(弐)たなごころ


「こんどうさん」
幼い声に呼ばれて振り向けば、砂利道を亜麻色のざんぎりが走ってくる。
「おー総悟」
しゃがんで目線を下げ、走りこんできたところを抱き上げる。はしゃいだ声を上げた総悟がふと怪訝そうな顔になって周囲を見回した。
「あのどろぼうねこは」
「へ」
とっぴな単語に目を見開き、誰のことか思い当たってふきだした。
「トシのことか」
大きく頷く総悟の額に、額をくっつけてぐりぐりしてやった。いったいどこでそんな言葉を覚えてくるのだか。
「ほんとに総悟はトシのこと目の敵にすんなぁ」
「だってオレの近藤さんを横から掻っ攫おうとするんだもの」
「なんだそりゃ」
唇を尖らすのがかわいらしい。俺も真似て尖らせてみた。
「お鶴ちゃんやらおみっちゃんのことは、追い回してても妬かないのに」
そう云えば、しれっとして答える。
「そいつらには相手にされてないじゃないですかィ」
図星なだけに手痛い。子供にまで見透かされるのってどうなの、俺。

「近藤さんのことみんなもってっちまうんじゃねえかと、気が気じゃねぇ」
ふてくされた表情がかわいらしくて、
「ばか、そんなことねえよ」
とだけ云った。総悟はこの年齢にしてはずいぶん聡い。



時折、食われちまいそうだ、と思う。
殺気にも似たそれに、気づかなかっただなんていわない。ただ俺は気づかないふりをしている。気づかない振りで、あいつが痺れを切らすのを待っている。

初めて視線が掠ったとき、俺はこいつを手に入れると思った。予感ではなく確信として、これは俺のものだと、俺のために誂えられている生き物だと思った。
何故そんなことを思ったかについては未だ釈然としない。
いまだかつて俺は他人に対し、こんなに理不尽な気持ちになったことがない。爺さんも、早くに亡くなった両親も、他人に誠意を尽くすこと、いつも感謝して生きる事を教えてくれていたし、それに疑問も感じなかった。そのように振舞おうと心掛けて、事実あまりはみ出さずに生きているつもりだった。
ただトシに対してだけは何故か、他人に無条件に感じるような尊敬や愛しみがない。一個の人格ではなく、自分の身体の一部のような、自分の好きにできるものだという歪んだ錯覚をおぼえる。

蜘蛛の巣を張ったつもりもないのに、勝手に絡まって身動きが取れなくなっているのを、俺は感慨も無く眺めている。じきに手に落ちる。そうすれば金輪際、あいつは俺のものになる。
ひどい有様になっているのを哀れむ気持ちがないわけではない。可哀想だと思う。俺なんかと出会って、俺なんかにいかれちまって、
可哀想にね。


「ああいたいた、若サマ」
垣根越しに手を振られ、相好を崩して駆け寄った。
「お鶴ちゃん、どうしたの」
結い上げた髪に大振りのかんざし、田舎では目立つぐらいの派手な色の着物。切符のいいところ、勝気そうなところが俺の好みだ。
「これね、若サマに買ってきたのさ」
差し出されたのはつや消しの煙管。
「俺に?わあ、ありがとう!」
オーバーリアクションで喜べば、
「それからこっちはあの色男サンに」
さらにもう一本、吸い口に趣味のいい彫があるのを手渡されて思わず口元がひきつった。あからさまだなぁ。
俺の事を若様などと呼ぶ、彼女は愛想がいいけれど、目当ては俺じゃなくてトシ。将を射んとすれば、を地でいっているわけ。
魂胆なんかわかっている。それでもそこをどれだけ掻い潜っていけるかが男女の駆け引きってやつだ、と思ってがんばっている。それにつけても黙ってれば勝手にクールとか硬派だとか解釈してくれるのだから男前は得だ。あいつばかりもてるのは癪だけれど、そのあいつごと俺のものなのだから、それを思えば悪くない気分になる。

お鶴ちゃんを表まで送って、玄関まで戻り、框に上がったところで袂にしまった煙管をちらと覗く。黒塗りの羅宇は、確かにトシの口元によく映えそうだった。