love/sick/sucks1


 ヘンだ。おかしい。俺は自分の身体を前へ前へと運びながら、ずっと足もとのアスファルトを睨んでいる。灰色のそれはひび入り、色を変え、時折煙草の吸いがらを覗かせながら地球の果てまで続いていくようだった。


 今この時間は本来ならデートをしているはずだったんだ。
 今をさかのぼること一時間前。ショッピングモールの、いかにも女の子が好きそうなカフェで『ダイエット中だから』と彼女の残したパフェをつついている最中に、ウェンディはスマートフォンの画面を見てかん高い声を上げた。
『いっけない、忘れてたわ』
 どうしたんだよ、と俺が問う前に既に彼女は席から立ち上がり、型押ししたフェイクレザーのクラッチバッグを掴んでいた。
『ロスに住んでいる親戚のおじさんが今日うちに来るの。いつもすごくおしゃれなお土産をもってきてくれるのよ』
 ウインクをされては適わない。埋め合わせはするわ、バイ。そう言い残すとウェンディは颯爽と踵を返した。

 ウェンディはとっても、なんていうか、『ウーマン』だ。
 齢十三にして既に、女であるということの武器と理論とを使いこなし、ありったけのメリットを享受している『女性』。
 晴れて嘔吐を催すことなくキスができるようになった俺は、ウェンディのハグやキスに、有形無形の『対価』を支払う。たとえばアクセサリー。たとえば並ばないと買えない限定グッズ。たとえばいけすかない(つまり品定めをされ愛想笑いをし続けることを要求される)女子会への同伴。たとえば結論のきまりきった愚痴に二時間半付き合うこと。
 時には支払いが遅れたり分割だったりすることはあるものの、それは厳密で立派な『契約』だった。
 もとよりそういった駆け引きに関して俺が彼女に太刀打ちできるわけがないし、する気だってない。
 少なくともウェンディと一緒にいるとき俺は、落ち着かなさも動揺も後ろめたさも感じなくて済んだ。それは今若干の情緒不安定をきたしている俺にとって一番必要なことのように思われた。


 どこを歩いてきてしまったんだろう。はっとして見上げれば、そこはブロフロフスキー家の前だった。自分の無意識を恨めしく思う。
 けれどここで怯んでいたら自分の中の病気を自ら認めてしまうようだったから、俺は敢えて唾を飲んで、ドアポーチへと大股で近づいた。
「あらスタン!」
 ドアベルを鳴らすと間もなくドアを開けたシーラは、俺の顔を見ると相好を崩した。俺の肩を抱き込んで室内に導く。
「カイルはまだ帰ってないの。部屋に上がって待っているといいわ」


 持主のいないカイルの部屋に入ると、電気をつけずにカーテンを開けた。もう七月だっていうのに曇り空は寒々しい。
 緩慢な動作で振り向いて見渡す。三日と空けずに来ているのだから当たり前だけれど、最後に来た時と変わった様子はない。

 俺はとにかく疲れていた。体じゃなく主に頭のほうが。
 少しくたびれたベッドのスプリングが、俺の体重を受け止めて鳴る。ぼんやり視線を落としたベッドスプレッドの上にはカイルのパジャマが無造作に放ってあって、それが彼の裸の肌に触れていたものであることに思い至って、俺の背筋はぎくりと伸びた。

 頬が熱い。俺は勢い立ち上がると、カイルの勉強机に移動してどっかと腰かけた。地球儀と、エレメンタリーの頃あいつが貰ったバスケのトロフィーを睨みながら、俺は平常心、平常心とマントラのように唱える。

 息を吸い込んで、吐いて、吸い込んだ空気に微かにカイルの家の柔軟剤の匂いを嗅ぎ分けて、俺は呻いた。こんなにカイルのものに囲まれたところでカイルを頭から追い出せるわけもないのだ。俺はいよいよ机に突っ伏した。
 窓の外から、ざああ、と雨の音が始まって、俺の鼓膜を低く塞ぐ。

 きっかけが何だったのか、今はもう思い出せない。
 ある時を境に、マスターベーションのときに脳内に、あろうことか同性の親友であるところのカイルが入り込んでくるようになった。
 誓って言うけれど、それまでの俺のマスターベーションライフは至って品行方正なものだった。俺はウェンディですらオカズにしたことなんかない。
 まずウィルスや架空請求、大量のポップアップを乗り越えてアダルトサイトを開く。無難なカテゴリを検索する。それから思いきり卑猥な、性的欲求を満たすためだけの、極めてインスタントで薄っぺらい、そこに人格になんてない、記号的な裸体と動物的な動きを眺めて、感情移入をするまでもなく三分でクライマックスに到達する。そういう、ローティーンの男子としてはいっそストイックなまでのものだったんだ。

 頭がしっかりしているうちは大丈夫だ。絶頂が近づいて、頭が白くちかちかし始める、言語野が動きを止める、その一瞬に、カイルの幻が俺の知覚に入り込む。
 あいつが甘く俺を呼ぶ声。くすくす笑ったときの目元。頬を髪が掠る感触。全力疾走した後の、眉をひそめて息を乱すさま。そんなものがオーバーラップして、まずい、と思った時にはもう既に終わりを迎えてしまっている。

 何かの間違いだ。そう自分に言い聞かせるうちに二回が三回になり、三回が四回になり、とうとうペニスを触るだけで彼を思い出すようになってしまった。埒をあけるまで、俺の意識からあいつはどうしたって出て行ってくれない。

 カイルは十年来の親友だ。お互い誰よりも信用している。家族よりよく知ってる。そして大前提として、あいつには俺と同じペニスがついている。
 ようやく怖ろしい疑念が俺を捉える。俺はゲイなんだろうか?

 ぜんたい馬鹿げている。ゲイなわけがない。俺はどこからどう見たってストレートだ。
 だってゲイっていうのはあれだろ、女みたいにナイーブで腰ぬけで、あとなんか社会的なスタンスを確立して権利とかと戦わなきゃいけないんだろ。
 部屋の壁紙を花柄にしてカラフルな家具を磨き上げて、爪を整えて髪をピンクに染めて身体のラインが出るような服を着て頭の悪い仔犬を飼って。
 別に馬鹿にしてるわけじゃないし、あの人種にもビッグ・ゲイ・アルみたいに気のいい人だっているってことは知ってる。それでも遠い。彼らのすべてが俺を構成する要素から遠かった。

 だから、ウェンディとのキスは最早ちっとも心躍らないのに、カイルの傍にいるだけで尻が落ち着かないのも、何かの弾みですぐ近くに来た時に全力で深呼吸したくなるのも、俺とカイルの間に座られるとそれが誰であってもぶん殴りたくなるのも、
 全部、何かの間違いなんだ。



「スタン?」
 ドアの外から聞こえた声に、俺はがばと飛び起きた。部屋はいつの間にか薄暗くなっていて、喉を鳴らす。
「あ、ああ。お帰り」
 俺の声に被せてがちゃりとドアが開き、ホースで水でもかぶってきたかのようなカイルが姿を現した。
「あー、酷い目にあった」
 俺はカイルと窓の外を見比べて、やっとこいつが帰り道に雨に降られたのだということを理解した。
「どうしたの?今日はデートって言ってなかったっけ」
「あ、ああ、急用ができたって、なんか、親戚のおじさんが来るとかで」
 俺は早口でまくしたてた。カイルはこちらの事情にはあまり興味がないようで、そうだったんだ、とだけ返事をした。それから鞄を足もとに投げてよこし、ぶるぶると濡れた犬みたいに頭を振った。
「ちょっと待っててね、シャワー浴びてくる。びしょぬれだ」

 ばかみたいに何度も頷いて、カイルの出て行ったドアを眺めていて、間もなく聞こえてきたシャワーの音にふと我に返った。今、戸を二枚隔てて、カイルは裸になっている。そう思えばとたんに頬に血が集まってきた。
 これはすごく、すごくまずいんじゃないのか。のぼせあがったような頭で俺は思った。俺はカイルが出てくる前にここから逃げてしまえれば、と願ったけれど、きっと不審に思われるだろう。それに俺の腰は根をおろしたみたいに椅子から動かなかった。カイルの裸の肌を水滴が伝っている音は、俺に得体のしれない興奮をもたらしていた。その音を一デシベルでも俺は聞き逃したくなかった。

 シャワーコックの閉まる音。ほどなくしてドアノブが軋んで、廊下がぎしぎしと鳴る。逃げなきゃ。早く。ここから。俺の頭のまともなところが、けたたましいサイレンを鳴らしている。心臓のピッチが異常なぐらいに早い。
「わー、雷鳴ってきたねえ」
 暢気な声を出してドアを開けたカイルはバスタオルを腰に巻いたきりのいでたちで、俺は心臓が止まってしまうかと思った。
「ごろごろ言ってる」
 指摘されて初めて、外から聞こえるドラムみたいな音に気づく。
 固まってしまった俺になんか気に留めることもなく、カイルは窓のほうへとまっすぐに移動していく。華奢な背中。肩甲骨の膨らみ。重さを持ってうなじに垂れかかっている赤い巻き毛。無邪気にさらされたそれらは俺の視線を磁力をもって捉える。
「割と近いんじゃない?」
 窓枠に手をついてもたれている彼の横顔がちかと光った。俺は目を瞑ってしまいたい。
「暗いから電気つけよっか」
「や、やめろ!」
 俺の声は悲鳴に近かった。これ以上よく見えてしまったらまずい。とんでもなくまずい。
「スタン?」
 カイルは訝しげに俺を呼び、俺の座る椅子まで近づいてくるとそっくりこちらに身体を向けた。
 閃光がひらめいて、ただでさえ薄いカイルの肌を白く照らす。寒さからかつんと尖ったペールピンクの乳首に釘づけになる。
「どうしたの?」
 カイルの声は笑いを含んでさえいたから、もうだめだ、と俺は思った。そうして次の瞬間、脊髄を走り抜けるみたいな衝動にすっかり自分を明け渡してしまった。

 カイルの腰めがけてタックルして、そのままベッドに押し倒す。おわっ、っと色気のない声を出すカイルの上に乗り上げた。
「いきなり何すんのさ!」
 カイルは面喰っているようだけれど俺を押し返してくるでもなく、きょとんとして俺を見上げている。
 目前に晒された裸の首筋に、俺は夢中でキスを落とし始めた。水滴を帯びた肌は俺の唇を歓迎するかのように扇情的だった。
「スタンやめろよ、くすぐったい……」
 犬ごっこをしているとでも思っているのだろうか、カイルはあはは、と笑い声を立てる。俺は熱心に肌を吸い上げた。舌が乳首に達するに至って、カイルはやっと様子が違うことに気づいたらしい。
「ちょっと! スタン! いい加減に…」
 俺が面を上げると、カイルは肩を怯ませた。俺はきっとお化けみたいな顔をしていたに違いない。
 彼の勢いが削がれたのをいいことに、俺は彼に向って少し伸びあがった。
 合わせた唇は、嘘みたいにやわらかくて温かくて、半分開かれているのをいいことに俺は舌を滑り込ませた。
「む、う、ううっ」
 カイルが正気を取り戻したのはしばらく経ってからだった。俺はその頃にはカイルの首筋と顎をがっちり押さえることに成功していた。
 口の中でカイルが漏らす、咎めるような呻きすらエロティックで、自分の唾液をただ送り込む。喉が薄く上下して、それが嚥下されているという事実に俺は危うくいってしまいそうになった。
 唇を離した頃にはカイルの目はすっかり潤んでしまっていた。カイルは俺の体重に下半身を縫いとめられたまま逃げるように顔を逸らし、小さく咳きこんだ。
 腰に巻かれたタオルはもみあっているうちにもう取れてしまっていた。白いバスタオルの上のカイルの裸は、ラッピングが俺のために解かれているかのようだった。皮の被っていないペニスの先端はどんなものより無防備だった。
 俺は膨らみ切って苦しくなった自分のジーンズを寛げた。ぱんぱんに張り詰めたペニスはだらだらと涎を垂らして、自分のものじゃないみたいにグロテスクに見える。

 膝を思いきり胸につけるようにして開かせた足の間に腰を割りこませる。頭の中はセックスのことだけで真っ赤になっていた。
「ちょ、待って、何、」
 乱れた呼吸の下から、カイルが切羽詰ったような声を出す。ここにきてやっと危機感を覚えたかのように。
「何? スタン! やめっ」
 俺は反対の手でカイルの尻たぶを開き、濡れた怒張を押しつけた。
 ひゃ、と上がりかけた悲鳴に、俺の辛うじて残った理性的な部分が手を伸ばした。カイルの口を塞いで、そのまま力任せに腰を進める。
 抵抗は痛いぐらいだったけれど、何度も角度を変えれば先端が入り込む。雁までを割入れたところで、俺は射精してしまった。カイルが手の下で、ヒッと息をのむのが聞こえた。俺のペニスは全然萎えなくて、中に吐きだしたそれはローション代わりになって俺の更なる侵入を助けた。ペニスを迎えた襞が生きものみたいに蠢く。
 ぐっしょりと濡れた肌、腰を動かす度に鳴る汗と肉のぶつかりあう音、身体の下でカイルが呻く。掌にカイルが歯を立てる痛みすら甘やかで、俺はもう実は死んでしまっていて、天国にいるんじゃないかと思う。