日付が変わった頃にほろ酔いで帰ってきたら、まだトシが戻っていないという。電話もかけたが繋がらない。夕方リムジンを怒って降りていったので、自棄酒でもしているのかと思ったが、一晩待ってもトシは帰ってこなかった。あいつだってどこかで飲んだくれて寝込むことがないわけじゃあないが、それにしても誰にも何の連絡もないというのは例がない。 朝になって、幹部の携帯電話に付けられているGPSで検索をしたところ、そこはお堀端の近くで、現場に急行させたが携帯電話が落ちているきりだった。 ここにきて事態が尋常ならざることに気づいた。慎重を期して緘口令を引き、捜索本部を立てたのが午前十一時。携帯電話の発見された場所から屯所までをしらみつぶしに当たらせている。 攘夷も桂を筆頭にこのところ正面からの衝突を避けるのが主流になっているものの、高杉のような過激派はいつだって付け入る隙を狙っている。またはどこかの新興一派か。実力を誇示するための材料として武装警察の副長は格好の標的だろう。 恨みなら星の数ほど買っている。どこかに拉致されているならば、動きがあるまで待つしかない。犯行声明が出るか、何らかのコンタクトはあるはずだ。最悪見せしめの死体がどこかに、そこまで考えて俺は首を乱暴に振った。 「くそ、」 「局長、」 永倉のこわばった声に話しかけられて我に返る。押さえた自分の眉間には酷くしわが寄っていた。 「すまん、」 不安なのは俺だけじゃない。局長の俺がこんなことでどうする。 「あいつはそう簡単に攫われるようなタマじゃねえよな、」 おどけるように言ったけれど、きっと上手く笑えてはいないだろう。 永倉は俺の背中をぽんと叩き、大きくうなずいた。 「ああ、機嫌の悪ぃ副長攫うなんざ一個隊ぐらいは必要だし、そんな大立ち回りをやったら目撃者がいないはずもねえ」 俺もそれがひっかかっていた。争ったのならば何らかの痕跡は残るはずだ。携帯電話が現場に残されていたのもおかしい。付近の聞き込みもしたが、人通りも店も多いのに不審者も不審車両も目撃されていなかった。 「あの、」 司令室の扉から遠慮がちに顔を覗かせているのは山崎だった。 「何だ、」 「いや、その、わざわざ耳に入れるほどのことじゃないかもしれないんですが、」 「いい。言って見ろ」 今はどんな情報でも欲しい。促せば、山崎は口ごもりながら町人の噂になっているという人食い桜の話を始めた。 「……まさか、トシがその桜に食われたっていうのか」 場所なら符合する。しかしそんな、荒唐無稽な。 ビー、とけたたましいサイレンが鳴り響いた。すばやく取った永倉が応答すると、色めきたってこちらへインカムを差し出す。 「局長、原田隊長から無線!」 インカムをひったくるように受け取り、短く答えた。 「原田か、どうした」 「見つけたぜ、副長だ」 息を飲んで低く唸る。 「無事か」 「……脈はある、が、なんともいえねえ」 どくり、と鼓動がうるさくがなり始める。俺は努めて感情を押し殺して言った。 「至急救急車両を手配する」 すると原田はイヤホンの向こうで、戸惑ったような声を出した。 「いや、そうじゃなく、……その、トラクターを手配してくれ」 「んな、ばかな」 到着したトラックから下ろされたそれを見て、俺は喉を鳴らした。 一抱えもある桜の、腹の部分にトシが埋まっている。露出しているのは胸から上だけで、下半身はすっかり樹と一体化していた。 救護の隊士が早口で言付ける。 「意識はないんですが脈、呼吸ともに正常です」 「これが、人食い桜」 呆然と呟くと、横に並んだ原田も眉をひそめた。 「俺も噂は聞いたことがある、しかしまさか、ほんとの話とは」 「局長、こっち、見てください、」 濡れ縁から山崎が手を振るので、追って電算室に入る。画面にはデータとともに、大きく桜の画像が角度を変えて映し出されていた。 「あれ、地球の桜じゃないんです。てんびん座のグリーゼ581c惑星原産の植物。植物なんですが、地球のそれとはちょっと違って、食虫植物ってあるじゃないですか。それに似て、虫じゃなく人間を捕食するんです。精神に感応して本人に一番都合のいい幻覚を見せ、それを餌にしてああやって胎内に取り込み、栄養に変えるみたいで」 怖気に襲われて俺は背筋をふるわせた。栄養になんざ、されてたまるか。 「それじゃぶった切ればいいのか、」 「だめです」 山崎は激しく首を振った。 「意識が戻らないうちに木を切ると脳死状態になってしまうんです」 「意識が戻れば」 「戻ればいいんですが、一度とりこまれると、その」 戻ることは滅多にないそうです、そう言って語尾を濁らせた。 嘘だろ。 俺はふらふらとした足取りで表に戻ると、幹に駆け寄ってトシの頬を叩いた。 血色もよく、本当に眠っているだけのように見える。 「おいトシ、起きろ、」 もう一度、強く叩くがまぶたはぴくりともしない。 「起きろよ、トシ、ふざけてんじゃねえ、」 自分の声が震えているのに呆然とする。 誰だって夢の中が幸せなら、そこから戻りたくないと思うのかもしれない。でも。 俺は血が出るほど唇を噛む。 そんなん、させるか。 100830 |