「あの、これつまらないものですけど」 一礼をしてコンビニで買ったソバを差し出す。 「あー隣の。学生さん?」 うだつのあがらなさそうなサングラスのおっさんは、腹巻に手を入れながらソバのパックを受けとった。 「オレ長谷川。しがない男やもめだから、女の子連れ込んだりは手加減してね」 まあアンタなら大丈夫そうだけど、と失礼な感想を吐いて、じゃあオレ夜勤だから。と手をヒラヒラ振ってドアを閉めた。 「ほんとにみんなには見えないのな」 すぐ後ろのトシをしげしげと見る。トシはふんと鼻を鳴らした。 「これでもう挨拶はいいのか」 下の部屋と横の部屋。斜め下は空室だったからいいかな。 「うん、もうひとり大家さんとこに行かなきゃ行けないんだけど、今日明日留守にしてるって言ってたから」 貧乏神と聞いて眩暈がしたけれど、よくよく聞いたらなんでも神様には格があるらしく、身代を傾けさせたりするには全く力が足りないのだと。せいぜい失くしたものが戻ってきにくいとか金が気持ち貯まりにくくなるとかその程度のことで、(それだって全く有り難かないけれど)良くも悪くも大きな影響はないそうだ。 ただ迂闊にモノは握らせられないことがわかったので結局片付けは俺がひとりでやるしかない。あのあと数時間かけてやっと床が布団一枚ぐらい見えるようになった。 しかしそんなら返す返すも、こいつなにしに来たんだろう、という疑問は残る。自分が恩なんか返せないことは自分でもわかってるんじゃないか?それとも恩返しというのはウソでほんとは俺のこと恨んでるとか。でもそれにしては素直になんでも喋るし、基本目つきも愛想も悪そうなのに目が合うとはにかんだりする。 悪意があるようにも思えないんだけども。 シャワーを浴びて八畳間に戻ると、さきほど敷いた布団の上にトシが正座していた。 「ん、どしたの、お前も水浴びる」 ぶるぶると首を振る。俯いているせいで頭巾が目深に被って表情が伺えないけれど、唇は強くかみ締められている。なんかヘンだなと思いつつ布団の端に膝をついた。 「布団いっこしかないから、狭いけどかんべんな」 動く気配がない。そんなに真ん中に座られると困るんだけど。 トシは低く唸って、つっかえつっかえ云った。 「お、おれ、三百年護ってきたから」 「へ?」 「は、はじめてだから、その、優しく、して、欲しい」 もごもごと最後のほうは小さくなっていく。 俺はさっぱり話が見えなくて尋ねた。 「……何を?」 「皆まで言わすんじゃねえよ!」 ばふ、と枕が投げつけられる。頭巾が勢いで後ろに脱げて、上げた顔は真っ赤だった。 「よ、夜伽してやるって言ってんだ」 「は?」 「わかんねえのかよ。今の言葉でいうと、せ、せ、せっくす、だ」 えすいーえっくす。アルファベットが脳裏に並んで、更に混乱する。 いやいや、だってその、俺も男でお前も、 「え、トシ、女の子なの?」 「おれのどこが女に見える」 噛み付かれて、そうですよねハイ、とかしこまる。 「普通男同士では」 「男同士だってするだろ」 ああ、トシは人間じゃないし、なんかそのへんの感覚が別なのかもしれない。昔の人だから常識も違うのかも。でも。カオスになった思考で搾り出す。 「……えっと、こういうのは、その。恩返しとかそういう義務感でやるもんじゃなくて、好き同士のやることだと、思うんですけど」 しどろもどろに童貞丸出しの論理を披露すると、真っ赤だったトシの顔が更に耳まで赤くなった。枕が再度飛んでくる。 「ほんっと、殺人的に鈍いな!あんたは」 それからきっとこちらを睨む。 「義務感でこんなとこまで押しかけてきたと思ってんのかよ」 えーと。 フリーズした俺に、トシは縋るような目を向けた。 「いやか」 「い、いやってこた、」 じり、と膝に手を置かれ、至近距離で瞬く。近い。俺は視線を逸らせずに固まった。 だって俺、女の子にてんでモテなかったし、こういうのってすごい疎いし。 そりゃ性欲なんて有り余ってますしいつだって脱・したくて仕方なかったですけど。いやいやでも初めてが男て。しかも人外て。 俺はノーマルのはずだったんだけど、トシは確かに美人さんで、目なんか潤んでて、こうして近くで息を感じたらなんでか胸はずくずく高鳴る。少しだけ香るトシの、たぶん汗の匂いが鼻先を擽って、埃っぽさと相まってなんだかやたらいやらしくて、あ、睫長ェ。そっと瞼を伏せられて、キス待ってんだ、って思ったら頭に血が上って、不可抗力で上体が傾いてしまいそうになった、そのとき。 「待ったァァァ!!」 090705 |