「わかったよ、うん、スタンも一緒だし」 ぼんやりとした意識に、少し遠いカイルの声が届く。俺は重い瞼と闘いながら、彼の声に耳を澄ます。 「ああ、もう聞いてるって、じゃあね」 俺の目が完全に開いたのと、パジャマの上だけ羽織ったカイルがキッチンエリアからベッドのほうへもどってきたのはほとんど同時だった。 「ごめん、起こした?」 いいや、と言いながら俺は上体を起こした。伸ばされた手を取ってカイルを抱き寄せ、額にキスをする。カイルは俺の腕の中に大人しく収まって、端末を掲げて見せた。 「シーラか?」 「うん。もうサンクスギビングの予定を聞かせろって」 まだ九月になったばかりだってのに、とカイルが忌々しそうに呻いた。 やっぱりシーラは俺たちの関係にいい顔はしなかったものの、ルームシェアをすることにも渋々ながら同意をしてくれた。 実際にカイルが何度か女の子とデートをして上手くいかなかったことや、セクシャリティについて何度か真面目な話し合いをもっていたこと、それからシーラ自身にLGBT関係のNGOと付き合いができていたことなどから、正面切って反対する訳にはいかなかったようだ。 いつだってフラストレーションを解消するため市民運動に参加したがっているシーラを焚きつけるように、何年も前からコーヒーテーブルの上の雑誌にさりげなくその種のパンフレットを紛れ込ませていたのはカイルだ。 僕だって少しは学習するさ、とカイルは笑った。 俺は結局、バークレーまでカイルを追いかけてきた。路上でホットドッグを売るよりは多少まし、という程度の薄給だったけれど、ケーブルテレビの制作会社に バイトを見つけた。ミキシングや映像編集の仕事は目が回るほどの忙しさだったけれど、俺の興味を惹くものだった。十分に学費が溜まったら、もっと専門的な 知識を学ぶためにその種の学校に入るつもりだ。 俺は不規則の超過労働、カイルは鬼のような課題に追われて、ウィークデーは殆どリビングデッドみたいになっている。 猫の額みたいなワンルームアパートでの二人暮らしも、貧しい食事も寝不足も、お互いを抱きしめて眠れることに比べたらみんな取るに足らないことだ。 くつくつとコーヒーメーカーの立てる音と、香ばしい匂いが鼻先をくすぐり始める。 「コーヒー湧いてるよ」 腕の中でカイルが身じろいだけれど、俺は彼を離す気になれなかった。 「ああ」 それだけ言うと、首の付け根に顎をすっぽりと埋める。カイルもコーヒーのことは諦めたようで、俺のほうへ向き直ると膝の上に乗りあげ、俺の背中にすっかり腕を回した。 普段はつとめて考えないようにしているけれど、俺たちの乗り捨ててきた船のことを思えば胸がざわめく。 たくさんの犠牲を払って、あれだけの遠回りをして、 俺たちがたどり着いた今日はこんなにも他愛なく、穏やかなものだった。 俺たちを取り巻くこの煩雑な世界も、幸も不幸も、あらゆる価値観も倫理も、時間や距離でさえも俺たちを引き裂けない。俺がこの手を離さない限り。 これしかいらないんだ。シャンプーに混じった微かなカイルの汗の匂いを胸いっぱいに吸いこんだら、喉から声が漏れていた。お前は。 「俺の心臓だ、」 カイルは俺の耳元で頷いた。 「そうだよ、繋がってるんだ」 そんなことも知らなかったの、と言って笑う。 哀しくもないのにせり上がってきた胸が、早鐘を打ち始める。カイルの薄いパジャマ一枚越しに、俺たちの胸はぴったり触れ合う。二人ぶんの鼓動が聞き分けられないぐらいひとつになるまで、俺たちはそこで抱き合っていた。 これしかいらないんだ。ほかには、何にも。 end. 130814 |