やさしい悪夢・4


今日で三日になる。
トシ、というか、トシの取り込まれた桜は俺の部屋に面した庭に運び込んだ。正門のあたりに置いておいたのでは目だっていけない。ここが一番奥まっていて、屋敷のどこからも死角になっている。
トシの現状は混乱を避けるため、幹部以外には伏せられているものの、平隊士たちにも俺の様子からただ事ではないとわかっているだろう。組の内部には緊張が張り詰めている。


俺はトシの前に椅子を置いて、一日中ここにいる。ここにいてずっとトシに喋りかける。
声をかけ続けてあげてください、と山崎は言った。
『どうかすると届かないわけじゃないらしいので』

幹にそっと手をついて寄りかかる。見れば見るほど、桜と相違ない。木の幹も枝ぶりも、花の形もがくの数まで同じだ。しかしもちろん銀河連邦指定の有害植物で、本来ならば惑星の外に持ち出すことすら適わないものだ。
桜に似てはいるが地球のそれよりも花弁の色が濃く美しく、開花時間も長い。その姿形と特性に目を付けた地球の業者が、ろくに生態も調べずに数本輸入してしまったらしい。すぐに回収されたと報告書にはあったが、取り逃がしたのか種子が残っていたのか、人知れずあのように街中に潜んでいたらしい。よりによってあんな場所、将軍のすぐお膝元によくもあんなものを放置しておいたものだ。そのとき関わっていた役所のものにも何がしかの処分が下るだろう。

天務省伝いに問い合わせをして、精度の悪い通話の後に送ってもらったデータによると、ターゲットは無差別ではない。迷いのある人間を狙うのだそうだ。以前の行方不明者が、借金取りに負われていたり家庭不和だったりしたのも頷ける。

取り込まれたのち、助かった例もないわけではない。
家族や恋人の呼びかけに応えて意識を取り戻した例もあると、山崎は臨床データをいくつか出して見せてくれた。その十年単位で空いた日付の間隔に、俺は気づかない振りをした。
更なる手がかりを求めて、電脳班も不休で、情報収集に当たってくれている。

大きな音を立ててみたり、軽い電気ショックを与えてみたり、思いつく限りのことはひととおり、すべて試してみた。
それでも一向に、かれの目覚める気配はない。もう随分と長い間、こいつの声を聞いていないような気がする。そう思うと焦燥ばかりが俺を炙る。



「局長、これ」
真後ろから声をかけられてはっとした。
原田の大きなはずの足音にも、俺は気づかなかった。すっかり鈍ってしまっている自分の神経に呆れる。
「どうせろくに食ってねえんだろ」
差し出された盆に載っているのは大きな握り飯が二つ。それと漬物。
「あんたの方が顔色悪いぜ、」
言われて俺は苦笑した。

少しでも体力を補完しようと点滴をしているので、トシの頬にはまだ赤みが残っている。表情はどこか和らいでいて、夢の中のことを伺わせた。
「赤んぼみてえなカオしやがって、」
原田はそう言うと、トシの額をぺちりと叩いた。
「鬼の副長、しっかりしろよ」
そうぼやく、原田の声にも力はない。
促すようにほら、と言われて、俺は渡された盆から取って握り飯にかぶりついた。
中身は梅としゃけ。おばちゃんに頼んでわざわざ俺の好物を握ってもらったらしい。原田は俺が全部食い終わるまでを見届けると、回収した盆で自分の肩を叩き、
「あんたまでぶっ倒れられちゃかなわん。ちゃんと食えよな」
そういい残して背中を見せた。


原田の背中が建物の影に消えると、俺は今更、ありがとうを言い忘れたことにぼんやり思い至った。
枝のざわめきが頭上からさわさわと降ってきて、俺の中の不安を揺さぶる。俺は首を振ると、トシに向き合い寄り添った。頬を摺り寄せるように、間近で呟く。
「トシ、戻って来いよ、なあ」
張り上げすぎて少し掠れた、自分の声が頼りなく聞こえて、それに俺はいっそう打ちのめされる。

俺の声が、届かないはずがない。
いつだって、こいつは俺の声を漏らさず聞いて、どんなときも、どこにいても、俺のほうへ真っ直ぐに走ってきた。
いつだって俺だけを見ていた、
瞼はぴくりとも動かない。


崩れそうになる膝に力を込める。
こいつにとってこの現実が望ましいものじゃないのはわかる。
この安らかな面差しから、どんな夢を見ているのかも。

それでも俺はこいつに帰ってきてほしい。組のために、こいつを慕うみんなのために、それから誰でもない俺のために。
こいつにとって安らかではない現実に、俺の隣に帰ってきて欲しがっている。

こんなのは優しさじゃない。ごめんなトシ、俺は全然お前に優しくないよ。





100916