瞼を上げても視界は真っ白で、奈落に放り出されたみたいな心細さが体を襲う。 ぎしりと首を回し、右手の先にトシを確認してやっとほっとする。彼の頬を影が覆っているのを見るだに、まだ夜は明けていないらしい。 彼を起こしてしまわないようにそっと手を握る。甲の肌触り、筋の膨らみ、もうきっと他の誰とも間違えないくらい、この手はトシの形を覚えこんでしまった。 トシには頼み込んで一緒に寝てもらっている。 トシがいないと自分が寝ているのか夢の中なのかすら覚束ない。 こんな毎日があと何日続くのかと思うと、おかしな鳥肌が背筋に這う。 俺には詳しく言わないけれど、まだ当分解毒剤は手に入らないようだ。目処も立っていないらしい。それくらいトシの表情でわかる。 行動範囲が狭まり、できる運動だって限られているから、ひととおりの日課が終わればやることもなくなる。所用でトシが席を外す、数分の隙に押し寄せてくる 寂寞は如何ともしがたい。時間は砂のようで、数分が数時間にも感じられる。 夕飯の膳を下げに来たのは山崎らしい。 トシの口調から推察して名前を出す。 「山崎、なんか言ってたか」 「おやすみなさいってさ」 そっけないトシの返事にぶらさがる。もう少し話が聞きたい。 「他のみんなは変わりはないか」 「ぴんぴんしてるぜ。ああ斉藤が風邪引いたとか言ってたけど」 「そうか」 みんなの顔が見たい、喋りたい。なんか俺だけ死んじまったみたいだ。 トシがいなければそれとあまり変わりはないのかもしれない。 そう考えたら、吐くまいと思っていたため息が漏れてしまっていた。 「俺、戻れるのかな」 トシは少し不機嫌そうに唸って、顔を逸らした。 「ばかいってんなよ」 そのまま向こうを向いてしまいそうなのを引き止めたくて手首を掴めば、動揺したようにぴくりと強張った。 「あ、いやだった、か、」 伸ばした手をひっこめると、トシはちょっと驚いたような表情になって、それから、 「あんたらしくもない」 とふきだした。 俺は口を尖らせる。 「仕方ねぇじゃんか。だって俺にはトシしかいなくて、」 臆病にもなる。べたべたして嫌がられたりしたくない。 だってトシは俺にとって、この世に垂らされた、 「たった一本の命綱だものな」 思考に割り込んだトシの声にびっくりして目を瞠った。 「そう、」 俺の考えていたこと。なんでわかるんだ。 目を丸くしているとトシはふと目元をほころばせた。笑ったような声が云う。 「おれなんかもう、ずっとそうだ」 後にも先にも、あんたしかいない。 打ちのめされて俺は息を呑んだ。遅れてじくじくと厭な鼓動が這い上がる。 眉根に力を込める。俺はトシの気持ちをわかったつもりでいて、これっぽっちもわかっていなかったんだ。 やさしく凪いで、この上なく絶望的な。こんなに残酷な世界に、お前はずっとひとりでいたのか。 伸ばした指先は震えていた。 情けなさを振り払うようにトシの腕を掴む、強く。 「やめろよ」 宥めるような響き、諦めきったような声音に哀しくなった。 こいつは俺に何の期待もしていない、 何も望んじゃいけないと、きっと俺がそう思わせてしまった。 トシがはっとした顔になって、ぎこちなく首を傾げる。 瞬きが濡れて重い。それでようやく俺は自分の頬を温かいものが伝っていることに気づいた。 憐憫とやるせなさがないまぜになったようなものが腹の底から押し上げて、後から後から涙が溢れる。鼻水もついでに出てきてしまったようで俺はグズリと啜っ た。 慌てて周囲を探り、ティッシュを抱えたトシが鼻に薄紙を当ててくれた。 「ばかだな、泣くことないだろ」 何度も首を振った。こんな哀しみを俺は知らない。 こいつの過ごした孤独を思って息が詰まりそうになる。想像ですら辛くて頭の芯が痺れる。 苦しさに耐えかねて、俺は目の前のトシを抱きしめた。 腕の中の身体は少し怯んで、それからため息を吐くみたいに云った。 「よせよ、」 勘違いしちまうだろ、と自嘲するのに、俺は掠れた声で噛み付いた。 「しろよ」 どんなせりふもきっと言い訳じみた付け焼刃になる。 こいつの心をすぐに融かしてやれる言葉なんかどこにもない。 だから今は、それに頼るしかないのだろう。 「勘違い、してくれ」 身体をそっと離す。正面から向き合った瞳は戸惑ったように揺れていた。唇をよせて啄ばむ。退ける腰を抱き寄せ、深く歯列を割る。 「ふ、」 喉元に手をやれば、人差し指でひくりと喉仏が跳ねた。そのまま着流しの胸元を割る。 鎖骨に歯を立てると鼻に抜けたような声が漏れた。 「うあ」 臍までを丁寧にキスで埋める。俺の襟足を掴む手から抵抗がだんだん消えていくのがわかる。 そろりと指を潜らせれば既に兆しはじめている下着の膨らみ。下半身とは裏腹に、見上げたトシの眉間には深く苦悶の皺が刻まれていた。 「だめ、だ、」 首を竦めて何度も振る、強情な仕草がやるせなくて、宥めるように背中をさする。 それから耳元で低くささやく。 「考えんな」 自分でも随分酷いことを言っていると思う。 「俺だけ見てろ」 きし、とトシの奥歯が鳴った。 両手を背中に回してやると、簡単に倒れた半身に覆いかぶさる。 手探りで下着を剥がし、やわらかく握る。上がった嬌声ごと飲み込んだ深い口付け、震える舌の根に夢中になる。くじれば跳ねる、トシの身体はきっと感情に忠 実だ。 「こん、ど、さん」 俺を呼ぶ擦り切れた声、潤む目元を愛おしいと思う。 めちゃめちゃに握りこんだ幹はあっけなく弾けて、掌の中でみちみちと鳴っている。 俺は興奮しきった自身をトシの内股に擦り付けた。もどかしく下穿きを下ろせばお互いのぬめりが擦れて酷い音を立てる。 脳髄を突き上げる様な快楽に追われて、咥内を甘く吸って噛んだ。 「ン、う」 二度目の射精を迎えてトシの身体から力が抜ける、その隙を見計らって俺は自分の腰を割りいれた。ぐずりと粘膜同士が密着して、先端で感じる温みにいまにも 達してしまいそうだ。 「ひ、」 抵抗を割り裂き、退いては進め少しずつ埋め込んでいく。締め付けの強さに歯を食い縛りながら、それでも奥まで到達した。 荒い二人分の息を鼓膜とは遠いところで聞く。合わないキーがやっと嵌ったみたいな、奇妙な充足が俺の脳髄を満たしている。 「トシ、」 名前を呼べば体内がどくりと蠢く。握りっぱなしの器官が戦いた。 「んあァ、あ」 すすり泣くような喘ぎに緩やかに腰を揺らしだす。 汗で額に張り付いた前髪を舌でどける。寄せられた眉、湿った目尻を辿って下ろした唇で唇を探った。 トシの口の中は火傷しそうに熱くて、それが身のうちの燠火を連想させる。 こんなに熱かったら燃えてしまう。そんなばかなことを考えて、俺は腕の中の身体をきつく抱いた。 090208 |