ミルキージャンク・5


車が裏門の前で止まると、すぐにガラスの向こうに制服が集まってきた。
手を振って前歯を見せると、緊張気味の連中の顔が少し緩む。
ドアを開き、回り込んできた山崎に肩を貸されてタクシーを降りた。

「局長!」
「局長、大丈夫ですか」
「大丈夫だ、心配かけたな」
群がるみんなにそれぞれ返事をして、抱えられるようにしながら玄関までの道をゆく。
歩く分には一人で平気なのだけれど、好意が嬉しくてされるがままになった。
口々に吐かれる見舞いの言葉に、有り難くって涙が出そうだ。

術後の経過に問題がなかったこともあり、結局一泊二日での退院になった。



框に上がると残りの一団に歓待を受ける。
じゃれあっていると少し離れたところにチューインガムを噛む総悟を見つけた。
またトシと何かやりあったのか、頬の辺りに絆創膏を貼り付けている。
目をあわせれば、つまらなそうな顔がふと緩んだ。

「よっしゃ、祝い酒だ」
永倉がどこから出したか一升瓶を掲げ、周りが沸き立つ。
「ちょ、あ、安静にって云われてるんですけど!」
狼狽えたような山崎の声が歓声にかき消されたとき、
「黙れ!」
やにわにドスの効いた声が響き、場はしんと鎮まった。
人だかりを割って進み出てきたのは他でもないトシだった。

「局長には数日安静にしていて貰う。酒は快気してからにしろ」
うーす、とか、ハァい、とか気の抜けた返事が上がる。
「持ち場に戻れ」
強い語気に促され、皆三々五々に散らばっていった。
トシは山崎から荷物を受け取り、ついてこいと云わんばかりにちらりと振り返った。



宿舎棟に続く渡り廊下まで来て、ようやくざわめきが遠くなる。
「お帰り」
考え事をしていたせいで、発されてから言葉の意味を理解するまで少しかかった。慌ててただいま、と早口で応える。
さっきから後ろ姿のトシを上から下までじろじろ眺め回しているけれど、腰つきといい隊服の着こなしといい、どうやら女のそれではない。

「戻ったな」
ほっとした声を出す。トシは進行方向を向いたまま無感動に応えた。
「ああ」
荷物を持っていない方の手で首の辺りをぼりぼりと掻く。
「女がいいとか男に戻れとか、全く、あんたのワガママに付き合ってたら身が持たねぇよ」

「ん、うん」
反射的に相づちを打ってから文脈の違和感に気づく。
あれ、なんかうやむやのうちに俺が悪いことになってるんだ?
一言言い返してやりたかったけれど咄嗟に頭が回らず第一嫌味が通じるような相手ではないから、唇だけを歪めていると、トシが横顔だけこちらに向けた。

「まあ惚れた弱みってやつだから、仕方ねぇけどな」

口の端は小憎たらしく持ち上がっている。
やっぱりこいつには、こういう顔がよく似合うもんだから、
まあいっか、という気分になってしまうんだ。






「いやーほんと、一時はどうなることかと」
こたつを囲んだ山崎が向かいでため息を吐いた。二人の喧嘩に巻き込まれたのか、更に生傷が増えている。他人事じゃないけれど、こいつも貧乏籤ばかり引く性分らしい。
「でも流石のあのひとも最後には局長の云うこと聞くんですね」
「はは」
ひきつった笑いを返す。どちらかというと丸め込まれたのは俺の方なんだけれども。
向かって左隣で黙々とミカンを剥いていた総悟が、ぴくりと肩を動かした。


ウワサをすればなんとやら。
がらりと襖が開くと、隙間風と一緒にトシが入ってきた。
「ひゃァ寒ッ」
「早く閉めてくだせィ」
情けない声を出した山崎を軽く蹴って、俺の方にハガキ大の紙を突きだしてきた。
「近藤さん、これ冬の査定」
「ああ、昨日だっけか」
開封した様子のあるそれに首を傾げていると、向かって右、こたつの角に入り込んだトシが電卓を取りだしてぱこぱこ打った。開いた雑誌と見比べ、顎に手を当てて頷く。

「全部貯めたら、春には行けるよな」

ちらと電卓の窓を覗くと、俺のボーナスの手取りが表示されている。
「ど、どこに」
「まさちゅーせっつでは男同士でも出来るんだぜ」
「な、なにが」
「わかってる癖に。ヤボなこと聞くなよ」

脇で開かれている雑誌にはウエディングドレスの写真が載っている。
更に畳の上に何冊か転がっている結婚情報雑誌を目視して、不本意ながら確信が深まる。


「指輪は給料三ヶ月ぶんでいいかんな」
ほんの少し上気した頬でにやりと笑いかけられ、後頭部が支えを失ってぐらりと揺れた。
総悟はこれ以上ないくらいしょっぱい表情、山崎は沈痛極まりない表情を明後日の方向に逸らしている。どうやら助け船は期待出来ないらしい。

額の辺りに脂汗が浮かぶ。俺、やっぱり早まったんじゃないかな。
理性ではそうわかっていつつも、嬉しそうなトシから目が離せず、蛇に睨まれた蛙ってこういうかんじじゃない?と頭の隅でぼんやり思った。





(了)
071111