やさしい悪夢・6


渡り廊下の手前から、近藤の様子を伺う。
「ひどい顔色ですよ」
少し休んでください、山崎に声をかけられて、近藤は作り笑いをする。彼らしくもなく頬が引き攣っているのがここからでも見て取れた。声は山崎のぶんしか聞こえてこない。
土方があのざまになってから今日で一週間。近藤はとうとう木の隣に茣蓙を引いて寝起きをしている。

もういいんですか、などと軽い押し問答になり、結局山崎が折れたらしい。肩を落として濡れ縁のほうに上がってきた。
浮かぬ顔をして膳を下げてきた山崎とすれ違う。どんぶりの飯が半分ばかりも残っているのを見て、自分は近藤の方へと走り出した。
廊下から沓石のつっかけに飛び降り、大股で庭へと出ていく。

「近藤さん」
大声で呼ぶと、かれは緩慢な動作で振り向いた。
「総悟か、」
これがあの近藤のものだろうかと思えるぐらい、枯れ切ってかすかすの声が痛ましい。こけた輪郭、足元が少しふらついているように見えるのは気のせいではないだろう。見ていられなくて自分は少し目を眇めた。
「困ったもんだよな、トシも」
そう言いながら近藤は土方の頬をつまんだ。起きねえ、とちょっとおどけて、それからふっと俯く。伏せた目の下にできた隈が、かれをいくつか老けて見えさせ た。
「思い出話を思い出せるだけ、してるんだが」
ひび割れのできた唇が、ゆるく笑う。土方の前髪を近藤の指がすくう。
「色々あったよな、ほんとに。出会ってからこちら、もう十何年にもなるもんな」
この額の傷はお前ともみ合って屋根から落っこちたときにできたやつだ。覚えてるか、総悟。話を振られて、肩を竦めた。
「そんな昔のことは忘れやした」
それは嘘だ。土方が自分を庇ってクッションになって落ちて、その頭からの出血にびっくりした自分を泣き止ませるのに近藤が必死だったことまで憶えている。
どれだけつかみ合いの喧嘩をしても、土方はなんだかんだで最後は自分を庇った。その兄貴分気取りが気に食わなかった。自分はこの男を兄貴だと思ったことなど一度もない。そんなんで勝ちを譲った気になって、ばかじゃねえの。

花弁がひとひら、自分と近藤の間を落ちていく。そそのかされたように近藤の喉仏が動いた。
「こいつの目が覚めなかったら、」
声に出してしまったことを悔やんだのか、近藤の言葉が詰まる。打ち消すように首を振った。
「させねえ、そんなこと」
近藤の声は憔悴を通り越して悲愴な響きだった。


気を取り直したように近藤はひとつ伸びをして、自分の肩をぽんと叩いた。
「小便行ってくるよ。お前もなんか話しかけてやってくれ」


近藤の背中が消えるまで見送る。その場にふたり残されて、自分は拳を握った。
振り仰げば桜は天に向かって枝を広げて、ますます咲き誇っている。
足元に散る濃い桃色の花弁をかかとで踏みにじる。こんなもんに取り込まれるなんざお笑い種だ。せいぜいいい肥やしになったらいい。

もう一歩、距離を縮めて見やれば、土方の顔色は人形みたいに真っ白だった。今日点滴をしにきた来た医者から、脈が段々弱っていると聞いた。
このまま、こいつが目覚めなかったら。近藤の言葉を反芻する。

土方のことは気にくわない。いつだっていなくなればいいのにと、自分はそればかりを考えている。それでもあんな近藤の顔を見ていたくはない。悔しいけれど、近藤が近藤でいるためにはお前がいなきゃいけないんだ。
自分が追いかけていたものは近藤と、その影法師である、お前だったなんて、認めたくもないけれど。
「なんて顔さしてんだよ、あのひとに」
独白は忌々しく、鼻先で弾けた。
自分は土方に正面から向き直ると、肩幅に足を開いた。靴裏に力を込め、下から睨むように顔を近づける。
「つくづく、あんたは卑怯だ」

あんたは独占してたろ。俺がどうやっても手に入らなかった、あの人の隣を当たり前みたいに手にしてただろ。
ぜんたい何が足りなかったっていうんだ。恋だとか劣情だとかそんな吹けば飛ぶようなものが一筋、それ以外ならあんたは近藤の全てを持っていたのに。それが手に入らないばかりに自棄を起こすのか。あんたを乞うてあんな顔をするあのひとをひとりにするっていうのか。

「あんた、もういらないのかよ」
自分の声が歪んでいるのが悔しかった。悔しくて悔しくて、視界まで霞んでくる。鼻の裏がつんとして火がつきそうだ。
夢の中のあの人のほうがいいだなんて、とんだ大莫迦野郎だ。贋物がいいならば二度と帰ってくるな。

「あんたが帰ってこねえなら、俺が全部貰いますから」




101013