「あわっ」 スポーツクラブに向かう途中、駅の連絡通路で遠目に知った顔を見つけて、俺は咄嗟に物陰に隠れた。隠れた後で、隠れることなかったと思ったけれども時すでに遅い。 土方さんはすらりとしていてプロポーションもいい。遠くからでも目立つ。彼と話しているのはスーツ姿の女性。こちらもスレンダーでお似合いの美人だ。髪をアップにして、にこやかだけれど気の強そうな表情。 綺麗な人だな。付き合ってるのかな。ぽーっと見とれていると、土方さんがポケットを探るような動きをして、それから彼女に何かを手渡した。鍵みたいだ。 俺の脳裏に下着のことが去来する。あの持ち主が彼女、だとしたら。かあっと頭の中が真っ赤になって、俺はその場にしゃがみこんだ。今更ながらひどい自己嫌悪に囚われる。 そもそもくすねる気なんてなかったんだ。 「はぁ」 床の上に下着を広げて、その前に正座をした俺は大きく溜息を吐いた。 「何ですか、それは?」 斜め後ろからいきなり声が聞こえて、飛び上らんばかりに驚いて振り仰ぐ。幼馴染である総悟が、いつもと変わらないしれっとした表情でこちらを見下ろしていた。 「おおおお前どうやって入って」 俺は腰を抜かしながら後ずさる。総悟は肩越しに入り口を親指で示す。 「カギ開いてましたよ、不用心ですねィ」 「開いてたってね、人の部屋に無断で入ってきちゃだめでしょうが」 「それ、」 総悟は俺のせりふを遮って近寄ってきて、下着をちょいちょいと指さした。 「どうしたんですか。モテないからって遂に下着ドロになり下がりやしたかィ」 「いいいいやこれはその」 泥じゃない、能動的な泥じゃないんだ。でも。ううう、破壊力あるな、下着泥って単語。 「すすすまん!」 俺は弁明を諦めてがばと頭を下げた。 「いや俺に土下座されても」 耳をほじる総悟に、俺は涙ながらに訴えた。 隣の部屋の洗濯物がうちのベランダのほうに飛んできて、一度は返しに行ったけれどその後も何度か吹き込んできたのでそのままくすねてしまったこと。その持ち主と思われる女性をみかけて罪悪感が爆発したこと、等々。ところどころ詰まらせながらも洗いざらい話した。 軽蔑されたらどうしよう、通報されるかもと半泣きだったけれど、総悟はどうどう、と牛にするみたいに俺の肩を撫でただけで、顔色ひとつ変えなかった。 俺が鼻をすすりあげるのを待って、総悟はふむ、と顎に手をあてた。床の下着を手に取りしげしげ眺める。 「その女デブでした?」 「いや、普通の、むしろすらっとしたかんじの」 俺はあの日見かけた彼女を思い出して答えた。総悟は眉を寄せる。 「そりゃあおかしいですねィ」 ゴム伸びてるだろ、ここんとこ。擦り切れ方がおかしい。と指差され覗き込む。確かに少しギャザーがくたびれているような印象はあるけれど。 「どういうこと?」 「つまりこれ履いてるやつは、サイズが合ってないってことです」 「じゃあ駅で見た彼女じゃなかったのかな」 総悟は腑に落ちないような表情になった。 「わざわざ返すことないですぜ。そのまま捨てちやいやしょう」 ゴミ箱に放ろうと振りかぶるので、俺は身体を張って防いだ。 「いやいやいや、駄目だ!」 がくりと肩を落として俯く。覚悟なら決めた。 「俺、謝ってくる」 ベランダのガラス戸を開けてしゃがむ。物干し竿越しにぼうっと狭い空を見上げていたら、いつの間にかすっかりあたりは暗くなっていた。 斜め後ろ、土方さんのドアの辺りで物音がして、それから隣の部屋の電気がついたのがベランダの敷居越しに見えた。俺はひとつ深呼吸をしてすっくと立ち上がった。手の内で下着は既に汗ばんでいる。 決死の思いでドアチャイムを押した。部屋の中でぎしぎしと足音が鳴って、程なくドアが開いた。 「あ、あ、あのっ、これっ、すみませんでしたっ」 土方さんの顔をまともに見れず、間髪いれずに頭を直角に近く下げる。 掲げるように両手で下着を差し出す俺に、土方さんの声はどこか冷めて聞こえた。 「何で今更返すんだ」 視線をちらりと上げると、土方さんの表情は呆れたように見えて、居たたまれなさと恥ずかしさで頭が沸騰したようになる。そっとポストに入れておけばよかった、と この期に及んで気づいても後の祭りだ。 「いや、えっと、その、」 「それで、あんたは」 「はいっ?」 土方さんはごほん、と咳払いをする。 「それで、抜いたのか」 彼が指差す先を辿る。握り締めた下着だ。 「へ」 ぽかんとした後、言わんとしていることがわかって頭の天辺まで血がかあっと上った。 「ごごごごめんなさい」 二へんほど、使用しました。言い逃れできない。とにかく小さくなってこれ以上ないぐらいに頭を下げていると、襟の辺りを捕まれて室内に引き寄せられた。バランスを失いそうになって壁に手を突く。 「なら、やって見せろよ」 聞こえてきたとんでもないせりふに顔を上げると、土方さんの顔が思ったよりも近くに迫ってきていた。間近で見たら彼の顔はほんとに整っている。 「そうしたら許すから、」 土方さんの声は冗談を言っているようじゃなくて、俺は目をそらせない。自分の喉がごくりと鳴った。 狼狽しきって、それでも俺に逆う権利なんかないから、玄関先に膝を落とした。俺の後ろでギィと戸の閉まる音がして、いよいよ退路はないのだと思い知る。 こんな状態で勃起する訳ない、と思いながら下半身を見やると、何故かジャージが半分持ち上がってしまっていて、ただでさえ上気した頬が火を噴きそうだ。 土方さんは俺の肩に手をつき、中腰で俺のそこを覗き込んでいる。 「ほら、出して」 促されて戸惑いながらも股間を寛げる。ぼろりと出てきたその重量感のあるそれを、おそるおそる握る。自分の指先が自分のものじゃないみたいに冷たく感じて思わず呻いてしまう。 でっかいな、と揶揄されて、腰の奥が痺れるように重くなった。羞恥と屈辱と、得体の知れない衝動。 「使わねえの、それ」 左手に握っていた下着を顎で示され、一枚を男根の上からかぶせるように握る。化学繊維のすべすべした感触に興奮がいや増す。 「してるとき、何考えてた?」 土方さんの声も上擦っているように聞こえる。 「これ履いてる女?」 反射的に頷くと、突然ずしんと下半身にかかった重力に俺は呻いた。 「ひ、」 見やれば土方さんの足が俺のそれを踏むように押さえつけている。俺は逃げるように上体を後ろに倒してドアに背中をぶつけた。土方さんは俺に覆いかぶさるようにしてドアに手をつく。 「あ、う、う」 布の上から鬼頭を握りこむように彼の足の指が動く。冷えた彼の裸足が俺の手に絡んで、無茶な律動で俺のそれを刺激する。ぬめった感触と、予測できない動きに、どんどん追い上げられてしまう。 俺の呼吸に連動するように、土方さんの息が荒くなる。頭の上から、はぁ、と切なげに漏れる声を聞いて、セックスのときみたいだと思ったら、 「う、」 もういくらも保たなかった。 110911 |