マイライフアズアドッグ(前)



油断していた事がみっつある。
ひとつ。沖田が隣の席に座るのを許した。
ふたつ。食事中に自分の盆から目を離した。
みっつ。喉にひっかかった球体をそのまま飲み下してしまった。だって八宝菜だったから。
しかしそれがうずらの卵でなかったことは次の瞬間怖ろしい帰結となって俺を襲う事になる。


ぞわり、と生温い電気のような衝撃が脊髄を通り抜け、
俺は呻いて頭を抱えた。

「ら、らいりょーぶれすか副長?!」
口の中にいっぱいモノを詰めたまま山崎が叫ぶ。
トレイごと食器が床に落ちる音。痛みは脳天まで突き抜けてやっと峠を越えた。
荒い息を吐きながら薄目を開く。何が起こった?

こめかみに当てた手にふかっとした感触。
まるで動物、みたいな。

焦点を合わせると目に飛び込んできたのは、
堪えきれないように腹筋を震わせる沖田。
箸を取り落とす山崎。それから毛が逆立ってる斉藤。
その他食堂中の視線が俺に注がれている。
俺は手元の感触を今一度確かめた。耳。そういえば耳がない。耳の位置に、毛皮がだらんと。
山崎が震える手で鏡を突きだしてきた。
映っていた耳はどうみても、犬のそれ、だった。


「なんだ、これ、わん」
がばっと口を押さえた。何だ。わんってなんだ。

沖田がもうダメだ、とばかりに膝を叩いた。
「おま、オレになに食わせたんだわん!!」
「獅子丸だ、獅子丸だ、懐かしいですぜィ」
品もなく笑いだす総悟に掴みかかる。椅子がガタンと後ろで倒れる。
バサバサと背中で変な音がする。厭な予感がして振り向くと
毛足の長い尻尾が椅子を押し退けて揺れていた。

最悪だ。今年は大殺界か?





総悟が俺の食事に混ぜた異物がアメ玉であったこと。
それが天人の間で流行っている身体が一時的に変態する菓子であること。
入手経路は万事屋らしいこと。そこまでは締め上げてどうにか吐かせた。

『ハイ、万事屋…』
「オイ、何てもん売りつけやがったんだわん!!」
電話に出たのは少年の声だった。あの女の弟だろう。
『…土方さん?土方さんですか?』
「そうだわん!お前らのせいでなぁ…」
電話の向こうで無遠慮に吹き出したのが聞こえて、音が遠ざかった。
声を張り上げて他の二人を呼んでいる。あのメガネ、いい性格してやがる。
『えー、多串くんどうしちゃったの?!』
「どーしたもこうしたもねぇ、わん」
『ワンって云ったアルよ、銀ちゃん、こいつワンって云ったアル!』
電話口に代わる代わる出てはゲラゲラ笑うあいつらに人を労る心とかそういうのはないのか。
今度会ったら斬る。重ねて膾にする。

ドスを効かそうと思ったけれど喉から出たのはキャンキャンした子犬の声で、
それが更にツボに入ってしまったらしくもう受話器の向こうからは笑い声しか聞こえなくなった。
…ダメだ。俺は受話器を力任せに電話台に叩きつけた。




山崎の調べによると、元に戻るにはその菓子の姉妹品を食わないとならないらしく。
「業者に頼みましたけど、取り寄せには一週間はかかるみたいです」
「一週間もか、わん…」
ぶくっ、と口元を覆う山崎に、斬りかかろうと柄を握った矢先。

「お手!」
背筋がぴんと伸びた。
総悟が右手をこっちに出している。ふざけるな。誰がやるか。誰が。
意識ではそう思っているのに俺の右手は条件反射みたいにその上に重ねられた。
身体が云う事を聞かない。
「ほー。よくできてまさぁね」
「ぐ、う…」
犬みたいに丸まった右手はどんなにどかそうとしてもぴくりともしない。
「お次は…そうだ、ちんちんしてもらいますぜ、ちんちん」
「総悟、おまっ、殺す!殺すわん!!」
それでも身体は哀しいかな求められたポーズを取ってしまっている。
俺は涙目で叫んだ。
「山崎、てめェその菓子見つけてこいわん!持って帰るまで屯所の敷居は跨がせないわん!!」
「ええー」
だから売ってないんですってば、とやる気のない返事がする。あーもう、なんで俺の部下はこんなんばっかなんだ。
「なんだ、何の騒ぎだ?」
脳天気な声と共に参謀室の襖がバタンと開いた。
俺は一気に青ざめた。
近藤さん、だ。このひとにだけは見られたくなかった。こんな姿。
今日は朝から登城していていなかったから、すっかり失念していた。

「トシ?どうした、その耳」
振り向けない。合わす顔なんてない。
「尻尾も。作り物か?」
山崎が慌ててかくかくしかじかで、と説明をする。
近藤さんは本物か!スゲーなとわけのわからない感心の仕方をして
後ろからがしがしと俺の頭を撫でた。耳も力任せに掴む。

「近藤さん、…ッ?」
瞬間、内股をものすごい速さで痺れが駆け上ってくる。
「あ、あ…」
痺れが付け根まで来たと思ったら、下半身が一気に生暖かさに見舞われた。

勢いのいい水音。ズボンの裾でぴちょん、と滴る。
山崎が俺と俺の下半身、近藤さんを見比べて真っ青になっている。
「な、なんで…」
俺は顔が赤黒くなっていくのを感じた。
頭の中が真っ赤になる。
靴下越しに畳が水滴を吸っていくのがわかる。
尻尾はばたばたと、大仰に揺れっぱなしだ。
「ト、トシ…?」
頭に置かれた近藤さんの手が、戸惑ったようにびくりとする。

「身体は正直だなァ」
暢気な物言いの総悟に、山崎が訳がわからない、とばかりに聞き返す。
「な、なんで…」
「子犬は好きな人に撫でられると嬉しくってチビるんでさぁ」
そんなの初耳だ。どこまで性質が悪いんだ総悟(とこの菓子)は。
そんなところまで再現しなくたっていいだろ。
「うれしっこって云ってなぁ」
総悟の嬉しそうな解説を背中に、近藤さんの手を払って俺は駆けだした。
「お、おい、トシ、トシ!」
もう三日くらい誰とも顔を合わせたくない。