胎動(参)


開け放されたトシの部屋を覗くと、トシは一心に編み棒を動かしていた。机上には編み物の本と毛糸がいくつも転がっている。
俺はそのものめずらしい光景を興味深く眺め、足を踏み入れた。
隣で机に肘を突いて、トシの指が一目一目、糸をすくっていくのを見やる。
「器用なもんだな」
褒めてやるとトシは視線を手先に留めたまま微笑んだ。赤ん坊に履かせるつもりなのだろう、編みあがった靴下がいくつか並べられていた。広げて跡のついた、編み物の本はどこか古ぼけている。古本屋からでも買ってきたのだろうか。
「かわいいだろ」
ぼんぼんを指でさされて、ああそうだな、と首肯する。
「まだ男か女かもわからないから、白しか作れないんだ」
そんなことを云うので、俺は涎掛けをいじりながら尋ねた。
「お前はどっちがいいんだ」
トシははにかんで答える。
「あんた似ならどっちだって、きっとかわいい」

ぎし、と床板の軋んだほうに目をやれば、木枠に手を突いた総悟が居た。
「どうした、総悟」
総悟はぶすっとした表情で立ちすくんでいる。
「用があるならここに来て話せ」
隣を指差しても、依怙地になった子供のような素振りで足元を睨む。
「総悟」
もう一度、たしなめるように呼ぶと、トシが薄く笑った。
「行ってやれよ」
そう背中を押すので、渋々腰を持ち上げた。


「待てよ」
短く声をかけながら、総悟の背中を追う。
トシの部屋から随分離れた廊下のどん詰まりで、総悟の足はやっと止まった。くるりと振り返り、身体は俺に向き合ったものの、俯き気味で目をあわせてはこなかった。
総悟はひゅうと息を吸い込んで、
「近藤さん」
それきり言ってせりふは途切れた。
俺はゆっくり頭を撫でた。亜麻色の細い髪をすくえば指からするりと逃げる。総悟は横を睨むように目を眇めている。寄せられた眉間の皺。
「おれはあいつが嫌いです」
「うん」
知ってるよ。そう先を促してやると、総悟は随分長いこと逡巡して、きりと歯を噛んだ。
「でも、あんなのは、ひどい」
あんなの、というのがどういうことか、察せないわけもない。ただ曖昧に口の端を持ち上げる。総悟は突かれたように面を上げた。

「あんたはあいつが、憎いンですか」
縋るような目だった。俺はその柔らかな輪郭を追って撫でた。
「まさか」

憎いのならば傍になんか置かない。憎いのならば狂わせてもやらない。

俺は皆まで云わなかった。皆まで言わずとも十分だったようだ。総悟の背が撓って思い切り砂壁にぶつかる。遅れて後ずさった踵がどん、と足元で音を立てた。
総悟の、恐怖をたたえた瞳がめいっぱい見開かれるのを、俺は愛でるような気持ちで眺めた。




夜半になって戻ると、トシの部屋の戸は出て行ったときと同じく開け放たれていた。以前ならこんなことはなかった。そろそろ潮時かと思う。

「まだ根をつめてるのか」
優しく声をかければ、あくびをひとつして編み物を机に寄せた。
「ああ、もう寝るよ」
行灯を落として、布団を引き寄せる。おれはトシの正面に膝をついた。
「添い寝をしてやろうか」
ほんとうか、と語尾が甘えたようになる。唇を寄せるとすぐに目が伏せられた。
上体を抱きこんで布団に背を横たえる。ぐるりと咥中を探った舌を、次第に奥のほうへと伸ばす。ひちゃり、と水音が頭の中に響く。
「ふ、」
あわせを割ると、腕の中でトシは身じろぎをした。うろたえたように俺の胸に置かれるこぶし。愛撫がだんだんと本格的なものになり、手が下半身に及ぶに至って、トシの声は切羽詰ったものになった。
「近藤さん、だめだって」
お腹に響くから、だから。必死で身を捩らせるトシに、おれは可笑しくなって耳元に唇を寄せた。
「また種をつけてやるから」
囁けば、トシの抵抗が止んだ。目交いで表情はとろんとしたものになる。
「ほんとか、」
「ああ」
「だから安心しろ」

そうして耳朶に口付けると、トシの身体からおもちゃみたいに力が抜けた。腰を割り込ませながら、俺は喉でくつくつと笑う。

今夜はとびきり酷く、奥ばかりを衝いてやろう。







間もなくぱたりと、あいつは子供がどうとかいう話をしなくなった。
どうなったのか聞いてやろうとかとも思ったが、下手に蒸し返すのも面倒なことになりかねないのでそのままにした。

「どうだ、トシの調子は」
別件で部屋を訪れた山崎にそう尋ねると、山崎はきょろきょろと落ち着かない素振りを見せ、それから声を潜めた。
「落ち着いて、ます」
あんなにおかしかったのが、何にもなかったみたいに。
「そうか、ならいい」
俺が満足げに髭をなでると、暫しうろたえたような間があって、引き攣った声が山崎の口から飛び出した。
「あの、」
「なんだ」
低く、穏やかに聞くと、山崎は唇をゆっくりと閉じた。きちりと喉が鳴る。
「んでも、ありません」

髪をくしゃりと撫でてやれば、そっと山崎の目が細められる。諦めと畏れに覆われたその表情には、ひとさじ恍惚が混ざっていた。
みんな、いい子ばかり。



自分の身も守れないような腑抜けになられては困る。だからああして形をつけてやった。
ただ、あのままいたらトシから何が産まれていたのだろうと思う。

俺の傲慢とあいつの執着が胎の中で混ざり合って出来た、そのおぞましいものをこそ、
俺は心から愛することができるような気がする。



(了)
20100519