「よしっ」 マジックで近藤勲、と書いたガムテープをポストの上に貼る。 ちょっと歪んでるのもご愛嬌。 俺は感慨深い気持ちでこれから自分の住処となる一室のドアに向き合った。 築二十年強、1K、かろうじてユニットバスつき。決して上等な部屋とはいえないけれど、それだって立派な俺の城だ。 暗い受験生生活をどうにか耐え抜き、さえない偏差値だけれど某大にどうにか滑り込むことができた。晴れて大学生、ここで俺のシティライフが始まる。 「市」だろうが、新宿からたっかい私鉄で一時間かかろうが、快速の止まらない駅だろうが。だって腐ってもここは東京『都』だ。 日本の全ての流行の発信地。常にどこかで何かが起こっている、眠らない街。ド田舎に育った俺にはここが東京というだけで視界がキラキラしてくる。 今までテレビや雑誌のなかだけにあった、指をくわえてみていた世界に今俺は身を置いている。これでテンションの上がらない若者がいようかいやいまい! 彼女作って、バイトして、バイク買って。バラ色の未来予想図がめくるめく。 勢い込んでドアを引く。思いのほか立て付けが悪くてギシと軋んだ。俺は馬鹿力だから難なく空くけれど、蝶番がいやなかんじに鳴ったのがちょっと不安要素だ。 後ろ手で閉め、電気のスイッチを探る。ばつんと付ければ黄色っぽい蛍光灯に大量のダンボールが照らし出された。畳の空いてるとこあんまない。 とりあえず今日寝る場所だけはつくらないとな。ダンボールの山にちょっと辟易しつつ、腕をまくって肩をぐるりと回す。 ひとまず一番手前のダンボールを引き寄せる。随分でかい、上に重い。小型の冷蔵庫でも入っているかのような大きさだ。 なんだこれ何入れたんだろ俺。横っ腹を見るけれどなにも書いていない。まあいいやとガムテープをひっぱると、やおら中から飛び出してきたものに俺は顎をしこたまぶつけた。 「ぐ」 潰れたカエルみたいな声を出してのけぞる。目の前に星が飛んで足元がふらつき、すぐ後ろのダンボールにぶつかって俺はその場にへたりこんだ。 「な、」 ちかちかする視界で瞬けばさきほどのダンボールからにょっきり生えているのは人間だった。 真っ黒の頭巾とくっついてるようなマントをずるりと引きずった、若い人間の男。年のころは俺と同じかそれくらい。頭巾と長い前髪から覗く顔の造作はきれいに整っているけれど、やぶ睨みの三白眼がどこか剣呑な雰囲気を醸し出していた。 俺は目の前の状況を上手く整理できなくてぱくぱく口を開いた。叫ぶタイミングはとっくに失われている。 変質者。泥棒。俺の貧弱な想像力で思い当たるのはそれくらいで、いずれにしてもそれなら叫んだほうが良かった。お隣さんに挨拶先にしとけばよかった。 俺が逡巡しているうちに、先に相手のほうが動いた。のそりとダンボールから這い出し、軽く背伸びをする。それからずかずかとこちらへ近づいてきた。 「こんどういさお」 「は、はい」 呼ばれて反射的に応える。声は抑揚がなく低かった。 「今日からあんたに憑いてやる、いいな」 適当な漢字変換もできない。俺は顔を思い切りゆがめた。 膝を詰めて三十分。ぼそぼそと語られる、要領を得ない話を総合するだに。 こいつは自称、俺の実家の裏山の神社に祀られている神、だそうで。 誰も見向きをしなかったその朽ち果てた祠を参り、供え物をし、たまに掃除をしていた俺に恩義を感じてはるばる東京までついてきた。という内容を、とても恩義を感じているとは思いがたいようなふてぶてしい口調で説明された。 確かに俺の住んでいた家のすぐ裏手の山にはそんな祠があった。昔飼っていた飼い犬の散歩コースで、誰からも忘れ去られているかんじがなんだか寂しかったので毎回手は合わせたし、その犬が死んでからはそこに小さな墓を作ってしばしば供養に立ち寄った。(だから正確には俺が供え物をしていたのはわんこのほうだ) だから思い当たる節はある、けれど、はいはいそうですかと納得するにはあんまりに荒唐無稽すぎる。 だって俺霊感とかないし。フツーにダンボール重かったし。ただ単にちょっと頭の残念なひとなのかもしれない。カオはいいのに、かわいそうにな。 俺は向かい合って座ったそいつの肩をばんばんと叩いた。ちょっとびっくりしたようで上体が反らされる。 「悪いけどさ、どう見ても生身の人間にしか見えないんだけど」 目は不機嫌そうに細められ、チッと舌を打った。徐に立ち上がると俺の手を引き、風呂場のほうを指差す。引きずられるままに歩めば、そいつはばたんと風呂場のドアを開けた。 「なんだよ」 きょとんとして風呂場を覗いて、そいつのほうを一瞥して、ぎょっとしてもう一度視線を戻した。洗面台の鏡には俺しか映っていない。混乱する頭でそいつの身体を自分と鏡の間へ引っ張る。それでも映っているのは俺と、なんだか不自然に宙を掴んだ俺の手だけだった。 「納得したか」 「……なんだこれ、何のトリックだ」 呆然と漏らせば、そいつはふんと鼻を鳴らした。 「信じないなら他の人間を呼んで来い。おれを見ることも能わないはずだ」 「なんで、俺にだけ」 見えるの。皆まで言わせず声は答えた。 「あんたにはわかるように、強くあんたの感覚に入り込んでるからな」 そんなもんなのか。でも確かによくよく見ればこいつの足元には影がない。畳の上を歩いてもちっとも床は軋まない。自分の身にリアルなオカルト現象が起きている、ということを、いよいよ俺は受け入れなければならないらしい。 「てことで、あんたに恩を返すまでおれはここで世話になるぜ」 いいな、と反論の余地もなく念を押され、ぐうと喉が鳴る。 恩返しの押し売りかよ。と思ったけれど、飽くまで好意でやってくれているのだったら断りづらい。相手はどうやらマジモンの神様、らしいし。ヘンに祟られても困るし。 俺は観念することにして肩を落とした。 「わかった、えっと、……名前は?」 そいつはちょっと眉を上げて瞬いた。 「いつもの名前で呼べばいいだろ」 「へ?」 「トシって呼んでただろ、おれのこと。よく話しかけてきたじゃねえか」 クエスチョンマークがみっつほど俺の頭の上に浮かんだ。そうだ、俺はよくあそこで祠相手に話しかけていた、けれどそれは死んじまった犬のトシに対するあれこれであって。 「いい名前だよな、気に入ってるぜ」 ちょっとはにかんで云われては今更否定もできない。 「えーと、じゃあトシ、とりあえずこの荷物片付けるの手伝ってくれよ」 「めんどくせえな」 ぶつくさ呟きつつ、(ほんとに恩を返す気があるのか)トシも腕をまくった。よっこらしょとダンボールのひとつを抱える。 神通力でパーて片付けてくれるのとかを期待してたんだけど、あー、なんか結構地味なのね。 「あ、それ台所ね」 おう、と返事をして流しの前に置く。俺も手分けして片付けてかないと。別のダンボールに向きあって、ちらと振り仰いだら、トシの手に握られた鍋の色にぎょっとした。 「ちょ、ちょっとちょっと」 「あ?」 駆け寄れば鍋は真っ黒に錆びている。実家を出たときはこんな色じゃなかったはずだ。左手に持ってる包丁も。刃先がボロボロに欠けている。覗いたダンボールの中のその他の調理器具は無事だった。はい、と鍋を手渡され、今度は右手にお玉を掴む。掴まれた瞬間、お玉の銀はとたんに真っ黒になった。 俺はすごく、ものすごく厭な予感がして、おそるおそるといった体で尋ねた。 「ねえ、トシ、神様なんだよね」 「ああ」 「あの、その、どんな神さま?水神とか山の神とか福の神とか色々あるよね」 八百万も種類があるっていうけど。ひきつって笑いかけると、少しも悪びれることなく、トシはしれっとして云った。 「貧乏神だ」 俺は生唾を飲んだ。 貧乏神がどうやって恩とか返すつもりなんだ。脂汗が額を伝う。失神して全部夢にしてしまいたい気分だ。 090629 |