしれないけど、女の子と結婚するんだろ」
 喉が勝手に上下した。
 それはアイビーリーグの辺り若干夢見がちではあったけれど、概ね俺の思い描いていた未来図だった。俺の、『正しい』未来図。
 カイルは今や汗ばんでいる俺の手をそっと離した。
「そこに僕はいない。僕は君に合わせて進路を選ぶ必要なんかないし、たとえ同じ大学に行ったとしても卒業後はどうしたって疎遠になる。就職先は西海岸と東海岸に別れるかもしれない。クリスマスカードのやりとりをして、同窓会で集まって。友達なら、それが普通だ。むしろ一年に一度しか会わなくたって変らず上手くやっていけるのが『親友』だろ?」

 一年に一度。あとの三百六十四日、俺はこいつなしで、どうやって生きて行けばいい?
 想像しただけで息が止まりそうで、俺は口をぱくぱくさせた。脳まで上手く酸素が行き渡らない。
「だって、指輪だって、」
 俺は左手を、結局カイルと同じ指にはめ直したそれを、強く握りしめた。拳の中でリングは温くて硬かった。だってこれは、これだけは確かなものなのに。
 カイルはもう一度首を振った。
「そのことでウェンディと喧嘩したんだろ。僕だって彼女が出来たら外してって言われるかも。それに僕ら成長期だよ。じきサイズが合わなくなるだろ」
 カイルの言うことはいちいちもっともだった。変らないものなんかなにもない。最後のよすがまで取りあげられて、俺は頭が真っ白になった。

「スタンがどうしたいのか、全然わかんないよ」
 カイルの声は責めるようでもなかった。奥歯がうまく合わずにかちりと鳴る。
「だって僕らの間には、『普通』じゃないことなんか何にもないんだろ。スタンはその『普通』を譲る気がないんだろ。はみだしたり、後指さされたり、リスクを抱えることなく、安全地帯にいたいんだろ?」

 表面張力が弾けて、頬を涙が伝う。後から後から、せり上がってくるそれで視界が歪む。もう俺はカイルがどんな顔をしているのかもわからない。
「泣いたってだめ」
 カイルの声は強かった。俺はこいつが、こうと決めたら梃だって動かないことを知っている。俺がいくらマウントを取ったって、こいつは一度だって負けを認めたことなんかない。そういう奴なんだ。
「どうしたらいいんだよ、」
 自分の声は割れて震えていた。
「わかんないの? ほんとに?」
 カイルの指が俺の頬を拭う。子供をなだめる時みたいな声が耳に届いた。
「あんなにセックスしたのにわかんないんだ?」

 俺は唾をのんだ。唾と一緒に、何かひどく重苦しく、長らく、胸のあたりにつかえていたものがようやく落ちるのがわかった。俺は気付かないふりでいた。もうずっと蓋をしていた。

 こいつは、カイル・ブロフロフスキーは、
 だまし討ちや誤魔化しや、子供っぽいわがままなんかで手に入るような人間じゃない。そんなにちゃちじゃない。
 ほんとに彼が欲しいのならば、それこそ俺の持ってる全てのカードを引き換えにするぐらいの覚悟が必要だったし、増してや下らないプライドやバカバカしい保身を抱えたままで、いつまでも繋ぎとめられるわけもなかったんだ。
 カイルにはそれだけの価値がある。他のどんなものよりかけがえがない。それを、俺は誰よりわかっていたはずなのに。

 俺が頭の中で洪水と闘っている間にも、カイルの目は辛抱強く、静かに輝いていた。わだかまった言葉はなかなか出てきてくれなくて、俺は喉から声を出すのに腐心した。
「れ、の、傍にいてくれ、ずっと」
 顔を覆ってしまいたい。でも目を反らすことは赦されていないような気がして、俺はやっとのことで絞り出した。
「友達として、じゃなくて、恋人、として」
 ラヴァー、という言葉のくすぐったさと、身に余るような重さに、自分の輪郭ががたがたになっていくような錯覚がする。カイルの返事を待つ間、内側からハンマーで叩かれているみたいに頭が痛んだ。
 カイルは眩しそうに眼を眇めると、ふと笑った。
「じゃあ、今日から僕ら、スーパーボーイフレンドだね」
 胸が膨らんでいっぱいになる。バルブの壊れた蛇口みたいに涙が出てきた。堰を切って溢れた感情は複雑すぎて俺は名前をつけられなかったけれど、それは安堵と喜びに似ていた。
 俺はカイルを強く抱きしめて泣いた。あんまり泣くものだからシーラが様子を見に来てしまったぐらいだった。俺はそれでも泣き止めずに、カイルが肩越しに大丈夫、とジェスチャーするのに任せた。


 そのあと晩飯に招かれて、明日は土曜日だから泊っていきなさいよというシーラの勧めに、俺は有り難く甘えることにした。
 シーラがママに電話してくれたのだけれど、寝袋を持ってきてもらうか聞かれて、俺はカイルと顔を見合せて笑った。いらない、と答えて、俺たちはダイニングテーブルの下で手を繋いだ。そのうちママたちにも説明しなきゃいけない。今の俺にはそれすらエキサイティングなイベントに思えた。

 その夜は触れあうだけのキスをたくさんして、抱き合って眠った。
 俺を時折襲っていた焦燥感みたいなものが今や、嘘みたいに落ち着いているのがわかった。
 カイルが俺と一緒にいてくれるなら、この世に怖いことなんか何もないような気分にさえなる。