「なぁ、トシ、オレな」 下校途中、俺の話にずっと上の空だった彼はそれだけ云うと、なんだかよそよそしい素振りで目を逸らした。歩みを止めたのは河原土手、ちょうど橋げたの辺り。 彼が口を濁すなんて長い付き合いでもあまり覚えがない。 顎鬚を親指で弄う仕草になにか違和感を感じて、おれは少し強い語調で促した。 「なんだよ、近藤さん」 今度はぐしゃぐしゃと頭を引っかく。トシには言ったほうがいいよな、ウン。 昨日からおれ、そう前置いて幼馴染の口から出た言葉に、 「伊東と付き合ってんだ」 おれは心臓が止まってしまうかと思った。むしろ止まらなかったのが不思議なくらいだ。 体中の血が引いていくのがわかる。おれは呆然と近藤さんに向けた視線を逸らせずに、冷たくなった指先を他人事のように感じていた。 「、んだ、それ」 かさかさの音が口蓋のあたりで力なく弾ける。 おれはともすればぐらついてしまいそうな頭を必死で支えた。 伊東と。あいつと。付き合ってる。なんだそれ、どういう。 ぐるぐると想像が渦のように巻いて、意味を咀嚼しようとするけれど上手く行かない。茶化して、みんな誤魔化してしまいたいと思った。自分を保つにはそれしかないような気がした。 そう思ったら、は、笑ったような息が出た。震えた舌がちりと鳴る。 「彼氏と、彼女、みたいな?」 語尾をやっとのことで軽くあげる。 「ああ、うん」 そんなかんじかな、と照れくさそうに笑うから、否定もしないから、 ぐらぐらに煮立った頭が破裂して、引き攣れた喉から言葉が飛び出していた。 「気持ち悪ィ」 それはひび割れて自分の耳に届いた。聞いたことがないくらいにひずんでいる。 目頭に集まってくる熱を振り切るように、耳元を覆う熱を叩きつけるように吐き出す。 「それじゃあいつ、カマ野郎じゃねぇか」 視界がぶれたかと思うと、おれは地面に叩きつけられていた。肩が地面について砂利が鳴る音。 一瞬何が起こったかわからなかった。熱さと、数瞬遅れて痛みが頬を覆いだす。殴られたんだ、そう認識しておれは地面についた右手を顔に持ってきた。指は震えて肌を叩いた。 「頭冷やせ」 子供を叱るときのような厳しい口調でそれだけ言うと、近藤さんはすげなく背を向けた。 背中が見えなくなるまでを送って、おれはようやく身体を起こした。打ちっぱなしのコンクリートの壁に、身を隠すようにして体重を預ける。 ばくばくとがなるような音の下から、心臓がぐうっと喉元までこみ上げてきて、おれはやっとのことでつぶれたような声を出した。 堰を切ったみたいに漏れ出す嗚咽に、初めて自分が泣いているのだとわかる。額が割れるかと思った。 情けなくて、悲しくて、 何より訳がわからなくて、頭の中はぐちゃぐちゃだった。 「おはよう」 自分が突っ伏す机の脇をすり抜ける、伊東の横顔は笑っているように見えた。 咄嗟に駆け上がってきた、殴りつけたい衝動に耐える。 返事の代わりに思い切りねめつけて奥歯を噛んだ。 もとよりこいつは気に食わなかった。剣道部に入ってきたときも、すぐに実力で副将のおれに並んだときも。話し方も、メガネの上げ方も、笑い方も、何もかもが不愉快だと思った。 そしてたぶん一番気に食わなかったのが、近藤さんが懐にこいつを入れようとしてやたらと構っていたこと。まんざらでもないような顔をしたこいつが、それに応えて近藤さんの周りをうろうろするようになったこと。 一晩考えて、今こいつを見て、認めたくなかったけれどもこれではっきりしてしまった。 これは嫉妬だった。彼のすぐ隣の場所を奪ったこいつへの、醜い、見苦しい。 伊東が男だとか、おれがひっかかっているのはそういうことじゃないようだった。 彼のいちばんがおれじゃないこと。そんなことは考えてみたら別に不思議なことでもなんでもないのに、これ以上残酷なことはこの世にないと、おれの身体の全てが訴えていた。まるで自分のものじゃないみたいにおれを苛む。おれはずくずくと軋む動悸を持て余した。 トシ、聞きなれた声に反射的に面を上げる。 「ごめんな、昨日」 眩しくて瞬けば、近藤さんがこちらにばつの悪そうな顔を向けていた。 「殴ることなかったよな。すまん」 でも。 「ああいうこと言うトシ、俺嫌いだぜ」 めっ、と口を尖らせる。ふざけている時のものでない声音。おれは鼻の裏を競り上がってくる痺れに眉を寄せた。 「…ああ」 やっとのことでそう返事をすると、近藤さんは歯を見せて笑った。 よかった、仲直りだ。嬉しそうな声が弾む。 「なあ、トシは変わらず友達でいてくれるよな?」 まっすぐこちらに差し出される手を、おれは握ることができなかった。 ただ虚ろに、近藤さんに視線を返すのが精一杯だ。 世界がひっくりかえって、全てが息を飲んだところにある、 こんな気持ちを知りたくなかった。 080117 |