「……上等だコラ…」 「あーもう、この人テンパっちゃいましたよ。もういいから、銀さん上に戻って」 「へーい」 やる気のない声が頭の上で響いた。気の抜けた顔をした銀髪野郎が、スナックの二階へと千鳥足で戻っていく。 「…勝った」 「引き分けがいいところじゃないですか」 グラスを握ったままカウンターにつっぷしている俺に、眼鏡が声をかけてくる。 そういえばこの眼鏡野郎は、あの女の弟だった。 よく見ればどことなく顔が似ていたが、うり二つという程でもないので助かった。今あの女の顔を見たら、鞘から出たがる刃を止める事ができそうにない。 「もう一杯」 まだ空にもなっていないグラスを掲げて、次の酒を強請った。注がれたのは酒ではなく、冷蔵庫で冷した水道水。力一杯睨みつけたが、酒がしこたま入っているせいだろう。志村新八は変らぬ顔で、水割りになった日本酒を押しつけてきた。 「いい加減飲み過ぎなんじゃないですか?」 「放っとけ」 「銀さんと違って公務員みたいですから。売掛金を取りはぐれる心配はなさそうですけどね」 「手伝っているのか」 「まあ、たまに。神楽ちゃんが下りたがる時は一緒ですよ」 新八の手には、酒のグラスではなく湯飲みが握られていた。 よく見るとその手には剣ダコがあり、侍だった事が分かる。 道場主だった親父に死なれ、姉と二人でいまでもなんとか敷地と建物を手放さないよう踏ん張っているのだと聞いた。確かに、近藤とあの女が結婚すれば道場は安泰だ。あの建物はそのまま真選組の訓練施設として扱われるだろうし、何より堂々と剣を振う事ができる。 「お前も、入るか」 「はい?」 「真選組」 「冗談言ってると、鼻から梅干流し込みますよ」 「ああ。冗談だ」 結婚した女の、その親族が幕吏へと取り立てられる。そんな話は、実は珍しいことではない。侍に戻れるとなったら、この眼鏡野郎はどうするだろうか。 「これ見よがしげに刀下げてても、辛い事があるんですね」 「嫌われモンだからな。俺達は」 「神楽ちゃんの遊び相手を連れてきてくれただけじゃないでしょう」 「酒を飲みに来ただけ、…だ」 頭をカウンターの板から離すと、くらりと視界が揺れた。平衡感覚を失っているらしい。自分の手は確かにカウンターを掴んでいるはずだと言うのに、真っ直ぐに身を起こしている自覚は欠片も得られない。姿勢を保っているのは、視界から意識的に自分の頭があるべき位置を算出した結果だ。 「喧嘩ですか」 「あ?」 「近藤さんと。僕もよく、銀さんと喧嘩しますよ」 「フン」 「そういうもんなんじゃないですか。二人でいるって事は」 「お前らと一緒にするな。俺は近藤さんを尊敬してるんだぜ」 そうだ。あの人が俺の旗だった。どこに立っても見失う事がないよう、いつも風をうけてはためいている俺の旗。 薄くなった日本酒を煽ると、そのまま頭を下ろしきれず背後に倒れた。 椅子が床にぶつかる音がする。 不思議と倒れ込んだ時の痛みはなかった。 随分深酒をしたものだと、ぐるぐる回る天井を見ながら自嘲する。 「行ってほしくねぇな…」 本音が、ぽつりと漏れた。 俺の所から、どこにも行ってほしくない。 言ってみると、自分の惨めさに泣けてきた。 新八が割れたグラスを片付け、沖田とチャイナ女に毛布をかけている。最後に俺を担ぎ上げ、慣れた動作でソファへと転がされた。 そうして俺は、ひどい2日酔いを抱えたまま朝を迎えることになる。 朝と言うには少し遅い時間だったが、昨晩の言葉通り、志村妙の観察をはじめる事に異存はなかった。 |