数日暮らしてみたけれど、この妙な共同生活は賑やかで悪くないものだった。もともと大家族で暮らしていた俺は多分一人だったら淋しくなっていただろうと思う。夜は大抵総悟が乱入してくるので今のところ間違いもないし、貞操(というのかわからないけれど)も安泰だ。 科目登録があって、あわただしく授業が始まっても、トシはほてほて俺の後ろにカルガモみたいに付いてきた。人前では会話は小声にしようと心掛けてはいるが、なんでもかんでもあれは何だこれは何だと聞くトシの相手をしていると傍目には畢竟独り言を言っているようにしか見えないのであって、俺はちょっとアレな人に見えていると思う。教室でなんとなく遠巻きにされているのが痛い。 バイトは最寄駅の反対側、幹線沿いのGSに決まった。大雑把だから細かい作業はおっかなびっくりだけれど、力仕事なら向いている。 今日はバイトの初日、一日働いてさすがに疲れた。俺は肩をぐるりと回す。それから斜め後ろ、塀の上の猫に余所見をしているトシに唇を尖らせた。 「手ェ出すなって言っただろ。みんなびっくりしてたじゃんか」 興味本位で握ったノズルが一瞬で真っ黒になり、先から出るガソリンがどろりと原油みたいな色になってスタンド内が暫し騒然となってしまった。あんなの給油 したら故障しちまう。 トシはふんとそっぽを向いた。 「あれぐらいでダメになるなんて安物だ」 ごめんなんて絶対言わないんだ、こいつは。やれやれと肩を落とした。 アパートに向かって住宅街を歩くうち、いつもと違う道に入りこんでしまっていた。この辺りの区画は縦横綺麗に整備されているから一本隣にずれたところで変な方向へは行ってしまわないだろう。きょろきょろしながら歩く。昔ながらの家なんかも多く、緑が塀にかぶさる様に茂っている。たそがれ時なのもあってちょっとした森みたいに見える。 塀が途切れた向こうに微かに赤いものを見つけて、俺はひょいと覗き込んだ。 「へえ、こんなところに神社なんてあるんだ」 竹やぶの奥、見える社は年季の入った、どこか品のある佇まい。社の手前に何本か並ぶ鳥居の朱は随分剥げている。 なにか違和感を感じてよく見れば、その中の一本が斜めになっているのに気づいた。 「あれ、傾いてる」 敷地内に踏み込もうとすると、トシがとがった声を出した。 「近藤さん!そんなのほっとけよ」 「なんだよ、いきなり」 トシをいなしながら該当の鳥居に近づき、よいしょ、と立て直す。根元を足で慣らす。社の前にはかけた湯飲みなどが転がっていて、もうずいぶんと人の立ち入っていないことが窺い知れた。湯飲みを直して手をちょっと合わせる。 「そんなのかまうなよ」 手を合わせている間もやな予感がする、とぶつぶつ呟いていたトシは俺が面を上げるとすぐにせっつき始めた。 「早く帰ろうぜ。ほら早く!」 後ろから小突かれてなにがなんだかわからず、ともかく社を後にした。 アパートの前で学校帰りらしい総悟を見つけて大きく手を振る。 「おー総悟。ただいま」 総悟は眉をひそめて、渋い顔で俺のうしろを指差した。 「近藤さん、またつれてきちゃったんですかィ」 指された方を振り仰ぐけれど、スーツ姿の若い男が一人いるきりだ。 「へ」 顔を戻せば、総悟は口元を歪めて見せた。 「それ、人間じゃありませんぜ」 総悟に云われて、思わず二度見する。若い男は俺に向かって、にこりと笑いかけた。 「だから言っただろうが」 舌打ちをひとつしてトシが唸る。 でもどこをどう見ても普通の人間にしか見えない。トシみたいに浮世離れした格好でもないし。 軽い色の短髪にセルフレームのメガネ、ダークグレイのスーツは型も凝っていてぴしりと決まっていて、まるでどこぞのファッション雑誌から抜け出してきたようだ。 事態が飲み込めずにあんぐり口を開けていると、ブリッジをちょいと上げて彼は俺に言った。 「さきほどは世話になった。僕はこういうものでね」 手渡された名刺をしげしげと見やる。 伊東神社 祭神、という肩書き。名前のところは空欄になっている。 「君はいまどき珍しく信心深い、見上げた若者だ。ひとつ礼をしたい」 「近藤さん騙されちゃいけねぇ、こいつもアレと同類ですぜ」 アレ、と親指がさすのはトシだ。総悟の刺々しい声音に、彼の表情が僅かに曇る。 「失敬な」 「……そうなの?何の神様?」 顔を近づけて無遠慮に眺める。尋ねれば、ゴホンと変な咳払いをした。 「…神だ」 あちゃあ、と顔を覆う総悟。今にも掴みかかりそうに彼を睨みつけるトシ。よく聞き取れなかった俺は二人を見比べて、もういちど彼に尋ねた。 「何だって?」 もごもごと声が低く、でも今度は聞こえた。 「疫病神、だ」 091005 |