空白のきみ・1



朝食どきの食堂。カウンターで納豆定食を受け取ってテーブルのほうへと振り向くと 、おお、と歓声が上がった。なんとはなしにそっちに目をやれば皆の視線の先は神棚横に添えつけのテレビだった。仰ぎ見れば朝のワイドショーがやっている。

映っていたのはヒトデの形をした天人。テロップには幸配星親善大使とあった。
天人の大使なんて、文字通り星の数ほどいて入れ替わり立ち替わりやってくるので珍しいことでもない。ただ今回の幸配人とかいう天人は地球人には想像もつかない超常現象を起こす力を持っているらしく、歓待の礼として、置き土産に七百七十七人の願いを叶えます、と言い残したというのだ。
そのときは持て成した地球側も真に受けていなかったのだけれど、一夜明けてみたら不治の病が治っただの、失明していたひとが見えるようになっただの、絶望視されていた事故から生還しただの各地から報告が相次ぎ、すわあれは本当だったのかと騒ぎになった次第。そのワイドショーでは朝から討論会を開いていた。

「でもこれ、ほんとにその天人のおかげなんですかね」
「そうだよな。単なる偶然てこともありうるし」
「あれ、バーナム効果?ってやつ?」
朝食を口に運びながら、皆口々にコメントしている。オレは眉唾だなーという感想で、特番だからお気に入りの女子アナが出ていないことにがっかりした。

席を探そうと見回して、ひとつ離れたテーブルに不機嫌そうな顔をしている副長をみつけて、オレは慌ててトレイをテーブルに置き、背筋を伸ばした。
「おはようございます」
「おお」
副長はオレの方を見向きもせず、自分の皿にマヨネーズを勢いよく搾り出している。間もなく、ブッ、という音を立てて容器が息絶えた。
「オラ、山崎、」
掌を向けられ、オレは駆け寄ると、咄嗟に懐を探って携帯しているマヨネーズを差し出す。副長は無言で受け取るなり眉を吊り上げた。
「冷えてねえ!」
と拳骨をいただく。慣れてる。慣れてるよこの理不尽。

食堂の入り口で新人隊士の高い声がした。
「あっ局長」
「局長、おはようございますっ」
「おー、はよっ」
長身とツンツン頭で遠目にもすぐにわかる。ひらひらと手を振って愛想を振りまくとトレイを受け取り、隊士と挨拶を交わしながらこちらのほうに大股で歩いてきた。

「おはよ、トシ」
笑顔を向けられた副長は、ぽかんとして局長を見ていた。
向かいのテーブルにガタンと塩鮭の乗った盆が置かれ、椅子を引いた局長は腰を下ろすと、無遠慮な副長の視線にやっと訝しげな顔になる。
なんかまた『惚れなおした』とか寒いこと言い始めるんじゃないだろうなとオレは両肩を抱いたが、その予想は大きく外れた。それもあさっての方向に。

「あんた、誰?」

副長の声はよく通って、食堂中が静まり返った。



朝礼どころじゃない。場所を広間に移して、副長は座の真ん中で質問責めにあっている。
「俺は」
「原田。原田右之助」
「おれは?」
「永倉。永倉新一だっけ?」
「新七だよ!」
雁首並べて一巡するが、
隊士の氏素性に始まり、屯所のことだの警察庁のことだの、先日やった作戦の内容や、おとつい食べた昼飯までまともに覚えていた。局長のことについて以外の記憶に混乱はなさそうに見える。

輪からちょっと外れたところにいた局長が副長に近寄る。鼻先の距離まで近づいて、眉間に皺を寄せた。
「ほんとに、俺のことがわかんねえのか、トシ」
副長は暫く局長の顔を眺めた後、神妙に首を振った。
「わかんねえ」

オレはなんだか腹すら立ってきた。茶番だってあんまりだ。
「近藤勲、真選組局長。この組で唯一のあんたの上司です。付き合いは十年越しで、あんたは惚れぬいてここまで、」
「金魚のフンみたいにずーっとついてきたんだよな」
沖田隊長が茶々を入れる。またこの人のいたずらじゃないだろうな。ちょっと睨みつけたらつまらなそうにそっぽを向いた。

なんでまた、よりにもよって。その戸惑いはみな同じらしくて、原田隊長が、はあ、とひとつ溜息をついた。
「江戸に来た時のことはどう覚えてるんだ?」
「え、そりゃ、あんときは道場のみんなで、」
「だから、その道場主がこのひとだってば」
「武州の頃……師範のじじいも、総悟も、お前らも、ミツバも、覚えてるのに」
副長は苦しそうに口元を歪めると、頭を抱えた。
「わかんねえ、肝心なとこに霞がかかっちまってるみたいだ」

局長はさっきから、口元に拳を当てたままだ。
何か言いたげで、けれどかける言葉がみつからないといった様子だった。
副長はきょろきょろ周りを見渡すと、局長の袖を遠慮がちに叩いた。
「ええと、何て言ったっけ、あんた」
酷い問いかけだと思った。他人事ながら胸がずきりと痛む。
局長はうろたえずに、力強くゆっくりと応える。
「近藤、近藤勲だ」
副長は名前を復唱すると、目を眇めた。
「こんどう、さん、悪い、あんたのこと忘れちまって」

いいや、と答えた、局長の顔色はこころなしか白く見えて、オレはいたたまれない気持ちになった。その場にいた誰もがそうだっただろうと思う。



急遽往診を頼んだ医者はとりあえず、副長の頭に外傷がないかをためつすがめつ診察した。専門ではないからと口を濁しながらも、外傷性でも(多分)ストレスでもないのであれば原因はわからないと。天人由来の大掛かりな機械を使えば腫瘍の類なら発見できるかもしれないけれど、可能性は低いであろうと言った。
こういう部分はデリケートだからとかなんとか言われて、結局事態は進展しなかった。ここは経過を見守るしかないのだろうか。




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