八八二三(漆)


犯人が捕まったのはそれから間もない、九日の未明だった。
所轄の奉行所に手柄は攫われてしまったが、ひとまずの事件解決に組は沸き立った。

下手人は盲目の托鉢僧で、杓の中に刀を仕込んで凶器にしていたという。ひょろりとした柳のような男で、これでは見逃しても仕方がないと思われる生気のない 容貌、寺に転々と寄宿していたのが目くらましになっていたようだ。

担当した与力によると、取り調べても禅問答のようでてんで会話にならないらしい。動機があるわけでもなく、たぶん元よりの気狂いで、誰を何人殺したかもわ からないという供述をしているとのことだった。


組ごと後処理に動員されていた俺は、彼女の通夜には間に合わなかった。
葬儀も終わり近く、俺の姿を見ると母親は激昂して塩を投げつけてきた。
俺に関わったばかりに、と喚く声に、ただ頭を深く下げた。中には入れてもらえそうになかったので香典だけ受付に預けて帰った。
読経の声はどこか遠く、俺の心を騒がせるものではなかった。



屯所の玄関、下駄箱越しにたたきのほうから会話が聞こえる。
「でも、おかしいよな、おすずさんの事件だけさ」

靴を脱いだ俺は床板を鳴らして声に割り込んだ。
「なにがおかしいんだ」
抑揚のない問いかけ。はっとした顔の山崎、永倉は俺を前に気まずそうにしている。
「あの、すみません」
「彼女の事件だけ、何だ」
「いや、なんでも、ちょっと思っただけですから」
『恋人』を亡くした俺に遠慮しているのか言いよどむ山崎を、低く促す。
「いい、云え」

ええと、言い辛そうに山崎は前おいて喋り始めた。
「最後の事件の死亡推定時刻だけ、七日だったでしょう、変だなって」
ああ、と俺は肩を小さく落とす。
「あれは週刊誌が書いてただけだろう」
「そうですかね。快楽殺人の類ならそういう自分ルールは外さないものなんですけど」
「七日の深夜だから、八日みたいなもんだろ」
「そんなもんですかね」
「そうだ」
断言すれば、山崎は少し胡乱な顔をしたが、俺の寄せられた眉をどう受け取ったのか、小声ですみません、と謝った。
こいつが謝る必要なんかどこにもないのに。




「だたいま」
自分の部屋の戸を引けば、机の前に座るのは紺の着流し。短髪がぴくりと揺れてゆっくり振り向いた。お帰りも言わずに紫煙を吐き出す。

隊服を脱いで壁にかけると、足をする音が背後に寄る。
背中にこつりと、額があたる。首筋をつややかな黒がくすぐる。

「抹香くせぇ」
ふん、と鼻を鳴らしてトシが言った。
「すぐに消える」
トシはたぶん返事を聞いていない。そのままゆっくり頬を擦る。じんわり背中に広がる体温をしばし味わう。

両腕がそろりと俺の脇に周り、体重を預けられて前に膝をついた。壁伝いにずるずる座り込んで、俺は腰を捻ってトシの首を抱え込んだ。
獣みたいに絡み合って床に転がる。鼻に抜ける音が甘い。苦いメンソールの口付け。

今トシは俺の腕の中で恍惚とする。あのときと同じだと、俺はまざまざと思い出す。



世界は一変した。
正しさは俺の中にもう微塵もない。
今までだって清廉潔白であったわけではない、剣を振り回す中で誰も傷つけてこなかったとは云わない。それでもなにやかやで理由をつけて割り切って、俺は俺 を恃んでいられたしどこにも後ろ暗いところなどないと思っていられた。
もはや酌量するような情状も理屈もない。正当化するだけの価値は既に俺にない。

トシの開けた扉に、俺は一緒に入ることを選んだ。

底なしの泥のように肢を掬う、
けれどこの泥をトシに吐かせたのは俺で、
それなら修羅の道行きを、こいつだけにさせられるはずがない。

けれどまたこうも思う、、
あのとき地面に転がっていたのが彼女でなくトシだったら、きっと俺は寸分の迷い無く彼女を斬っていただろうと。
その意味を解きほぐすことはやめにしておこう。そんなことがわかったとて今更どうしようもないのだ。


トシの吐く息が熱い。舌は境界をなくしたように痺れて震えている。





090519