10円ノーフューチャー・2
驚いたことに銀さんは初めてだった。 嘘、今驚いたといったけれどよくよく考えてみたらそれほど驚くことでもなかった。 だってこの年になってもエロ本拾ってくるし、女性に耐性ないし勝負パンツも知らないし。 口とバックで料金が違うっていうのも、説明するのが面倒くさかったから イキオイで最後まで行った。 勃起しなかったら僕が突っ込むことになるのかなと思ってたけどちゃんと勃ったから そんな心配もすることなかった。 銀さんは二、三回腰を使ったらあっけなくイった。 息を整えて汗を拭いたら、僕らはやたらと冷静になった。 手早く服を着て汚れを拭いて、 一時間後にはいつもとちっとも変わらないトーンで 帰ってきた神楽ちゃんと定春におかえりを云った。 変わらない事を選んだのは銀さんだと思う。 僕らの間にあるものはみんな嘘で出来ている。 会話も視線もセックスも空気の密度も みんな嘘だ。 その 嘘だ ということさえ確かなものじゃない どれがごまかしでどれがブラフでどれが戦略なのか それとも全て本音なのか 僕は考えないようにしてる だって考えたって詮無いから。 「っ、あっ、…つぅ、」 銀さんの声が震える。 僕の身体の下で喘ぐ銀さんを見下ろしているとどっちが身体に侵入しているのかわからなくなる。 でも貫かれてるのは紛れもない僕なわけで、まったくもって変な気分だ。 中できゅうきゅう締めると切羽詰まった声が上がって、 その声に少なからず興奮してる自分を片頬で嗤った。 銀さんの 反った喉仏とか 汗のしょっぱさとか 浮き上がる血管とか そういうものばかりを憶えた。 銀さんが僕の腰の動きに合わせて軽く下から突き上げてくる。 多分無意識だと思うし必死で動きを追っているだけなのだけど、 自分の動きに時折混じる不規則な揺れにやけに追い込まれて 僕は痛くもないのに銀さんの肩に爪を立てた。 袴に足を通していると銀さんが袖を引っ張った。 「新八ィ」 銀さんは乱れた衣服のまま。ジッパーも下げっぱなしだ。 「なんですか」 返事とともに上まで上げる。 されるがままで、眠そうな目をこっちに投げかけてくる。 「どこ行くんだよ」 「買い物行かないと。納豆切れてたでしょう」 ここでちんたらしていたらタイムセールに間に合わない。 袖に掛かる手は構わず僕を引き寄せようとする。 「そんなこと云って、またアレじゃねぇの」 「アレ?」 「また臨時アルバイトなんじゃないの」 僕はその物言いにカチンと来て手を乱暴に振り払った。 「だったら何なんですか」 何でもないけど。と歯切れ悪く言い淀んで、 それでもはっきり 「…行くなよ」 なんて云うから、 僕は思わず向き直ってしまった。 …それは、どーいう。 聞き返そうとしたら銀さんが言い訳みたいに早口で捲し立てた。 「ホラ。もっと建設的なバイトとかあるじゃん」 僕は思いきり眉を顰める。 そうだ。このひとはそういう人だ。 自分はフラフラしてるくせに、他人に地道さとか誠実さを求めようなんてムチャクチャだ。 「そんなこという権利があんたにあるんですか」 わざととげとげしく吐き捨てる。 「あんたは僕を金で買ってるだけでしょう」 そしてそういう関係を望んだのはあんただ。その言葉は顎の下で止まった。 僕は小さく息を呑む。言葉は風船みたいに喉につっかかっている。 銀さんはスンマセン、と小声で謝った。 語尾がこもる。ふて腐れたような態度を隠そうともしない。 僕はその逃げるような目を真正面から覗き込んでやりたい衝動に耐えた。 息を吸って、大きく吐いて、 「ちょっと出てきますから」 踵を返して走り出す。 引き戸は仰々しい音を立てて背中で閉まった。 万事屋を出てしばらく歩いたところで手ぶらだったことに気付いた。間抜け極まりない。 ひっ返してサイフを取ってきても多分タイムセールには間に合わないだろう。 僕は溜息を吐いて歩く速さをゆるめた。 しばらく銀さんの顔を見たくなかったし、かといって行くあてが特にあるわけでもなくて、 人の流れにまかせてぶらぶら歩く。 場の勢いでああは云ったけれどここのところほんとにあの商売はしてない。 第一殆ど毎日銀さんにつきあっているんだ。 僕はそんなに体力があるほうじゃないし、ムリをしてやりたいことでもない。 僕らの関係は10円玉で成り立ってて、 ある日銀さんが10円玉がない と云ったり 僕が受け取らなかったりしたら そこで終わってしまうような安い 安い関係だ そんなに危うい関係がなぜ捩れながらも続いてるんだろう 変わる事が何より怖い癖に なぜ銀さんはあのとき僕にいくら?だなんて聞いたんだろう 答えを出すのは簡単だし 追いつめるのも簡単だ でも僕はそれをしないでいる 気付いたら淀橋まで来てしまっていた。 欄干に寄りかかる。神田川は今日も厭な色をしている。 腕を組もうとしたら袂の10円玉が欄干にコツリと当たったので、僕はそれを取り出した。 赤茶けたギザ10をまじまじ眺める。 心底馬鹿馬鹿しくなって川に向かって大きく振りかぶった手は弧を描いたけれど、 掌の10円玉はそのままだった。 銅が酸化していく匂いを思う。 無機質な感触をぎゅうと握りしめて、僕は元来た方へ歩き出した。 |