空白のきみ・6



がたん、と戸を大げさに鳴らした。そうしてやっと近藤がこちらを向く。
「総悟か、」


膝をついた近藤のむこう、布団に横たわっている土方は物陰でもわかるぐらい真っ赤な顔をしていた。時折、うう、と苦しそうに唸る。
土方は高熱を発したままもう二日目覚めない。医者も呼んだけれど原因は不明と言われ、明日も意識の混濁が続くようなら入院を勧められたと山崎から聞いた。今日はひとまず点滴を打ってもらったらしい。

締め切っている部屋の空気はよどんでいて、湿った布と薬、それからほんのり汗の匂いがした。どこかで嗅いだ、そうだ姉上が床に伏せていたときと似ているんだ。思い出して自分は眉をひそめた。

「ちょっとは下がったんだ、朝と比べると」
手ぬぐいをどけて土方の額をそっと撫でる、近藤の顔は見るからに憔悴している。揃えられていない髭を視界の端に捉えて自分はすぐに顔を逸らした。

近藤は暇さえあれば土方の部屋に詰めて、遠慮する小姓や山崎を下がらせている。
「局長直々に看病してやるこたないでしょう」
口を尖らせれば、でもな、と近藤が、力弱く笑う。
「できるだけ、俺がついててやらなけりゃ」
「あんたのせいじゃあるまいに。こいつが勝手にあんたのこと忘れて、挙句勝手にぶったおれただけなんですから」
「いや、俺のせいだ、」
近藤はゆっくり首を振って、囁くみたいに漏らした一言を、
「こんなことになるなんて、」
自分は聞き逃さなかった。瞼の裏がひきつる。
「それ、どういう意味ですか」

こっち見て下せえ。肩を掴んで問い詰めれば近藤の目が泳ぐように揺れる。覗き込んで睨めば観念したのか口を開いた近藤が、ぽつりぽつりと語り出した。
俄かには信じがたかった。耳から入ってきたことをやっとのことで整理して、ぐう、と喉が詰まる。
「つまり、」
それはあまりに残酷ななりゆきだった。
「あんたは、こいつに自分を忘れさせたかったっていうんですか」
声が自分の耳にもびりびりと刺さる。口に出したらいっそう惨い。近藤は口ごもる。
「だってそのほうが、トシのためにも」
その言い草を聞いて、すう、と頭の裏側が褪めていくような気分になった。



きん、と鯉口が鳴る音。
近藤は信じられない、といったように目を見開く。
「総悟、何を」
すっと刀身を抜き、土方のほうへと刃先を向けた。近藤は声を上ずらせて、土方を庇うように立ちはだかる。
俺は思いきり振りかぶって、近藤の手前、畳にどすんと刀を突き刺した。

近藤の喉がもがりのように、ひゅ、と鳴る。
「手に余るってんならいっそ殺してやりなせえ。それが親切ってもんだ」
俺は歯軋りしながら言った。こめかみが燃えるようだ。
「違う、俺は、」
上擦った近藤のせりふを遮る。
「何がどう違うんですか、途中で放り投げるってことは、そういうことだ」
喚いているうちにじんじんと目頭が熱くなる。これは憤りじゃなく哀しみだ。
「あんたは、俺が足手まといになっても、同じことをするんですか。あんたが手前勝手に決めた幸せってやつにそぐわなければ、俺のことも途中で放り出すんですか」
こいつにとって、俺にとって。自分がどれだけ絶対的な存在であるか、このひとは何もわかっちゃいない。置いていかれるぐらいなら、殺されたほうがどれだけ幸せかわからない。

近藤はこちらを見上げて、はっとしたような顔になった。
口から流れ出る言葉はおもうさまひずんで、それでも止まってくれない。
「あんたはそうやって、誰だってまるで自分のことみたいに考えて、むごいぐらい馬鹿正直に向き合うんだ、」
こんなやつ相手に誠実でいようだなんて思うな。こいつは、俺は、俺たちは、あんたに騙されていたい。どんな嘘だって、あんたがそう言えばそれは真実なんだ。俺たちにはそれしか、真実なんかない。

近藤の寄った眉根が震え、見る見るうちに眼尻に盛り上がった涙が、堰を切ったようにぼろぼろ零れる。歪んだ口元から嗚咽が漏れるに至って、
「近藤さん、」
堪え切れなくなって近藤の上半身を抱きよせた。
近藤は俺の鎖骨に鼻筋を埋めて、大きな背中を丸くしてしゃくりあげる。声を上げて泣く、けものが吠えるような呻きに貰い泣きしそうになって、喉の底から低く呟いた。
「泣かないでくだせえ」

このひとはなんて愚かなんだろう。
悪気なんてない。始末に悪いことだけれど、彼はただ心から、土方の幸せを願っただけだ。

近藤の啜り泣きの合間に、土方の苦しそうな吐息が聞こえる。

同情なんて柄じゃない。
でも、魘されたときよすがに呼ぶ名前すら無くしてしまったこいつを、俺は可哀想だと思ったんだ。




111011