胎動(弐)


子供が出来たみたいだ、
そう言った副長の表情にまるで屈託はなくて、おれは暫く言葉を忘れて瞬いた。安定するまで激しい運動はできなくなるからフォローを頼む、一応皆には内密にしておけ、でもそのうちいやでもばれてしまうな。顔には喜色が滲み、とても冗談を言っているようには見えない。
おれの開いた口は声を紡げずに固まっている。
「近藤さん似だといいな。お前もそう思うだろう」
微笑みかけられて、おれはいつか見た宗教画を思い出した。それは受胎告知を受けた聖母のもので、ただそのほとばしった筆致ゆえにどこかグロテスクに見えたのだった。

かれと局長の間になにがあるか、察せないほどの莫迦ではない。
悋気を隠そうともせず、局長に感情をぶつけ、それでも意地や矜持のようなものがかれを副長という立場に、体面にと繋ぎ止めていたのだった。
それがここにきて箍が外れてしまった、それもひどい方向へ。

「十月十日、楽しみだ」
ささくれのできた指が腹をいとおしそうに撫でる、それが微かに膨らんでいるように見えておれはぞっとした。


努めて冷静を装いその場を辞すると、その足で局長室に飛び込んだ。局長は暢気にテレビを見入っていた。すぐ脇に膝をつき、隣の部屋に聞こえないようにテレビは消さず、低く、事の次第を話す。
おれの話を黙って聞いていた局長は、
「そうか」
それだけ応えた。動じている様子もなかった。
「仕事に差し障りそうか」
そんなことを問われておれはうろたえた。
「あ、いや、」
喉で唾がごくりと鳴る。このひとは知っていたのだろうか。知っていてこんなに落ち着き払っているのだろうか。
「今のところは。けどこのままエスカレートしたらどうなるか、」
「まあ大丈夫だ、そう心配するな」
くく、と喉で笑う。あとはもうブラウン管に視線を戻してしまった。
「ままごとみたいなものだ。好きにさせてやれ」
声音はいつもの宴席でふざけているときとなにも変わらなかったので、自分は冷水を浴びせられたような気分になった。



休憩室にも幹部室にも姿が無いのであたりをつけて道場の裏手から回れば、濡れ縁で寝転がっているのを見つけた。
「あ、ここにいた」
沖田隊長はおれの声に億劫そうに身体を起こし、アイマスクをちらりとだけずらす。
「ええと、来週の捕り物の件なんですが」
副長の指示に従って組みなおした編成表を手渡すと、すぐに眉をひそめた。
「なんでこれ、土方さんが外れてるんでィ」
不審げに尋ねられ、おれは言葉を濁した。
「内々で、かかりっきりにならないとならない件が」
じろりと見据えられて肩が竦む。他の隊長にはこの言い訳で通したが、やはりこのひとはごまかせない。
とはいえ事情を自分の口から話すことはとてもできない。おれは唇をかんで視線を伏せた。

気配に振り向けば、渡り廊下のほうから張本人が姿を見せる。
「またこんなとこで油売りやがって。総悟、原田が探してるぜ」
まずいところに。おれは戸惑いを隠せず顔を引き攣らせた。
できればかれの狂気をいたずらに晒したくない、おこがましいかも知れないがそんな気分でいたのだ。
「土方さんこれ、指揮外れるって」
副長はああ、と頷いて、くすと口の端を持ち上げた。訝しげな沖田隊長のまなざしに、副長はそっと自分の唇に指を当てる。
「黙ってろよ総悟、まだ秘密だからな」

得意げに言葉を紡ぐ副長の薄い唇を、苦々しい気持ちで見やる。
妊娠をしたこと、局長も褒めてくれたと語る。なんて救いの無い妄想なのだろう。
「お前は男と女、どっちがいい」
話がそこに及ぶに至って、沖田隊長の表情が凍ったように強張っていくのを見た。

「おい沖田、こっちか」
副長の肩越しに家屋の奥から飛んできた声に、沖田隊長は肩を揺らした。副長に向け軽く頭を下げ、失礼します、といった声が、少し震えていたことにおれは言い知れない不安を感じた。むきだしの悲しみや哀れみならばまだよかった。