「よし」 彼が書きつけていってくれたメモを見ながら作ったロールキャベツは、見た目もどうにか及第点になった。思わずひとりごとが漏れる。先生らしい、力強いけれどどこかかわいらしい字で、工程の横にポイントがわかりやすくつづられている。 付け合わせはりんご入りポテトサラダとコンソメスープ。スープは市販のやつをお湯に溶いただけだが、手抜きも大事です、と噴き出しに入って書かれてあったことまで実践した。 食卓に並べると、総悟の反応がいつもとは違った。料理と俺を見比べている。作ったんだよ、失礼な。 「残すなよ、ただじゃねえんだから」 ほんとはもっと優しい言葉をかけてやればいいのだが、生来の性格で口を衝いて出るのはこんなせりふばかりだ。 総悟は読めない目でこちらに一瞥だけよこすと、料理ととっくみあい始めた。黙々と箸を口に運んでいるので、味は悪くないのだろう。俺はほっとして自分の箸を取り上げた。うん、美味い。 総悟の皿は間もなく空になったが、ポテトサラダだけは一口食べて皿をこっちに弾きやがった。 「マヨネーズこんなにいれんじゃねえ」 そういうもんなのか。辛いのは好きなくせに、妙な味覚だな。 あれ以来、夜勤のない日、忙しい仕事の合間を縫っては、近藤さんは俺たちの家に顔を出してくれた。 彼が隣にいるだけで、総悟はもとより、普段眠りの浅い俺までぐっすり眠れる。 夜間の呼び出しなどがかかって彼が出ていくと、てきめんに目がさえてしまう。睡眠薬代わりというのは失礼だけれど、本当にそれぐらい効き目がある。 それを別にしても、顔が見たい、また会いたい。日増しにその思いが募って、俺は自分を持て余している。確かに彼がいると総悟の機嫌がいいとか扱いやすいといったことはあれど、それ以上に、変な重力にひっぱられるみたいに彼に惹かれている。人恋しいとこんなに思ったことはない。他人に対しては冷めているのが常だったのに、こんなのはおかしい。彼と出会ってからずっと血が上ったような頭を冷やさなければと思う、のだけれど。 風呂上がりリビングを伺ったら、近藤さんと総悟はアニメ映画を二人して見入っていた。近藤さんの子供みたいな横顔がほほえましい。邪魔をするのも悪くて、そっと自分の書斎にひっこみ、煙草と上着を取って寝室へと移動する。音をたてないようにガラス戸を開けて、つっかけを履いてベランダへ出た。夜風が気持ちいい。 後ろでサッシの音がしたのでふり返った。 「トシ。総悟、寝たよ」 「ありがとう」 このひとの前では自然に笑える、それがくすぐったくて嬉しい。 たいして年が違わないこともわかって、だんだんと砕けた口調になった。最初は十四郎と下の名前で、そのうち言いづらいからと勝手に縮められてしまった。それでも、俺を『トシ』だなんて呼ぶのは彼だけだから、彼に特別に名前を与えてもらったみたいで、呼ばれるたびに耳がじんとしびれる。 近藤さんは俺の手元を見やると眉尻をちょっと上げて見せた。 「煙草、まだやってんの」 「あ、ああ」 「トシの身体にも悪いぜ」 「ん、」 ばつの悪い気持ちで、それでも点けたばかりの火は消せなくて、軽く煙を吸い込む。 「これ、もしかして手作り?」 近藤さんがつついたのは、今羽織っているキルティングの部屋着。袖口のイニシャルに目を留めたのだろう。中綿が入っていて暖かく、デザインも上品で気に入っている。 「ミツバが作ってくれた」 「ああ、」 近藤さんは少しすまなそうな顔をして、それから、よくできてるな、と言った。器用だったミツバは、俺や兄や総悟の服を折にふれてはおそろいで拵えてくれた。思い出して、彼女の身体がもうどこにもないことに思い至って、じくりと胸が疼いた。 「……ミツバは、どんなだった、先生の目から見て」 「そうだな、」 近藤さんは遠くを見て、目を細めた。 「美人さんで、あたりが柔らかくって、親切で細やかで、ちょっとマリア様みたいな雰囲気で。でも芯は強そうで、」 俺は頷いて聞く。そうだ、非のつけどころなんかない女だった。 「お歳暮とかも忘れずつけてくれて、」 そのくだりになって小さく噴き出した。 「あの、すんげえ辛い煎餅?」 「そうそう、それそれ」 はは、と笑いあって、俺は長く息を吐いた。 「いい女だったな、ほんと」 それきり黙ってしまった俺をどう思ったのか、近藤さんは俺と同じようにベランダに寄りかかって並んだ。マンションや民家の無数の灯りと、都心のネオンが遠くに見える。 ミツバはひとつ上の幼馴染で、家が隣同士だったこともあって兄弟みたいに育った。 いつからか異性として意識するようになったけれど、それ以上はどうにもならなかった。表向きは穏やかだったがどこか張りつめた長い膠着期間の後、ミツバは兄と結婚した。 以前からミツバにベタボレだった兄が、何度目かのプロポーズの後成功したという話を聞いた時も、俺はうろたえもしなかった。 それまで何もアプローチがなかったわけじゃない。ミツバは、引っ込み思案な彼女なりに、何度も俺に好意を示してくれていた。見ないふりをしたのは俺だ。兄に気を遣って、そしてまだ精神的に幼かった俺は、素直にミツバと向き合うことができなかった。兄嫁となってからもお互いに微妙な距離感で接していた。 俺は彼女の幸せを願っていたし、俺よりも兄のほうが彼女を幸せにできると思った。彼女を喪ってから、果たしてそれは正しかったんだろうかという疑問が燻り続けている。 思うに、俺が今近藤さんに惹かれる、この気持ちは逃避なんじゃないだろうか。性別も性格も体格も正反対の彼を欲して、無意識に彼女を忘れようとしているのじゃないのか。だとすれば俺はなんて卑怯なんだろう。 それでも、日に日に俺の頭を占めていく彼を、俺は追い出すことはできそうにない。 映画の話や本の話、一緒に見ているお笑い番組のウケどころも違う。好みがぴったり合うというわけでもない。それでもいくらだって話題は尽きなくて、自分がこんなに喋るのを初めて聞いたと思うぐらいだ。総悟を起こさないように息をひそめて笑いあって、会話がぽつりぽつりと途絶えて、彼の低い声を耳に残したまま眠るのに、俺は確かにうっとりするような幸せを感じている。 |