参謀室の柱時計が遠くで鳴った。 闇の中で目をこらすと、壁の時計は三時を指している。このまま副長室で夜を明かすわけにもいかない。朝になる前に自室に戻らないとならない。おれは彼の眠りを妨げないようにそっと立ち上がった。 襖を後ろ手にそっと閉め、かかとを回して面を上げて、おれは息を呑んだ。 「局、ちょ…」 「おう」 寝癖のついた頭で、俺の方を向いて軽く手を上げる。 落ち着け。跳ね上がった心臓をいなす。局長室はすぐ隣だ。彼がここにいて不思議な事はなにもない。 行為の声が聞こえたかもしれないと可能性を一瞬疑ったけれど、一回寝付くとつねっても叫んでも起きないと副長も言っていたし、今日だって高いびきをかいているのを確認してから部屋に忍んだんだ。 でもまるでおれを待っていたようなタイミングだった。便所に起きてきたという様子でもない。 それに、こんな時間にここにいる俺に何をしているのかすら聞かずにいるのは変だ。 訝しげじゃないことが何よりおかしいと思った。 言葉を失ったようなおれに、局長はからりと云った。 「いつもトシのお守りまかせて、悪いな」 局長は笑っていた。月明かりの所為かやけに見なれない顔に思えた。 ごくりとのどが鳴る。せりふの真意が読めない。俺は鎌をかけるつもりで、おそるおそる口を開いた。 「知ってた、んですか」 「まあな」 局長はすぐに応えた。何を、とも訊かなかった。 「おまえらがその部屋でやってることも」 昼間軽口をたたくのと何も変わらない口調で、ト書きを読むみたいにさらさら云う。 「あいつが誰を好きなのかも、な」 頭から一気に血の気が引いた。 あんたは。わかってたというのか。あのひとがあれだけ苦しんで、あんたを想って唇を噛んで、あんたの名前を呼びながらおれに抱かれていることを、 知ってて笑っているっていうのか。 あんまりだと思った。 腹が立った。初めてこのひとをひどい人だと思った。 喉はからからだったから、唾を飲んで口を開いた。 「そんなら、」 吐き出さないといられなかった。憤りをこめて低く唸る。 「おれが貰っていいんですね」 そんなことができるはずもない、おれじゃ局長の代わりになんてなれっこないと痛いほどわかっていたけれど、云わずにはいられなかった。 だってこれじゃあまりに救いがない。何より想う相手におれを「宛われている」あのひとが、ただかわいそうだと思った。 おれの精一杯の啖呵にも、局長は眉ひとつ動かさなかった。動じている様子もない。 おれは歯を食いしばって睨め付けた。自分の無力さに泣きたくなった。 「失礼、します」 脇をすり抜けるようにおれが足を踏み出したのと、局長が口を開いたのはほぼ同時だった。 「俺は」 聞いた事がないような低い声だった。 「誰にもくれてやる気なんかねぇさ」 おれの肩の後ろで発されたそれは、おれの耳の底で、水面に落ちた小石みたいに波紋を作った。 意味を考えることを頭が拒否している。バランスを崩しそうになる重心をやっとのことで立て直す。 じんじんと響く耳鳴りを振り払うように、おれは廊下を早足で駆けた。 (了) |