レディマヨネーズ・2


「とりあえずは以上」
朝の幹部会議、伝達事項と報告を読み上げ終えると、俺は言った。
「何か質問は」
水を打ったように静まり返る面々。暫しの沈黙の後、おそるおそる、といった体で、原田が手を挙げた。
「あのう」
「何だ」
ごくり、と喉仏が上下する。それから、胡坐をかく俺を座椅子のようにして座る、トシを指差した。
「それ、何すか」
ちなみに昨日のチャイナドレスのまま。俺の視界の右半分はおだんごの髪飾りで塞がっている。どぎつい化粧の臭いがずっと鼻腔をふさいで感覚がバカになりそうだ。当人はまったくどこ吹く風で、今朝『おはようのキス』で俺を起こしてから、ろくに拭ってもいない、はみだしまくった口紅で噛み潰すように煙草をふかしている。
「あ、俺にだけ見えるんじゃないんだやっぱり?」
原田の隣にいた永倉を皮切りに、みな顔を見合わせながら、ざわめき始めた。
「見間違えじゃなければアレですよね、その」
言い辛そうに区切って、原田は続けた。
「副長、ですよね。なんかバケモンみたいになってますけど…」
自分に正直だった原田は、次の瞬間トシの正拳突きを食らっていた。ふっとんだ原田を追いかけて腹を蹴り上げ、首根っこを引っつかむと煙を吹きかけ、止めとばかりに根性焼きを入れようとする。原田の悲鳴が届いた。容赦ねええ。

「あろ、あねご、ってひょばないと、ひれます」
不明瞭な発音でぼそりと言うのは、昨日一日で満身創痍になった山崎だ。
身を竦める他のみんなに対して、俺はぼそぼそ小声で答えた。
「えーとね、昨日ね、面白がってあの服着せたらあんなふうになっちゃって、」
「何ですか?また何かの呪いとか?」
「チャイナドレスの呪い?」
「うう、また呪いかよぉ」
場は喧々囂々となるものの、あの暴れ馬みたいなトシをどうにかしようという勇者はいない。問題はどうやって刺激を与えず隔離するか、である。
「あれ外に出すわけにもいかないですもんね…」
刀も帯びる様子がない。仕事をする気もまるでない。
暫く急病扱いにでもしてシフトだのを組みなおすしかない。誰からともなくため息が漏れた。

分裂症?二重人格?チャイナドレスの呪い?
いやしかし昨日フロに入っていたので(人目につかないように客用の小さな湯船を使わせた)脱いだら戻るっていうことでもないらしい。
山崎に言いつけてパンフレットを取り寄せ、キャバ嬢向けのドレスだとか、女性向けの下着屋だのなんだののネットショップで注文させているのを見たし。
そうしたらいよいよどうすればいいのかわからない。このまま元に戻るまで静観するしかないのだろうか。

原田をシメ終わったトシはがに股で戻ってきて、また俺の膝の上にどすんと腰を下ろした。ちらと俺を伺う、目元は少し赤い。
何より始末の悪いことには、このオカマのトシは俺のことが好きらしいのだ。
最初は口から食われるかと思った。手当たりしだいなのかと思ったが、あのキスの猛攻は俺だけに発動するようだ。
俺の都合なんかなんにもお構いなしで、トイレまでついて回る。着替えろと言っても聞かないし、べったり腕を組んで、人目なんか気にせずに頬だの口だの襟元だのにキスと歯形をつけまくる。朝着たばかりの俺のスカーフはすぐに真っ赤になっちまって今は外している。マーキングでもしているつもりなのだろうか。跡がつかなくなると口紅を塗りなおしている。傍で見ていれば一日でスティックのもう半分ばかりが減っている。



極力混乱がないように、副長のことは口外無用、とにかく刺激をしないように、という達しを出したが、現物のインパクトは致し方がない。泣き出す隊士も出る始末だ。
食堂の隅でこそこそと食事を終え、自分の部屋に忘れ物を取りに戻る間も、あいつは腕にしがみつきっぱなしだった。てゆうか全力でしがみつかれると痛い。
「トシ、離して!」
少し強い口調で言えば、ぶ、と頬を膨らませた。手の力の緩んだ隙につかまっていた自分の腕を引っこ抜く。なんか心なしか痺れてるぞ。
ごほん、と咳払いをすると、俺は尤もらしく聞こえるよう言った。
「俺は仕事があるんだから。隊服に着替えてお前も仕事するか、ここで待ってるか、どっちかにしなさい」
「アンタと離れんのやだ」
ダマのくっついた睫毛をばちばちさせて、上目遣いで俺を睨みつける。チークもどピンクで、トシの顔立ちだと頬骨を強調するみたいなかんじで色が付いちゃってて、お世辞にも可愛らしいとは言えない。
「アタイの気持ち、わかってんだろ」
「んなこと言われた、って、」
ねえ。口元を渋いかんじに歪めて、それでも俺は振り切るように踵を返した。
「ともかく、お前は留守番!」

ごすごすと廊下の床板を鳴らして(そう、こいつは室内でもハイヒールを履いているのだ。畳が傷む)数歩追いかけてきて、その後べちゃ、と鈍い音がした。驚いて振り向けば、盛大にこけてしまっている。

「あーあ、何してんの」
呆れてその場にしゃがむ。腕を支えて起こしてやれば、ばかでかいハイヒールが片方脱げてしまっていた。
「こんなの履くからだよ」
細いヒールに体重が上手く乗せられないのだろう。危なっかしい。脱げたほうの足を見やれば、ストッキングごしに踵も赤くなっている。
「痛いばっかじゃん、やめなさいよ」
宥めるように言えば、トシは顔を斜め下に逸らした。
「との、気も、らねえで」
ぼそぼそと呟いたのが聞き取れずに耳を寄せると、トシはがばと面を上げた。
「どうせあの!ゴリラ女のとこ行くつもりだろ!」
俺は図星を指されて口を引き攣らせた。
「いやその、市民を護るのはね、俺たちしんせんぐみのだいじなおしごとで…」
苦しい言い訳に、トシの顔が見る見る真っ赤になっていく。
「やっぱそうだったのか、アタイを、置いて、あの、アバズレんとこに、」
目が思い切り釣りあがった、ものすごい形相で吠えた。
「死ね!死ねよ、クソゴリラ!」
トシに面と向かって死ねって言われたの初めて。ドスの効いた声に俺が思わず半泣きになったところで、鬼のようだったトシの顔がくしゃりと歪み、ぐぐ、と唸った。何かと思えば、びゃああ、と泣き始める。それもすごい声で。
なんだなんだと様子を見に来る連中もいて、俺は慌てて手近のトシの部屋にひっぱりこんだ。どうどうと背中をなでても、潰れた泣き声が響き渡って、梁がびりびりと震える。

なんなの、
これ何、俺が悪いの?そうなの?



マスカラとアイラインが流れてパンダみたいになっている目元をちり紙で押さえるようにふいてやる。ついでに鼻もかんでやった。無遠慮に、人の手の中にちーんとかむ。
根負けした俺は、今日はどこにも行かないと約束し、トシの部屋で座椅子に甘んじてやることにした。
まだふてくされているトシが、畳に出しっぱなしになっていた煙草を引き寄せる。
白粉の下から匂う、メンソールのバニラの香りもいつもより甘ったるい。よくよく見れば煙草はピンク色の可愛らしい銘柄に変わっていた。男の手指に似合わない細い紙巻。
見られていることに気づいたのか、トシは少しばつの悪そうな顔になって、それから膝立ちで化粧箱のほうに移動し、がちゃがちゃと中身を探る。
定位置であるところの俺の膝に戻ると、あいつの手に握られていたのはマニキュアだった。フタをあけるとつんとした臭いが鼻を衝く。
また派手な、真っ赤なマニキュアを選んだもんだ。眺めていれば慣れない手つきでそろそろと色をのせていく。
「……すげえはみだしてんぞ」
思わず口に出してしまうと、トシは肩をいからせた。
「うっせーな!」
自分でもわかっているのだろう。口を尖らせながら、はみだしたところをためつ眺めつして、それから俺に向き直った。ずい、と指が突きつけられる。
「じゃああんたが塗って」
「へ?」
「塗れってば、」
「いや、俺も期用じゃねえし」
「いいから!」
俺は降参の代わりに肩を竦めて、トシの手からマニキュアのびんを受け取った。おっかなびっくりハケを取り、トシの爪とにらめっこする。あ、ずれた。塗りなおししようとすると盛り上がっちゃう。うう、結構難しいなこれ。
ちらと上目で見れば、満足げに口元を緩めるトシがいて、なんだか俺は複雑な気分になった。



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