ブーという無機質な音が、寝起きの耳をつんざいた。
あわてて跳ね起きて、枕元の甚兵衛をたぐり寄せる。
「はいはーい、開けます、今開けます」
容赦なく押し続けられている。アレ、鳴り続けると両隣から苦情が来るんだ。
保険屋の勧誘か、新聞の勧誘か、いずれにしろきっと神経の図太いおばちゃんに違いない。


大慌てで袖を通して走り寄り、ガチャリと金属のノブを回すと、まるきり外れた予想に俺は面食らった。
眼鏡越しに目があって、瞬く。
仏頂面をした志村弟が、不機嫌さを隠そうともせずに云った。

「ちょっとお話があって」


おれは後ろを何度か振り返ってみたけれど、何度見直したところで客人を入れられるような有様じゃない。
足の踏み場もない部屋を俺の脇越しに眺めて、男やもめに蛆が湧くってほんとですね、と全く可愛くない感想を吐く。それだけで気圧されて、俺は、ここじゃなんだから、と狼狽えた声を出すのが精一杯だった。




裏手の児童公園には見るからに育ちの悪そうなガキが4,5人ばかり犇めいていた。
他に思い当たるところがなくて連れてきたものの、これじゃあゴミがゴミガキになったくらいで俺の部屋とさして代わりがない。
脂汗をかく俺に、ここでいいです、と言い放ち、志村はさっさと一番奥のベンチに陣取る。
俺は、コーヒー買ってきますと何故か敬語を使って道の端まで走った。


「ご、ごめんな、サテンとか連れてけなくて」
おずおずと缶を差し出すと、志村は鼻で笑って眼鏡の蔓を上げた。
「僕だって失業中の人にたかろうだなんて思ってないですから安心して下さい」
はは、と薄く笑って見せて、コーヒーのプルダブを上げる。笑えねぇ。

「話、って」
このピリピリした雰囲気をどうにかしてしまいたくて自分から切り出した。
薄々銀時のことだろうな、と予想は付いたけれど、手に持っている平べったい紙袋も気になる。
さっきから眼鏡の奥が見えないんですけど。怖ッ。

「これ。返しにきました」
志村はおもむろに、脇に抱えていたものを突き出した。
平たいものが入った、二つ折りの紙袋。
中身を覗いてグッと潰れた声が出た。銀時に貸していたエロDVD。
「長谷川さんのでしょ、それ。全くいい年して」
反射的にすみません、が口から出そうになっていると、
痴漢に盗撮って、偏り過ぎなんだよ。ぼそりと呟いた。
「オマエも見たんじゃん!」
「見ますよそりゃ!年頃なんだから仕方ないじゃないすか!」
逆ギレだよこのこ。タチ悪いなもう。

もたもた紙袋をたもとにしまい込んだけれど、暫くそのビデオハウスの制作態度についての会話が続いた。飽くまで小声で。
俺と銀時はエロビを貸し借りするような関係だったのになんでだか一夜の間違いがあって、その銀時は男に好かれていて。
そんで今俺はそいつとエロビの話をしている。あんまりにシュールだ。


幾度ものじゃんけんを経て、何かの役割分担が決定したらしい。
ギャー、と品のない雄叫びを上げて、一斉にガキ共の一団が走り出ていく。
瞬間訪れた静寂を逃さず、志村がねじ込んできた。

「…銀さんから聞いたんですけど」
来た。来たぞ、本題だ。そうだよな、さすがにエロビ返すだけってわけじゃなかろう。
思わず身体が強張る。
「な、なにを」

志村は声のトーンを変えずに淡々と云った。
「銀さんと付き合ってるって本当ですか」
俺は飲んでいた缶コーヒーを盛大に吹きだした。
気管にしこたま入って暫く噎せて、咳が収まるまで志村はずっとこちらを睨んでいた。
「ありえないありえない!なにその悪い冗談」
俺は思い切り首を振った。砕けそうになる腰を支えて、ベンチに両手をつく。
「でも」
呻るようにそう云って押し黙るものだから、なんとなく察されて
「…アイツがそう云ったの」
こくりと頷く。おれは長いため息をついた。

「男と付き合ってるとかないし。第一オレ妻帯者だし」
じとりとしか形容しようのない視線を向けるものだから、身体の前で何度も手を振る。
「や、ほんとナイって」
「肉体関係も?」
二度目の噴出は根性でせき止めた。何なのこのこ!
喉で鳴った音を聞き漏らさずに、
「あ、そっちはあるんですね」
思ったより無感動な声が云う。
「いやッ決して同意の上とかじゃなくほんとそのなんかの間違いとしか云いようがないかんじで」
ベンチの背もたれにしがみついたまま一息で捲し立てる。

「つまりそういうことはあったけども、つきあってるとかじゃない、と」
俺は大仰に何度も頷いた。志村は子供らしからぬ、気苦労の多そうなため息を吐いた。
「だいたいのとこはわかりました。あんたも言い訳に使われたってかんじなんですね」
言い訳、つーと。促すような視線を向ければ、銀さんが、と吐き捨てるように云った。
「長谷川さんとつきあってるからお前はムリだって」

おれは生唾を飲んだ。どんだけ傍迷惑な嘘吐いてくれてんだ、あの男。
声をかけ倦ねていると、はぁ、と肩を落とす。
「そんな嘘吐かれたのも、悔しい」
歯を食いしばった横顔は、
「あと十年早く生まれりゃよかった」
確かに少年のものだった。少年でなけりゃ出来ない表情だった。

「長谷川さんくらい大人だったらよかった」



大人になったら住民税やら健康保険やら生きてくだけでも大変なんだよ、とか、おれだってできるものなら腰痛や関節痛のなかった年齢に戻って青春やり直したいぜ、とか、言い分なら山のようにあったけれど。

今隣で肩を落とすこいつの、青く色がついているような悲しみに、
おれにかけてやれる言葉なんかないような気がして、
眺めていた自分の掌をぎゅっと握った。






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