初めてのとき、トシの身体はぎこちなく軋み、無理な侵入に酷く傷付いた。 (それでもあいつは短く息を吐きながら奥へ奥へと俺を促して、からだじゅうで俺を好きだと云った。あんなに哀しい生き物を、俺は今まで見たことがない) 男相手の行為は全く慣れていないようだったので、男しかダメだというのとは違うのだろう。 そういえばかなり昔のことだけれど、好きな女だっていたはずだ。俺は知っている。 総悟の姉のミツバ殿。引きあわせたときからお互い満更ではなさそうに見えて、お似合いだなとからかったら真っ赤な顔になったのを覚えている。 きっとあのころ二人は両思いだったに違いない。 今から考えてみると、別にトシには俺についてくる義務なんかなくて、武州に止まって彼女の傍にいることも選べたはずなんだ。 それは総悟にしたって然りで、それでも俺は、二人が自分と共に来ることに何の疑問も持たなかった。さも当たり前のように思っていた。彼女が取り残されたことは致し方ないことと片づけて、罪悪感なんてこれっぽっちも意識していなかった。 俺も大概酷い人間だ。 自分の前髪を指で梳きながら、トシがぽつりと云った。 「…ごめんな、近藤さん」 「何がだ」 「こんなままごとに付き合わせちまって」 「な、」 「あんたに後悔なんかさせたくなかったのに」 ごめん、と繰り返す。自分勝手に悟ったような物言いにつっかかりたかったけれど、右手が顔を覆ったままだったから、俺は目を合わせることすら叶わなかった。 肩の間に軽く頭を沈め、唇を噛み締める。 おれは間違ったなんて、思ってねぇ。 後悔なんかしてねぇよ。お前を失わないで済むならなんだって惜しくなかった。 飢えたお前を満たしてやりたくて手を取ったのに、結果お前を傷つけているだけなのか。 それでも。 どんなにぼろぼろになったって、俺はお前を離してやることが出来ない。それだけは確かだった。 巡回から戻ると、たたきの所で原田に呼び止められた。 「近藤さん」 「おう、どうした」 「一刻ほど前、沖田隊長が稽古の途中で倒れて」 「総悟が?」 「あー、大丈夫っス大事じゃないっス」 身を乗り出す俺を制し、原田は早口で続けた。 医者を呼んだけれども微熱がある程度だったそうで、一応大事を取って自室にひっこんでいるとのこと。今でこそ健康そのものみたいなあいつだけれど、昔は季節の境目ごとに体を壊す子供だったことが思い出された。 俺は引き継ぎだけ早く済ませて総悟の部屋に行こうと、まず執務室へと急いだ。 総悟の私室の障子は二寸ばかり開いていた。こういうところに神経質なあいつらしくもない。 入るぞ、と声を掛け、戸を引く。 布団に横たわっている総悟は眠ってはいなかった。俺のほうに一瞥をくれて、すぐに視線を天井に戻す。 「総悟、大丈夫か」 布団のすぐ横で膝をついて屈み込んだ。 額に手を当ててみると、確かに俺のものと比べて少し高いようだった。 「うーん、まだちょっとあるかな。何か欲しいもんはあるか?」 返事はない。ただ頭を横に振るだけの総悟を、不審に思って首を傾げる。 この状況だと漫画雑誌だのゲーム機だの、大凡療養とは関係ないようなものを矢継ぎ早に要求してくるのが常なのに。 機嫌がよくないのだろうか。何かを訴えたくてふて腐れているようにも見えた。 「云わないとわからんぞ。何臍を曲げてるんだ」 総悟はぴくりと眉をひそめ、暫し沈黙の後小さく呟いた。 「…のひとのこと」 「え?」 「土方さんのこと、どうするつもりですか」 意味を追って、俺は瞬間絶句した。 「…お前、知ってたのか」 「俺が何年、あんたたちのこと見てると思ってんですか」 参ったな、と苦笑いを漏らすと、質問に答えてくだせェ、と促された。 俺は大きく、ため息をひとつ吐く。 「…どうすればいいんだろうな、俺は」 声は自分でも呆れるほど頼りない。 「…俺はただ、あいつの辛そうな顔が見たくなかっただけだったんだが」 まるごと引き寄せて、きつく抱きしめても、 「あいつひとり笑わせてやれねぇなんて、局長失格だ」 俺は発音しきると肩を小さく竦めて、首を戸の方に回した。 大分陽は翳ってきていて、障子越しに届くぼやけた橙の光が、畳と布団に格子模様を作っている。 風に乗って遠くから聞こえるざわめき。夕餉の匂い。 俺が腕を組んだ、衣擦れの音の下から、総悟が忌々しそうに舌を打った。 「あんたらしくもねェ」 ふいと、顔を背ける。枕の蕎麦殻が軋んで亜麻色の髪がさらりと揺れた。 「俺たちにはあんたが導なんだ」 「どっしりまっすぐ構えていてくれりゃ、どんだけその道が間違ってたってついていけるんだから」 息を小さく呑む音。それから低く、絞り出すように続けた。 「弱音なんか、吐かないでくだせェよ」 こいつに窘められるなんて、俺も焼きがまわったもんだ。 俺にこんな事を云わなければならなかったこいつの心情はいかばかりだろう。想像するだに申し訳なく思った。 「ごめんな、総悟」 布団からはみ出す総悟の手をそっと握る。 それは昔と同じに竹刀ダコでごつごつしていて、けれどもう子供のものじゃなかった。 おっさんくせぇのが移るから離してくだせぇよ、と云いながら、総悟は手を振り払いはしなかった。 隊舎から渡る廊下のところで、柱に寄りかかるトシに気付いた。俺を待っていたようだった。 「どうだった、あいつの様子は」 聞かれて、ひらひらと手を振ってみせる。 「ああ、もう落ち着いたみたいだったぜ」 そうか、と少し安堵したような表情になる。 「なあトシ」 「な、うわ、」 俺はトシの腰に腕を回して、素早く近くの納戸に引き込んだ。 抵抗はなかったけれど、抱き竦めると身体は強張った。薄暗がりの中で、俺の顎あたりにあるトシの目がちらと俺を伺い、それから諦めたように睫が伏せられる。 「トシ、お前さ」 俺はトシの顔を両手で挟み、ぐいと引き寄せた。 「こんなの俺の気の迷いだと思ってるだろ」 覗き込んだトシの瞳が揺れる。 俺は情けなく笑った。 「信用ねぇのな、俺」 お前はこれがままごとだと言う。俺がままごとに付き合っているだけだという。 俺は口が上手くないから、言葉を選びながらつっかえつっかえ訴えた。 なあトシ、 俺とお前のままごとがいつかごっこじゃなくなる日まで、 お前の中のバカみたいな思い込みなんかみんな俺が消してやるから、だから俺のこと、 「信じてくれよ」 トシはくしゃりと表情を歪めた。笑おうとして失敗したみたいな、おかしな顔だった。 「あんた、ほんとにばかだ」 「うん」 「ば、」 「ばかはお互い様だろ」 後頭部に掌を回して、頭を肩口に押しつけてやると、ひきつった声がしゃくり上げ始めた。 やわやわと背中を撫で、髪を梳く。嗚咽はまるで子供みたいで、それを俺は愛しいと思った。 密着した胸板は隊服越しに、何故かいつもよりずっと熱く感じた。 馬鹿だっていいから、俺は迷わず前だけを見ていよう。 選んだあとで悔やんだり嘆いたりするのは柄じゃない。 例えそれが間違ってたって、無茶だったって、もう振り向いたりしないから。 それがお前を苛むならば、俺は空の色だって変えてやろう。 |