スカーフをととのえながら部屋を出たところで、隣の障子にはりついている山崎と目が合った。 「あ、副長」 はよざーす、となんだかムカつく挨拶を寄越す。挨拶くらいちゃんと云え。三歩で近づき軽く頭をはたいた。 「なんだ、近藤さんまだ寝てんのか」 山崎は肩をすくめ、障子を半分開いておれに見せた。 「ご覧の通り高いびきです」 敷き布団から豪快にはみだした筋肉質の肢がこちらへ投げ出されている。掛け布団も半分はだけて、ぼりぼりと掻く腹までが丸見えだ。 「昨日の夜も接待だったからな」 近藤さんは朝に強いほうだけれど、酒が入るとてんで一人じゃ起きられなくなる。 「ぎりぎりまで寝かせてあげようと思ったんですけどね」 腕時計の盤面をこちらへ向ける。もう朝礼まで二十分もない。 「タイムリミットです」 そう云うと山崎は障子をすぱんと開き、ずかずかと踏み込んだ。声を張り上げる。 「おはようございまーす、朝ですよー」 遠慮のないそぶりで枕元にどんと膝を落とし、 「局長、局長ってば」 両手を口に当てて耳元でがなるけれど、いびきが止まる気配はない。 全く、しょうがないな。おれはふうとため息をつくと山崎の隣に膝をついた。 「いつまで寝てんだ、起きろよ」 ふとんをゆさゆさとゆすると、近藤さんはやっと眉を寄せて瞬いた。目を擦りながら瞼を持ち上げ、はたと硬直した表情になる。がばと上体を起こして、きょと きょとと周りを何度も見回す。両手でさぐるように布団や床をぱんぱん叩いている。 「何寝ぼけてるんですか」 呆れた山崎の声も、まるで聞こえていないかのようだ。 「近藤さん、おい、」 不自然な仕草を訝しく思って上半身を傾けると、両の手がおれの肩をがしと掴んだ。引きつった声で俺を呼ぶ。 「ど、どうしよう、トシ」 距離の近さに面食らい、腰を引きながら返事をすれば、 「な、なんだよ」 近藤さんはものすごいことを放言した。 「俺、トシしか見えない」 くわえていたたばこがぽろりと落ちた。 へどもどした口調の、要領を得ない近藤さんの話を根気強く聞き正し、やっとのことで事態が把握できた。 近藤さんの目には、おれ以外の何も映っていないらしい。音も、匂いも、触覚も。おれ以外の全てが認識できない、そうだ。 即刻朝礼は中止、緊急幹部会議に変更された。 足元も見えないので、会議室までおれが手を引いて歩いた。 座布団まで案内してやって座らせる。近藤さんは心細いのかおれの手を離さなかった。 間もなく次々とかけこんできた隊長連中が、近藤さんとおれの周りをずらりと取り囲む。 「どうしちまったんだ」 「ほんとにアタシも見えない?聞こえないの?」 口々に話しかけるが近藤さんは反応せず、時折頼りなげに視線を泳がせるくらいだ。総悟が耳元で劈くような大きな音を立ててみたりしたが、それでもきょとん とするばかり。本当に何も感じていないらしい。 ノートパソコンを抱えた山崎が輪を割って入り、画面を開いた。 「とにかく、原因になんか心当たりはありますか」 山崎が尋ねるのも聞こえていないので、いちいちおれが通訳することになる。近藤さんは腕を組んで唸った。 「うーん」 昨日は接待で、昼間は視察で。宙に文字を書きながらぶつぶつひとりごちる。 おれも首を捻って、ここ数日の出来事を必死で思い出す。 「あ、あのサル!」 総悟が大きな声を上げた。おれも思い当たって指をさした。 「そうだ、あんた、一昨日天人のやってた見世物小屋で」 「ああ!そういや」 一昨日はちょうどオフが重なって、移動遊園地が裏の神社の境内に来ていると聞いて何人かで物見遊山に行った。近藤さんはそこの檻につながれていた変な猿に なつかれて、ベロチューされていた記憶がある。 「アレオスだったんだよな……」 遠くを見つめる近藤さんを尻目に、山崎がキーボードを叩き出す。 「猿?猿ですね!」 横から覗き込めば輸出入管理局のデータベースらしい。ほどなくズラっとサムネイルが並んだ。 「多分ご禁制の輸入動物…で、サルに似た…」 いくつか窓を開いてパカパカ打つと、リストアップされた画面が映った。 そのなかのひとつをクリックして、モニタをおれたちに向ける。 「これ、これですか?」 桃色の毛並みの、猿の画像がいくつか映し出されている。 「ああ、こんなんでしたねィ」 総悟と、同行していた斉藤がうなずく。おれも同感だ。 近藤さんは見れないので、口で説明して確認する。 「近藤さん、毛の色がピンクで、目の周りがハート型になってたよな、あいつ」 「ああそうだ、そんなかんじだった」 てっきり普通のサルに色が塗ってあるだけかと思っていたが、れっきとした別の星系のいきものらしい。画像の上には「ペガススピンクサルモドキ」とあった。 山崎が眉をひそめてぼやく。 「税関すりぬけたのか、はなっから通ってないのか…」 辺境の星をまわって稼ぐようなドサ周りの芸人なんかが密入国していることはよくある。あの移動遊園地自体がそういう類のものだったのだろう。見るからにう さんくさい一座だったものな。 「続き読め」 ちらりと見えた警告マークが気になって促す。 「危険度レベル3。ええと局部銀河群のヒト型生命体における症状は…」 また何がしかを操作すると画面が切り替わった。 「唾液が感覚野に著しい干渉を与える。潜伏期間は数日間……あー、たぶんこれで間違いありません。地球人の罹患データはないですが、イプシロン星人の例 で、自分の親しか知覚できなくなってしまった子供のレポートが載ってます。メカニズムはよくわかりませんが、近しい特定の人物しか認識できなくなるような 症状が出るみたいですね」 「元に戻る方法は?」 おれの後ろから身を乗り出した原田がドスの効いた声でせかす。 「唾液から抽出した薬があるみたいです。あ、もういっこ症例が出てますけど……こりゃ関係なさそうですね」 ぶつぶつ云う山崎を遮って聞いた。 「輸入はできるのか」 「えーと。サルの産星がペガスス座51番星の第六惑星。こことの直接の取引はないので、時間はかかると思いますけど」 「とにかく早く手配しろ!あと、一応件の移動遊園地を追跡してくれ。局長は暫く急病扱いにする。スケジュールはキャンセルしろ」 手早く指示を出せば、四方からうす、とか、はい、という声が返って来る。 こんなときの連中の結束は固い。なにせ局長の一大事だ。 その場はすぐに散会した。 最後まで「ほんとーにアタシのことも見えないの?」とやっていた武田を蹴りだし、総悟も面白くなさそうにこちらに一瞥をくれはしたがそのまま出て行った。 あとにはおれと近藤さんが残る。 「トシ、なんだって?」 「ああ、薬があるそうだ。手配を急ぐ」 よかった、と肩を落として、表情筋を緩ませる。 近藤さんはおれの手を握る指に少し力を込め、苦笑いをした。 「ほんと、ヘンなの。世界にトシとふたりきりになっちゃったみたい」 喉から変な吃音が出そうになって飲み込む。 「ば、何云ってんだ」 安心しろ、すぐに元に戻る。そんなふうに云って肩を叩く。 一瞬ばかなことが頭を掠めそうになっておれは首を振った。 ほんとに、そうだったらよかったのに。 090101 |