かわいさあまって・4



搾り出したマヨネーズで白い渦を描く。蒲焼の茶色がまだ見えるうちに、容器はボフ、と情けない音を立てた。中身は絶えている。
握りつぶした容器を、備え付けのゴミ箱へと叩きつける。端に当たって床に転がって、おれは忌々しく舌を打った。


今回ばかりはいくら心の広いおれでも堪忍袋の緒が切れた。
少しは痛い目見やがれと、憤りに任せて勢いで追い出したけれど、それでも参っているのはおれのほうだ。あのひとを目の届かないところにやって、
あのひとが視界にいないだけでどんどん削れて行くのはおれの方なのに。


だん、という音に振り向けば、斜め向かいのテーブルにトレイを叩きつけたのは総悟だった。トレイに載った味噌汁は弾みで大きく波打っている。
総悟はおれを睨みつけたまま、椅子を乱暴に引いて向かいの席に座った。ポケットに手をつっこんで、背もたれに肩を滑らせ顎を浮かせる。わざとらしく行儀の悪い、挑発した態度。
「勝手に法度まで作りやがって。犬コロだとでも思ってるんですかあのひとのこと」
苛立ちを隠そうともしない声に、おれは低く応酬した。
「うるせえ。今この屯所の最高責任者はおれだ。文句があるならお前も出禁にしてやろうか」
「へェ面白い。副長ご乱心ってね。クーデター起こす口実わざわざ与えてくれるってんですか」
おれたちの一触即発の空気に、食堂は静まり返る。若い隊士の中にはそっと席を移ろうとする者もいた。

「副長、」
沈黙を破ったのは、同じ長テーブルの端に座っていた原田だった。たしなめるように声は続く。
「早く食わないと会議の時間に間に合わねえぞ。次、車移動だろ」
促されておれはどんぶりを抱えた。マヨネーズと絡みきっていない鰻の匂いが鼻に抜けて、それも余計におれの苛立ちを煽った。




警察庁からの帰り、パトカーに乗り込むと原田は言った。
「元気でやってるようだぜ」
窮屈そうに肩を屈め、キーを回せば車体が震える。
「園遊会の警備、現地集合して、しっかり指揮を執っていたとさ。それとなく聞いた。とっつぁんには屯所おん出されたこと、勘付かれてもないみてえだな」
誰も聞いてねえ。バックミラー越しに軽く睨めば、原田はハンドルを切った。車は地下の駐車場から螺旋状のスロープを上がっていく。
「まあ、あんたたちの喧嘩にゃ慣れっこだし、いちいち口挟むのもバカバカしいんだがな」
シートベルトをちょいと指差され、おれは緩慢なしぐさでタングを引っ張った。
「あのひとがいねえと火が消えたみてぇで、寂しいよ」

そうだ。あのひとがいなくなって屯所はなんだか静かになった。いつだって場の中心に居た、あのひとの顔を見るとみんなほっとした。屯所ではなくあのひとこそが帰る場所だと思っていたことを、連中も実感しているだろう。

言われなくたってそんなのは判ってる。おれは原田のほうは見ずに唸った。
「何が言いたい」
「いや、そんだけだ」
こう見えて聡い原田は、それ以上おれを責めるようなことは言わなかった。逆効果だとわかっているのだと思えば癪に障る。
「・・・・・・そりゃ、おれだって、」
謝罪も弁明も、喉の手前でたぐまって唇を噛んだ。窓枠に肘を突いてよりかかり、ドアガラスの外に視線を逃す。

組の連中を巻き添えにしてしまったことに、罪悪感がないわけじゃない。それでもおれはああでもしなけりゃやりきれなかった。



普段は率先して何でもやる。トシ、と呼ばれればすぐ手を伸ばせば届くようなティッシュだって取ってやる。
甘やかして甘やかして、あんたがおれなしじゃなんにもできなくなればいいと思ってる。
でも上手いこといってくれない。いつまでたっても、あんたはおれに独占されてくれない。

マムシ工場のときだって、ゴリラのときだって、無人島に行っちまったときだって。あんたはどこでだって居場所を作っちまう。ひとりで放り出されても、どんな場所にも溶け込んでいくらだって味方ができる。どこでだって笑顔で生きていける。

おれはあんたのいる場所しか、行く場所なんかないのに。あんたがいないところでなんて少しも笑えないのに。
なんでこんなに不公平なんだ。なんでこんなになるまで疲弊しても、

おれはあんたを見限れないんだ。



110116