「カイル!」 インダストリアルのラウドビート越しに突き刺さってくる怒鳴り声に、僕は身体を硬直させた。驚いてイヤホンプラグを耳から引っこ抜く。回転椅子を回せば、すぐ後ろに肩を思い切り怒らせたスタンが仁王立ちになっていた。 「お前のせいだ」 勝手に部屋に入ってきておいてなんだよそれは。誰もいないからって無断でここまで上がってきたのかよ。 僕がぽかんとしている間にもスタンは罵声を浴びせてくる。 「ばか、カイル、ふざけんな、ばか、俺の、」 いきなりまくし立てられて、僕は目を白黒させた。まずもって状況が把握できない。 「俺の、」 そこで言葉に詰まったように肩の間にがくりと頭を垂れる彼に、僕は椅子から立ち上がる。 「スタンの?」 落ち着かせようと肩に回した手は振り払われた。スタンの顔は真っ赤で、目はすっかり潤んでいる。ぜいぜいと苦しそうな息を吐くから、僕はスタンの小さなころの持病であるぜんそくのことを思い出して心配になってしまう。居心地の悪い沈黙の後、ようやく掠れた声が耳に届いた。 「俺のバージン、奪いやがって」 「はぁ?」 僕は信じられなくてスタンの顔を覗き込んだ。 「逆だろ?スタンから押し倒してきたんじゃないか」 僕はきっぱり訂正した。僕のせりふを待たず、その場に座り込んだスタンはカーペットを力まかせに拳で殴った。今家に誰もいなくてよかった、と、頭の冷静な部分で思う。のろのろと傍に膝を下せば、スタンの唇が、まるで誰かの死を伝えるような深刻さでもって震えた。 「クレイグが、男同士だって初体験にカウントするって、」 僕は耳を疑った。こいつは何を言ってるんだ?呆れて呻く。 「そりゃ、するんじゃないの」 スタンは顔を上げると、噛みつくような勢いで怒鳴りつけてきた。 「知ってたらしなかった!」 ブルーの瞳は明らかに憤りに燃えている。なんて言い草だろう。頭に血が上ってくるのを感じた。 「ああ、わかったよ。スタンは何もかも僕が悪いってことにしたいんだ」 顔を歪めて、思い切り嫌味を込めて言ってやる。それだけの権利が僕にはあると思う。 「じゃあそれでいいよ、もうたくさんだ。でもいくら責められたって僕は時間を巻き戻したりできないんだ。お生憎さま」 僕は立ちあがり、スタンを見下ろして睨みつけてやった。 「八当たりが一通り済んだなら帰れよ」 スタンは座り込んだままでいる。もう付き合ってられない。その場から離れようと踵を返すと、腕が下方にぐいと引っ張られた。 「逃げるな」 スタンが低く唸る。 「はあ?」 僕の不機嫌な声にも関わらず、腕はもっと引っ張られて、僕はとうとうバランスを崩した。悔しいけどスタンの方が力があるから、僕は床に縫い付けられてしまった。 「カイルのせいだ、カイルの、」 この期に及んでまだそんな口を聞くなんて。僕は叫んだ。 「離せよ!」 スタンはまるで聞いちゃいない様子で、僕の耳もとに熱い息を吐く。酔っ払ってるみたいだと思った。酔っ払っているのならまだ許してもあげられた。 「俺がこんななっちゃうのも、みんなカイルが、」 内股に当たるのはよく知った昂ぶりだった。スタンに的確に弱いところを押さえられて、強張っていた全身の筋肉がゆるゆると弛緩していく。 「やめ、スタン、」 僕の抗議は乱暴なキスに阻まれた。がちりと歯がぶつかり合う不愉快な音。背中でカーペットが固い。ベッドですらない。何でこんなところで。自分の責任を僕になすりつける最低男に、抱かれなきゃいけないんだ。 パンツだってろくに脱がさないで、スタンは僕の尻たぶにむき出しのペニスを押し付けてきた。使い慣れたハンドクリームの匂い。濡れて粘ついた感触。 お腹が熱い。性感のせいだけじゃない。 スタンが腰をゆするだけで、パズルのピースみたいにぴったりはまりこむそれ。ほどなくゆるやかな律動が始まる。僕はせめてもの抵抗に、スタンの下唇に強く歯を立てた。滲んだ血の味がして、僕は血に催吐性があるとなにかの本で読んだことを思い出した。 スタンは僕に噛まれたことなんか気づいてもいないみたいで、僕の口腔を舌で探り続ける。血の味はすぐに唾液に混ざってしまう。 口の中に吐きだされる、スタンの荒い息。僕を呼ぶ熱っぽい声。 「う、ああ」 溜息を吐くみたいな、スタンの切なげな喘ぎが、僕の鼓膜に響いて、僕の思考を飛び越して身体じゅうに快楽を伝達する。 僕は怒ってる。こんなに怒ってるのに、 僕はスタンを突き放せない。 「スタンはクズだな」 ケニーは煙草をくわえたまま、不明瞭な声で言った。僕は心の底から同意をする。そうだ。スタンは屑だ。 「バージンブレイクの責任がどうのなんて運悪く一回でホールインワンした女の子にしか許されない言いがかりだよ」 「ホールインワン?」 ケニーはお腹の前から両手を突き出すように丸みを描いたので、僕は渋い顔になった。ケニーがスタンをクズと言ったコンテクストに若干の違和感を覚えつつも、そこはあえて追求しないでおく。 「一本ちょうだい」 ケニーは眉を少し上下させて、ポケットから角の折れたハードケースを取り出した。ケニーは貰い煙草ばかりをしているから、中にはばらばらの銘柄が入っている。僕はフィルタに緑の線が入ってるやつを探してつまんだ。 くわえたそれをケニーの口元に近付ける。火先を合わせて、何度か小さく吸い込めば僕の煙草の先も赤くなった。 服が臭くなるから普段はやらないけど、このメンソールのスーっとした匂いは嫌いじゃない。鼻に抜けていく薄荷に少し涙腺を刺激されて、でも僕は決して泣きたいのじゃなかった。 スタンは屑だ。それなら僕はどうなんだろう。 僕とケニーの吐く煙の末を眺めながら、目を眇めた。校舎と曇天の色に溶けていく白。 僕はもういい加減に、身動きが取れないほどにこんがらがっている、自分のなかの紐をほどかなきゃいけない。 |