「十四郎さん」 顔を上げると、心配そうな表情がこちらを伺っていた。 「……ミツバ」 随分遠くなった気がする幼馴染の名前を発音すると、彼女は困ったように微笑んで、胸の前でノートの類を抱えなおした。 そのまま後ろを振り返り、連れと思しき女子に声をかける。 「妙ちゃん、りょうちゃん、先に行ってて」 自販機の横にしゃがみこんだおれの隣に腰を下ろし、肩を小さくすくめた。 「なんだか顔色が悪いわ」 ここのところいつも上の空で、心配。 口元だけでも笑みを返す余裕がなくて、おれは代わりに俯いた。 シャンプーの控えめな匂いがふわと香る。 おれの好きだった女。 正確に言えば、好き、ということになっていた、女。 性の匂いなど微塵もしなくて、綺麗なところだけでできているかのようで。 美しく、でしゃばらず、控えめで機知に富み、男が護ってやるのにこれほど価値のある、命の賭け甲斐のある女も珍しいと思った。 だから近藤さんにお前の好きな子は、と話を振られたとき、好きというなら彼女がふさわしいと考えてそう応えた。周りにそういう認識が出来ても別に構わないと思った。あの頃は自分の性嗜好についてなんて考えたこともなかった。 今おれの心を塞ぐこの衝動は、形もなくどす黒く澱んでいる。そういう、頭で納得して、表向きに取り繕うような体裁とは全く違う種類のものだ。乗りこなすことなんかできやしない。 例えば彼女がどこぞの男と付き合うとして、相手の素性は気になりこそすれ、それ以上でもそれ以下でもない。それで彼女が幸せになれるというならば、おれには口出しする権利なんかないし、そもそもしようと思わないだろう。 おれが近藤さんに感じるこれとは違う。 もっと激しい、半身がちぎれていくような喪失感がおれを捕らえて離さない。 彼の、一番がおれじゃないというだけで。 なんでだ。なんで、こんなに、気が違いそうになるんだ。 こちらを見遣るミツバの視線を、思考の表面だけで気にしながら。 噛み締めた唇は血の味がした。 「トシ」 耳に飛び込んできた声に、貫かれたみたいに背筋が伸びた。 得体の知れない眩暈を堪えながら目を凝らすと、こちらに駆け寄る見慣れた体躯があった。 まともに口を聞いていないのなんかせいぜい三日がいいところなのに、言い知れない懐かしさと、いとおしさに全身が金縛りにあったみたいになる。 思わず叫びだしそうになったところで、彼の肩越しにあいつを認めた。 途端、水をかぶったみたいに、急に頭の芯が冷たくなった。 半袖なのに凍えてしまいそうだ。 「あ、もしかしてお邪魔だった?」 おれとミツバを交互に見て、うろたえたような声を出す。 このひとはどこまで、どこまでおれを、追い詰めるんだ。 「失せろ」 おれは上手くそろわない唇を震わせ、低く、這うような声を出した。 080220 |