チャイムに応えてドアを開けたのはカイルだった。カイルは俺を認めると頬を歪めた。 「来るなら連絡くらいよこせよ」 俺は肩で息をして、唾を飲むことしかできないでいた。玄関先で立ちすくむ俺にカイルの眉が寄る。 「何」 意を決して手を伸ばすと、カイルの身体は強張って後ずさる。警戒した動物のような目に、俺は自分が傷ついていることに呆然とした。 傷つく資格なんて俺にあるわけがないのに。 「ごめん、その、ただ。顔を、見たくて」 俺は唇を舐めた。言葉が続かなかった。いくらでもあった口説き文句のレパートリーなんかひとつも出てこなくて、 ただ目の前のカイルが逃げ出してしまうことだけが怖かった。 「俺、」 ちっとも治まってくれない動悸の下から、やっとのことで搾り出す。 「今までカイルに、嫌われるようなこと、」 俺のせりふは苛立った声に遮られた。 「今さら何だって言うんだよ」 カイルは肩をいからせ、俺に向けて腕を払った。 「大嫌いだ、お前なんか」 頭に、金槌でたたかれたみたいなひどい衝撃が走る。堪える間もなく目から涙が溢れてきた。頬を濡らす冷たい感触に翻弄されて、俺は嗚咽だけでもと必死で堪えた。 カイルの顔には明らかに動揺が走って、視線がゆらゆらと泳ぐ。 「どうしたの?スタン?」 涙で歪んだ視界で、スプリングコートを着込んだシーラがリビングから出てくるのが見えた。シーラは俺の顔を見て、あら、と声を上げる。 「あ、だ、大丈夫、」 俺の代わりに返事をしたのはカイルだった。 「ちょっとナーバスになってるみたい。部屋に連れてくね」 「そう。ママは買い物に行ってくるから。ゆっくりしていって、スタン」 シーラはそう言って俺の脇をすり抜け、俺はカイルに腕を取られてどうにか階段を上った。 部屋のドアが閉まると、カイルが肩を落とすのが見て取れた。 心臓がぎりぎりと締め付けられる。涙が止められない。俺はカイルに向き直ると、彼の前にひざまずいた。 「俺が、悪かった」 ごめん、という俺の声は、掠れて空虚に響いた。鼻声でまるで馬鹿みたいだった。でも俺は、伝えずにはいられなかった。だってわかったんだ。俺は、 「お前を愛してる」 膝を突いたカーペットはデニム越しに冷え冷えとしている。カイルの顔が見られない。俺は顎を引いてうつむいて、懺悔するみたいに目を伏せた。自分の乱れた呼吸だけが部屋に響く。 沈黙を割ったのはカイルのひきつった罵声だった。 「馬鹿にすんな!」 何を言われたって仕方がない。俺はただ自分の膝を睨む。カイルの、ふざけんな、とか、ちくしょう、という声は次第に上ずって、喉でぐうと潰れた音になった。 「なんで、お前の、」 不意にマリオネットの糸が切れたみたいに、カイルが俺の前に膝を落とした。俺はぎょっとして、よろける肩を慌てて支える。 「そんな安っぽい、いままで何万回も使い古された愛してる、に、」 こんなにかき乱されなきゃいけないんだ。カイルは消え入りそうな声でそう言った。 俺は必死でカイルの言葉を追って、腿で握られる彼の拳が震えているのを見たら、ハレーションを起こしたみたいに目の前が真っ白になった。 「カイル、ごめん、」 ごめん。そう繰り返して、俺は正面からカイルの身体を抱きしめた。 服越しに触れあったカイルの胸は酷く跳ねていて、病気なんじゃないかと心配になるぐらいだった。 どうにか人心地つくと、俺たちはベッドに座って、ボックスティッシュでお互いの涙を拭いた。丸めたティッシュはみんな床に放った。 俺はカイルと離れてしまいたくなくて、震える手をいなしながらカイルの肩に回した。頬をそっと寄せ、腫れぼったい瞼に小さくキスをしたけれど、カイルは少し首を竦めただけで抵抗する様子はない。上体を傾けると、カイルの身体は簡単に後ろに倒れた。 カイルは泣き腫らした目でこちらを見上げてくる。いつもの挑戦的なまなざしじゃなくて、マラカイトグリーンの瞳はどこか伺うように揺れていた。 ベッドに投げ出されたカイルの身体はどこもかしこも細くて、乱暴にしたら壊れてしまいそうで、今まで好き勝手に暴いてきた自分を殴ってやりたくなる。 俺はカイルに体重をかけないように脇から身体を寄り添わせた。恐る恐る顎を取り、触れるだけのキスをする。 頬、額、こめかみ。許しを乞うような気持ちでついばんでいく。カイルは身じろぎをすると、唸るように言った。 「優しくするなよ」 俺は戸惑いを隠せずに聞いた。 「なんで、」 カイルは俺の胸を拳でどんと叩いて、俺の鼻先で喚いた。 「いつもそんなふうに女の子を抱くんだろ!僕は女じゃない」 カイルの力なんてたかが知れているのに、叩かれたところが焼けているみたいにじんじん痛む。 「乱暴にしろよ、そしたら、」 スタンは僕を抱いてるってわかるから。そう続ける、カイルの声はひずんでいる。俺は言葉を無くして、それでもゆるゆると首を振った。 「カイル、違う、」 自分の声は力なく、迷子の子供みたいに響いた。 「ほんとに違うんだ、お前は、」 特別なんだ。語尾は掠れて消えた。 わかってもらおうだなんて、今まで俺がこいつにしてきたことを考えたら図々しいにもほどがある。 俺はカイルに覆いかぶさっていた身体を離した。初めてセックスしたときだってこんなに怖くなかった。罪悪感と緊張と、何か壊れやすいものに触れるときの畏れで胸が塞がる。 「ごめん」 俺は目を眇めて、カイルの頬を撫でた。 「もうお前の嫌がることはしない、無理させない」 大事にしたいんだ、と低く訴える。 カイルは俺から目をそらし、俺の胸に頭を埋めるように身体を丸めた。引っ張られる感触があって、見やれば手は俺のシャツの裾を握りしめている。 「厭じゃない」 カイルの声は殆ど聞き取れないぐらいにあえかだった。 「スタンにされて嫌なことなんかない」 けれど確かにそう聞こえた。 「カイル、」 俺はカイルの腕を掴んで上向かせた。カイルの目は縋るように俺を見ていて、それでもう最後のストッパーが外れてしまった。 カイルをかき抱き、唇にキスをする。深く、根こそぎ吸い尽くしてしまうぐらいに激しく。カイルの舌を探って甘く食めば、スプリングが激しく軋んだ。 「ああ、畜生、」 自分の中の衝動を抑えきれずに俺は歯噛みをした。俺たちを隔てる全てが邪魔で、抱き合ったままもどかしく服を脱ぐ。裸の肌が触れ合えば、そこから燃えてしまいそうな熱を持つ。 いつもシーツを握りしめているカイルの手が俺の首に回って、すぐ耳元にカイルの息がかかる。温かくて甘い。 「スタン、」 カイルの唇が俺の耳朶をぎこちなく挟む。 「カイル、カイル、」 俺は浮かされたように彼の名前を呼んだ。命綱みたいなもので、それがなければ溺れて死んでしまいそうだった。 衝動に流されるまま、俺はペニスを下着から取り出した。張り詰めすぎて痛いぐらいになっているそれにハンドクリームを擦り付け、カイルの尻たぶに押し当てる。ろくに慣らしもしていないそこはまだ硬さを持っていた。 ペニスを握るとカイルは長い息を吐いて、入り口が緩む。くわえることを覚えたそこは少しずつ俺の侵入を許した。 奥まで収めきった頃には汗みずくだった。俺の頭は痺れて、酔っ払っているときみたいにふわふわしている。 大きく吐き出す二人ぶんの息は、区別がつかないぐらいに混ざり合っている。その下からカイルの声が細く掠れた。 「スタンの、気持ち、い」 「俺も、ああ、カイル、」 俺は身を屈めてカイルにキスをした。 俺たちは今一ミリの隙間もなくぴったり一つになっていて、カイルの熱は今みんな俺が塞いでいる。そう実感した途端俺は震えて、カイルの中で達してしまった。カイルも一呼吸遅れて、俺の掌に白濁を吐き出した。 バスルームから濡らしたタオルを持ってきて、カイルの身体を拭いてやる。自分がつけたキスマークのひとつひとつを確かめる。 今まで事が終わったらそのまま彼を残して去ってしまっていたことを思い返して、俺の胃はぎゅうと痛んだ。 ヘッドボードに寄りかかり、俺に身体を預けながら、カイルは呟いた。 「許さないよ、僕は」 俺は自分の考えていることを読み当てられたようでぎくりとした。カイルの目は遠くを睨んでいる。 「スタンがしたこと、全部覚えてるから」 俺は瞬いた。 「一生、許さない」 それはどんなアイラブユーよりも俺を焦がして、胸苦しさに眉をひそめた。甘い綿菓子に肺まで侵されているみたいだった。息が出来ない。 「スタン、聞いてる?」 「ああ、」 聞き洩らすわけもない。 カイルは俺の腕の中に大人しく収まって、すんと鼻を鳴らす。俺はカイルの髪に顔を埋めて、堪え切れずに短く溜息を洩らした。もう何にもいらない。 お前のほかには、何にも。 不意にカイルが顔を上げた。伏せられた長い睫に見とれているうちに、唇が俺のそれに押し当てられた。 ぎこちないキスはすぐに離れて、カイルはすぐに俺の鎖骨に額を押し付けてしまう。 でもこれがカイルからの初めてのキスだとわかったら、もう泣くまいと思っていたのに鼻の奥につんとしたものが競りあがってきた。 end. 130406 |