玄関のチャイムの音に、俺は寝転がっていた身体を勢いよく起こした。 いつも怒鳴るおふくろが留守なのをいいことに、ばたばたと足音を立てながら狭い廊下を走る。 ドアを開ければ、パーカーの襟に口元を埋めた見慣れた顔。 「おートシ!」 おす、と小さく返って来る声に口角を上げて、靴を脱ぐよう促す。 「なんか久しぶりな気がすんなー」 このあいだ家で遊んでから一週間も経っていないのに。 少し距離をおいていたくらいでこんなに寂しく思えてしまうなんて。俺は自分に呆れて笑った。 トシを部屋に通すと、掃除をして少しだけ綺麗になった床にクッションを敷いた。 スポーツドリンクを二つ、懸賞で当たった小さい冷蔵庫から取り出す。 プルタブを上げ一口煽ってから、改まって向き合う。 「ごめんな、昨日、なんかタイミング悪くて」 トシは無言でかぶりを振った。 教室移動の時、渡り廊下から自販機脇にトシがいるのを見つけて。 声をかけたら横にミツバさんが座ってて、なんだか取り込み中みたいで。 低く、失せろ、と云ったトシの言葉がずっとひっかかってた。 今日電話がかかってきて、これから行っていいかと聞かれて、正直ほっとした。 「よかった、俺、トシに嫌われちゃったのかと、」 台詞を遮って、トシがこちらに上体を傾けてきた。 「なぁ」 至近距離で瞬いた、まつげの長さにぎくりとする。 「伊東とはどんなふうにすんの」 「どんな、ふうって」 柔らかな感触が唇を掠めて、瞬間何が起こったかわからなかった。思い至って、肩を思い切りのけぞらせる。背中はベッドのマットレスに当たった。 「そんなにいやか」 「いやとかじゃなくて」 こういうのは恋人同士のやることだ。俺たちは違う。 いつものポーカーフェイスなのに、どこか切羽詰ったようなトシの目の色に戸惑う。混乱した頭で、それでも必死で顔を背けた。 襟をぐいとひきよせ、鼻先で噛み付くようにトシが云った。 「頼む、」 虹彩は俺を移してゆるゆると揺れる。まぶたが泣き出す前の子供みたいに引きつった。 「おねがい、だから」 あんたに拒まれたら生きてけない、震える声が耳元で弾ける。 これじゃまるで脅迫だ。俺の動きが一瞬怯んだ隙に、唇が唇を探り当てた。 軽く、息継ぎをはさんで今度は深く。 滑った舌の感覚に、思考が警告のランプをちかちか点す。 軽く身を捩って顔を離す。トシは俺の襟を握りなおして、裏返ったような細い声を上げた。 「足りない」 「トシ」 とがめるように呼ぶ名前以外、言葉が出てこない。何て云えばいいかわからない。 こいつを傷つけずにやりすごすことなんかできないだろう。 ずっと隣にいた、自慢の、大好きな幼馴染。 整った顔をこんなに苦しそうに歪めて、俺に縋り付いてくる、こんないきものをどうすれば突き放せる。 「もっと、」 搾り出したような声は、聞いたことがないくらいに悲痛で、まるで断末魔のようで、俺の心臓を思うさま掻き毟る。 「あんたが全部欲しい」 これも同情と呼ぶのだとしたら、なんて残酷なんだろう。 一回り細い背中を抱きこみながら、これから傷つけるひとの顔がちりと脳裏を横切った。 「ひ、ああ」 声を抑えるために歯を指で割れば、夢中で舌を絡ませてくる。 指を滑らせればどこも敏感に反応を返した。 何度脱力しても止まず俺の背中をかき抱く。 なりふり構わないその仕草に、腰の下から得体の知れない欲情が伸び上がってくる。 こんなのおかしい。 「おかしいよ、トシ」 耳元で呟けば、トシが、くふ、と鼻にかかった声を漏らした。 熱に浮かされたように掠れる自分の声にも、焦燥感ばかりが募る。 このまま俺もトシも溺れてしまって、帰って来られなくなってしまうかのような不安が、快楽の上に影を落としている。 半ば自棄になって腰を打ち付ければ、いつかアダルトビデオで聞いたみたいな音が耳を襲う。水飴を引っかき回すみたいな、ぐず、という感触。 「こんど、さん…ッ、」 トシが呼ぶ俺の名前の、語尾が甘ったるく鼓膜に響いて、五感が全て塗りつぶされてしまったみたいに感じた。 080220 |