「ただいまー」 近藤が開け放された屯所の入り口を潜ると、出迎えた土方は口を真一文字に結んで俯いていた。 どうも様子がおかしい。いつもならおかえりなさい、というせりふと共に飛びついてくるはずだ。 近藤は首を捻り、踵を踏んで靴を脱いだ。 「トシ、どうした?」 大股で近づき、前髪をかきあげて尋ねる。土方はぐっと眉をひそめ、それから意を決したように顔を上げた。 「いっちゃんはお妙って女が好きなの?!」 必死な声に噛みつかれ、近藤は固まった。 「あ、あー、えっと…」 改めて問われると恥ずかしいが、誤魔化す理由はない。こくりと頷くと、土方は息を呑んで腕を振り上げた。 「なんで!」 力一杯胸板を叩かれて、噎せそうになる。仕草は子供のものだが成年男子の力だ。 近藤は目を白黒させ、胸の前で腕を交差して攻撃をガードした。 「おれのこと、およめさんにしてくれるっていったじゃないか!」 土方はすっかり涙目になっている。声音はかわいそうなくらいに割れていた。 近藤は狼狽して唸った。 確かに土方が十かそれくらいの年頃、大人になったら嫁に貰ってくれとせがまれ、根負けして指切りか何かをした憶えがある。そのころの土方はそこらの女顔負けの容貌だったし、自分を慕ってくるその心根をほんとうにかわいいと思ったことは事実で、当時の自分は将来的にそうなっても悪くないと考えていたように思う。 けれど。 「トシ、あれからもう十年以上たってるんだぞ」 肩をおさえ、諭すような口調に、土方は隊服の襟元をつかんで縋った。 「俺がかわいくなくなっちゃったから?こんなにおっきくなっちゃったから?」 「そうじゃない、そうじゃないが…」 近藤の目の困ったような色を読んだのか、土方は急に顔を歪めた。 「う、うああー」 堰を切ったように泣き出され、近藤は面食らって瞬く。 「お、おい、トシ…」 対応に窮していると、泣き声を聞きつけてどやどやと他の隊士が見物にやってきた。すぐに二人を遠巻きに人だかりができる。 「局長が副長泣かせてるー」 「いけないんだァ」 「子供泣かせちゃかわいそッスよォ」 無責任な野次の数々に焦り、近藤は行き場のない手を持て余す。 「いや、違う、その、これは…」 輪の一番外側で、山崎は沖田に視線を遣り、肩を落とした。 朝からずっと土方の姿を見ない。見回りの引き継ぎが終わって一息吐いた近藤は、食堂の前の廊下で山崎を見つけて声を掛けた。 「どうした、お姫さんは」 「昨日から部屋に籠もりきりで」 飯もいらないっていうし。膳を抱えふぅとため息を吐いた山崎に、どうしたものかと腕を組む。 あれから十数年たった。自分たちはもう子供じゃない。 もちろん今でも近藤は土方のことを憎からず思っているし、それどころか多分に一番大事な人間だと認識している。近藤自身に占める、土方という存在のパーセンテージはあのころとなにも変わらない。 けれど時が流れ、世界が広がって、沢山の人間と交わる中で、ふたりの関係も変容したはずだ。 土方だってわざわざ口にしないだけで、近藤の知らないところでそれなりに恋愛だのを楽しんでいるだろう。わざわざ近藤を選ばずとも、相手はいくらでもいる。思春期の頃の淡い想いはもう風化しているに違いない。 あのころと同じ気持ちのままでいられるわけがないんだ。 そう思うと少し淋しい気分もした。小さくかぶりを振る。 土方の部屋の前まで来ると、近藤は障子に軽く拳をぶつけた。 「トシ、入るぞ」 「いっちゃん!」 戸を引くなり飛び出してきた土方の表情は明るく、息を弾ませている。拍子抜けした近藤に、土方は厚紙でできたアルバムのようなものを突きつけてきた。 「ほら、見て見て」 中を開いてみせる。丁寧に綴じられているのは、小さな押し花だった。 茶色く変色してはいるが、わっかの形になったシロツメクサの押し花。 「これ、いっちゃんがおれにくれたやつだよ」 「まいったな…」 こんなもん、トシまだ持ってたのか。 婚約するには指輪がいる、とマセた土方にせがまれ、作ってやったものだ。 不器用な近藤の手ではなかなかうまくわっかにならず苦戦したことを思い出す。 「ほかにもあったよ、いっぱい」 畳には、天袋で見つけて引っ張り出したという、こうりの中身が拡げられていた。 万年筆やら、ピンやら、お守りやら、その他細々としたもの。 見覚えがあると思ったら、どれも近藤が土方にやったものだ。 つい最近お下がりでやったカフスボタンも大事そうにびろうどの小袋に仕舞われている。 膝をついてしみじみと検分する近藤に土方は口元を綻ばせる。 隣にぺたりと座って得意げに云った。 「何年たったって、おれはいっちゃんのこと好きだよ」 取り繕う事をしない表情はまるで無防備で、近藤はつられて目を細めた。 「ねえ、わかった?」 袖を引かれ、かなわねぇなぁ、と漏らす。 「ああ、わかったよ」 土方は微笑むと、膝立ちで近藤の首に抱きついた。 惚れた女の話題を持ち出すと決まって無口になること。 スキンシップに身体を堅くするくせにまんざらでもなさそうにはにかむこと。 寝言で近藤の名前を呼ぶのを聞いた事も一度や二度ではない。 思えば材料はいくらでもあげられた。 意識的にか無意識的にか、違和感をすべて握りつぶしてきたのかも知れない。 自分の無神経なからかいや惚気を、どんな気持ちで聞いて、 どんな気持ちで十何年、傍にいる事を選び続けたんだろう? 気紛れに自分から与えられるものをこんなふうに後生大事にしまいこんで、それだけを噛み締めて寄り添ってきたのなら。 そうなのだとしたらあんまりに土方が不憫に思えて、そして何より自分を赦せなくて、近藤は脇でこぶしを握りしめた。 「いっちゃん?」 頭を肩口に押しつけて、ぎゅうと抱きしめる。 言いたい事がある。聞きたい事がある。 だから。 「戻って、こいよ…」 |