アパートの前で揉み合うのもみっともなかったので(傍目には俺がひとりで騒いでるみたいに見えるわけだし)とりあえずと部屋に上げ、大きくもないちゃぶ台を囲む。 総悟は小柄だが、トシと疫病神の彼はそこそこの肩幅がある。正直六畳一間にはぎゅうぎゅうだ。トシと総悟に冷たい視線を送られ、家主だというのに俺がいちばん肩身が狭い。 疫病神の彼は差し出した茶をしれっとして啜っている。 「なんで上げちまったんだこんなやつ」 トシがぶつくさと文句を垂れれば疫病神くんは、 「お言葉だが、少なくとも、そこにいる彼よりはお役に立てると思うね」 そう云って挑発的に一瞥する。 「んだと」 膝立ちになるトシをまあまあと抑える俺を尻目に、彼は湯飲みを卓にとんと置いた。 「君は学生なのだろう?」 「え、ああ、うん」 「大学で試験やらレポートやらあるだろう、どうだい、家庭教師を買って出ようじゃないか。大抵の科目なら力になれると思うよ」 「え、まじで!」 それは有難いことこの上もない。前のめりになった俺に、総悟は肩を竦め、トシは厭そうに歯を見せた。 かくしてついに俺の寝床は押入れに追いやられることになった。 寝苦しさと引き換えだったけれど、五月になって授業で課題が出るようになると自分の選択が間違っていなかったことがわかった。 教え方も上手くて、飲み込みの悪い俺が何度同じ事を聞いても、(ため息は吐かれるが)辛抱強くつきあってくれる。トシと同じく名前がないというので、尊敬もこめて俺は彼を先生と呼ぶことにした。 一般教養のレポートなど、先生がいてくれなかったらどうなっていたことやらわからない。 どこにでもついてくるトシと違って、学校やらバイトのとき、先生はおとなしく留守番をしてくれる。 土地神さまらしいけれど、ほんとによくモノを知っている。なんでも近くに百数十年前に図書館ができて以来、足しげく通っていたんだそうだ。 「あ、もうこんな時間」 欠伸をしながら背を反らせば視線の先、プラスチックの目覚まし時計の針は深夜二時過ぎを指していた。 押入れの戸を引いてちらと窺う。勉強が退屈でふてくされて押入れに入りこんでいたトシは、そのまま寝てしまったようだ。すやすやのんきな寝息を立てている。 (最初のうちは意地になって一緒になって聞いていたが、欠伸をする頻度からみてトシの頭はおれと同程度だということがわかった) 「寝るかい?」 開いていた教科書を閉じ、顎を触りながら俺は席を立った。 「んー、そだな。顔洗ってヒゲだけ剃りたい」 ユニットバスの扉を開けて、フォームが切れていたことに気づく。 「あ、やべ」 あとで買いに行くつもりだったのを忘れていた。それからトイレットペーパー。 「先生、俺ちょっとコンビニ行って来る」 カギとサイフだけポケットに入れると、 「付き合うよ」 と先生も腰を上げた。 アパートのドアを開ければ夜風が気持ち良い。夜更かししてハイなのもあり、はしゃいだ足取りでカンカンと階段を鳴らした。 並ぶと先生のほうが頭半分ぐらい低い。体が細いからもっと小さく見えるけれど、俺の耳の辺りだから百七十半ばぐらいはあるだろう。トシもそれぐらい。昔のひとにしてはでかいのな。 最寄のコンビニまでは国道を渡って徒歩七分程度。買い物はすぐに終わった。 ショートカットするために大きなマンションの敷地を通り抜けることにする。敷地内には背の高い木があちらこちらに植えられていて、初夏の緑の匂いが鼻先をくすぐる。 「このマンションができる前は団地で、その前は雑木林だったんだよ」 「へえ、そうなの」 「もっと大振りの木もいっぱいあった。多少はこうして残してくれたようだけれど」 通りすがりに幹を撫でる。 「これは八十年ぐらいだな」 そう呟くのを見ていたらふと気になって尋ねた。 「そういや、先生は何歳ぐらいなの?」 「僕は承久年間の生まれだからね。ざっと八百年ぐらいかな」 「は、はっぴゃくねん?」 そりゃあケタが違う。トシが三百年とか言ってたから、比べて大人びて見えるのもそういう訳なのかな。 「やあ、でもほんとに助かってるよ。俺全然大したことしてないのにさ」 なにせ鳥居を起こしただけだ。屋根を葺きなおしたり、ペンキ塗りなおしたりぐらいしないと割に合わない気がする。そう言えば、 「君はほんとにお人よしだな」 ふう、とため息を一つ吐いて、先生は眉を寄せた。 「ただ鳥居を起こしたとか、ほんとにそれだけのことで僕がこうして君のところに恩を返しに来ると思うかい」 「へ」 いや、それは。確かにヘンだと思うけれど。トシのこともあるし、日本の神様って義理堅いのかなと、それぐらいの認識だった。 先生はそもそも、と前置いて腕を組んだ。 「僕やあの貧乏神の彼みたいなのが、どうやって生まれるか知っているか」 素直に首を振ると、先生は続ける。 「僕らの魂は元々、この世に強い負の執着を持つ人間のものなんだ。口減らしや人柱などにされたり、飢饉で飢え抜いて死んだり、それが寄り代や民間の信仰心と結びついて再び意識を持つようになった。 けれど僕や彼のような存在は低級で、人間に害を与えることは出来ても福や富を与えることは出来ない。そういう位の高い神になるには、死んだときの負のエネルギーを許しや、正のエネルギー体と交わることによって浄化しなければならない」 耳慣れない言葉に、俺は話を遮った。 「正の、エネルギー体?」 頷いた彼は眉尻をちょっと下げた。 「生きている人間の中にたまに存在するんだ。傍にいるだけで浄化される、そう、君みたいなね」 ついと胸元を指差されて瞬く。 「君はとびきり強いよ。今まで八百年、見たことがないぐらいだ」 うまくイメージができないけれど。俺が暖房みたいなもんで、身体が冷えちゃった人が傍に来てあったまるってかんじなのかな。俺の貧困な想像力ではそのあたりがいいところだった。 つっかえつっかえそう伝えれば、先生は曖昧に笑った。 「そうだね、そして僕があったまっても、君にいいことはないんだよ。むしろ僕が傍にいると病気に罹りやすくはなるし」 先生の声音がいつも自信たっぷりな彼らしくなかったので、俺は早口でまくし立てた。 「でも、暖房としては本望だよ、だって凍えてない人には意味ないんだしさ。誰かの役に立てるってのなら嬉しいし、俺、丈夫なのが取り柄だし」 先生はぷっと噴きだす。 「君はほんとに面白い男だ」 「決めた」 マンションの敷地を出て十字路に来ると、ひとしきりくすくす笑っていた先生は俺に向き直った。 「あんまり情が移っても困るから、僕は君の家を出ることにするよ」 「え」 「テスト前なんかには呼んでくれれば、そうだな、ワインの一本ぐらいで手を打とう」 勉強のこともあったけれど、純粋に寂しいと思った。せっかく仲良くなれたのに。 それが顔に出てしまっていたのか、頭をちょっと撫でられた。 「俺お参り行くから。またな」 大げさなぐらいに手を振って彼を見送って、ひとりになってはたと思い出した。 トシがミツバさんに対して呟いていたせりふ。 トシが俺の事を慕うのも、正のエネルギーとかいう、そいつのせいなんだろうか。恋愛感情なんかじゃなくて。 091105 |