「おーす」 間延びした声をかけられ、アルコールで重たくなった頭をぼんやり回せば、同じく六割がた出来上がったゴリラが、のしのしとでかい歩幅でこちらに近づいてくるところだった。足元でいくつも椅子を蹴り飛ばしているけど、酔っているからか気にもかけていない。明日の朝ぜったいソレ青あざんなってるぜ。ご愁傷様。 「ゴリラくさいのが移るんでこっちこないでくれますゥ」 裏声を出してみるけれど、 「仕方ねーだろ、席ねーんだもん」 構わずゴリラはおれの隣に割り込んできた。図体がでかいもんだから押されて左膝が壁に付く。 店のはしっこに添えつけられている古臭い型のテレビの、表示時刻は二十三時過ぎ。縦長に狭い店のカウンターは酔っ払いが犇いている。 まだ酒が回ってないうちはお互い回避するんだけど、ほどよく酔いの回った二軒目、この時間帯、安い酒と煙草の匂いと焼き物の湯気の充満する、こういう店でよくゴリラと一緒になる。 ゴリラは芋焼酎、と女将に人差し指を立てた。間もなく零れたとこを拭きもしないコップがカウンターから突き出されて、うまそうにキューとグラスを傾ける。 「そんなに飲んじゃって大丈夫なの」 目元を赤くしたゴリラが鼻を鳴らす。 「そっくりそのままお返しすんぜ」 おれはひっく、としゃくりあげた。 「まあ、アレだよな、お互い」 「ん」 「潰れたって迎えに来てくれるやつがいるかんな」 そう云って前歯を見せる、笑顔がまるで子供みたいに無邪気だったから、おれはなんだか見てらんなくて視線だけちょっと逸らした。 「あいつだってお守りに飽きてんじゃない」 嫌味のひとつも云ってやりたくて、ゴリラの髭の辺りを睨む。 「カノジョとしっぽりしてたりするかもしんないじゃない」 ゴリラは喉を鳴らした。少し笑っているようにも聞こえた。 「そうかもね」 おれは、どくり、と頭に血が上る音を聞いた。 こいつに対する態度や声音に勘付いてから、どうにも人事と思えなくなった。不本意だけれどやはり、おれとあいつはどこか似ている。 あいつはそんなのもばれてないつもりなんだろうけど。 ぜんたい、ばかじゃなかろうかと思う。 血が上った頭で、おれは唸った。 「やきもちくらい焼いてあげるのが」 親切ってもんなんじゃないの。 面白くなさそうな声音を出しても、きょとんとした表情がこちらを見やるだけだ。自分の顔が苦虫を噛み潰したように歪むのが判った。 「なんで?誰に?」 「もー結構」 コップの残りを一気に煽る。アルコールが喉を嚥下していくのを送って、ふー、と一息。 酔っ払いの喧嘩が表で始まったらしく、ガラガラと戸がひっきりなしに開いたり閉まったりする音。入り口付近で高くなる酔客の声の下から、ゴリラが低く云った。 「なあ、万事屋よ」 顔も見ずに、うん、と素直に返事をすれば、 「俺たちの関係は、俺たちが望んだものなんだ」 言い聞かせるみたいな、穏やかな口ぶり。 「俺だけの望みでもトシだけの望みでもなくて」 「お前らだって、」 そうだろ?と問う、ゴリラの顔は笑っていなくて、なんかこういうのを誠というのだな、と、柄にもなくぼんやり思った。 でもその誠が苦しいときだってあるんだよ。自分で作った枷を、自分で引いた線を飛び越えちまいたいと思う衝動だってあるんだよ。でもおれはもう子供じゃないからそんなものに身を任せられない。保身だとか体面だとかに囚われて足を竦ませてしまう。 居心地の良さと、相反する衝動に苛まれて、そうやって少しずつ磨り減っていく。おれも、きっとあいつも。 「おめー、顔に似合わず」 残酷だな。そう発音したら、ちょっと間を置いて、そうかもな、とぼやく。語尾は向こう隣の調子っ外れな日本全国酒飲音頭にかき消された。 おれの相手がこいつじゃなくてよかったと思いながら、おれと似たあいつがこれから噛み殺す夥しい衝動を想像して、不意にこみ上げる吐き気に耐えた。 080406 |