胎動(壱)


こんどうさん、
俺を呼ぶトシの声は少したわんでいた。
腑抜けたような、うっとりした顔つきは事後のそれに似ている。

「何だ」
つとめて優しく尋ねてやれば、トシの口角がついと持ち上がる。
「おれ、子供が出来たんだ」
瞬間、意が酌めず、どこぞの女でも孕ませたのかと思って笑った。
「お前にしてはやるなぁ」
どこの女だ、と口を開くのにかぶせて、むくれたようにトシが云う。
「何言ってんだ近藤さん、」

「あんたとの子だぜ」

正面からかち合った目がゆっくり瞬く。
冗談を言うときの口ぶりではない。瞳孔は硬質の銅貨のように輝いていた。

なるほどこれが狂人の目か、と感慨もなく思う。


俺は目を細める。いまさら驚くことでもないだろう。

俺の郭通いや女遊びに普段いくら平静を装っていても、酷い嫉妬をもてあましたこいつはときおり癇癪を起こした。俺の気を引こうと舌を噛んだことも一度や二度じゃない。
そのたびのらりくらりとかわしてきた。もしかすると俺の知らないところでひとりやふたり、いやもっと死人が出ていたかもしれない。
けれどそんな悋気を含めてまで、トシは御しやすかったし、なにより俺に従順だった。

すがり付いてくるのもヒステリックになるのも、うっとおしく感じたことなど一度足りともない。ただトシが俺だけのものであるように、俺はトシだけのものではなく、
それは自明のことで、
その微動だにしない真実がきっと長い時間をかけてトシを蝕んできたのだろう。

時計が遅れるようにだんだんと狂っていくのを、俺は確かに隣で見ていたのだ。


「なんだよ、誉めてくんねぇの」
甘えたような声にゆるく破顔して、髪を梳いてやった。
「でかしたな」
トシは俺の肩に額をうずめ、猫のように摺り寄せる。シャンプーとほんのり汗のかおりが鼻腔を塞いだ。得意げに伏せられた睫が揺れる。
「だから安定するまで暫く、あんたの相手ができねえんだ。すまねえ」
この期に及んで心配しているのがこんなことだ。思わずくすくすと笑いが漏れる。
「謝るこたぁねえ。医者には行ったのか」
興に乗って話を合わせてやると、
「ああ、もう三ヶ月だと」
と、誇らしげに腹に手を添える。幻覚はもっともらしいことを言うものだ。


果たしてなにが引き金だったのだろうと、ぼんやり考える。
いつだか俺が、お前とは子孫が残せない、と云ったことがあるかもしれない。
もしくは先ごろ隊士に子供が出来たとか、とっつぁんに結婚のことでも皮肉られたか。

様々な要素が土壌にしみこんで、こんなにいびつな発芽をした。面白いものだと思う。


「煙草もやめないとな」
からかうように言えば、そうだな、と素直な返答をよこす。その口調がまるで子供のように純粋で、こんなに幸福そうなトシの顔をみたのはどれぐらいぶりだろうと思って、俺はどこか満ち足りたような気持ちになった。