昼時分、食堂でそばをかっこんでいると、入り口に近藤さんがいるのを認めた。 麺をすすりながら何とはなしに観察していると、喋っている相手は四年目の平隊士のようだ。 おねがいします、と深く頭を下げた彼に、いいよいいよと近藤さんが笑いながら手を振っているのが見える。 彼と別れた近藤さんはカウンターでかつ丼を頼むと、ほどなくしておれの前の席に着いた。 「何の用だ、あいつ」 平隊士が局長にさしで話なんかないだろう。何か粗相でもしたのか。そう思いながら尋ねると、近藤さんはけろっとして言った。 「ん、今夜俺のケツ貸してって」 おれは固まった。意味が消化できず、瞬いて近藤さんの口元を凝視する。 その間に近藤さんはかつ丼を食べ、前後の隊士とちょっと喋り、おれがじわじわと脳に届いた言葉をほぐし終わったころには、すでに近藤さんは席を立った後だった。 「副長、顔真っ青ですよ」 話しかけられて我に返る。そばは伸びきって器も冷えていた。 おれの向こう隣に座っていた山崎が、ひらひらとおれの前で手のひらを振る。返事もできずに 「もしかして知らなかったんすか?」 「ばか、お前」 永倉が横から山崎の脇をつつき、口を手で押さえる。 おれは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、テーブルに膝をばんとついて山崎の胸倉を掴んだ。 「何だ。言ってみろ」 「えと、だから、その」 山崎はおれのうでに吊られるような形になり、激しく目を泳がせながら瞬く。 「暗黙の了解ですけど。頼んだらさせてくれるって、」 山崎を支えていた腕からぶらんと力が抜けた。山崎は椅子ごと床に倒れ込み、糸が切れたようになっているおれから這うようにして逃げだした。 垂れた両腕が重い。頭から冷水を被せられたような錯覚がする。 なんで、だって、男同士で。そんな気軽に、貸し借りするようなもんじゃ。 午後の業務の間中、狼狽しきった思考を持て余して、それでもおれは居ても立っても居られなかった。風呂から上がり、近藤さんの部屋の前を行きつ戻りつして、やっと襖越しに声をかける。 「近藤さん」 名前を呼べば襖の向こうから元気な返事がかえってくる。 「おお、トシ。入れ入れ」 言われるままに戸を引けば、近藤さんは刀の手入れをしているところだった。おれは近藤さんのすぐ真横に座り、身を少し乗り出した。 「話がある、」 おれの低い声に真面目な話だと悟ったらしい。近藤さんは刀を脇にやり、俺に向き直るように姿勢をただした。 曇りのない近藤さんの目に耐えかねておれは視線を落とす。何度も唾を飲んでから、おれは意を決した。 「あんた、平隊士どもに、その」 「ああ、ケツの話ね」 近藤さんはまったく悪びれず、話はなんてことないように引き継がれる。 「ねー。俺みたいなオッサンでいいのかなって思うけどさぁ。思いつめた顔でお願いされたら無碍にもできないじゃん。みんなそんなに女の子に飢えてんのかなぁ」 明るいトーンから内容が浮いて聞こえる。 このひとの言うようにそんなに大したことじゃないのかもしれない、と懐柔されそうになるのを振りきって、おれは喉をひきつらせた。 「そんなの、いちいちあんたが相手してやること、」 言葉は上手く出てきてくれない。宙ぶらりんになったせりふを、近藤さんは笑い飛ばした。 「まあ減るもんでもないしさ、素人の娘さん相手に下手打つよりはいいんじゃないの。みんなすごい感謝してくれるし、慣れればそれなりに気持ちいいよ」 おれはもう聞いていられなかった。頭のてっぺんまで上った血が沸騰しそうだ。 近藤さんの笑顔にはちっとも邪気がなくて、邪気がない、ということにおれは愕然とする。 おれはもうずっと、それこそ十年越しで、近藤さんについてもやもやしたものを抱えていて、でもそれは性欲とは違うものだと、結び付けちゃならないとあえて必死で遠ざけてきたのに。 それをこんなにあっけらかんと受け入れて、笑顔でいられたら立つ瀬がない。それも若造の隊士相手に。何人も。頭の中は羞恥と憤りと困惑とで破裂しそうだ。 なにかが踏みにじられた、でもそれは信頼でも絆でも大義でもない。ただ単におれの中で勝手に作り上げた、歪んだ幻想なのかもしれない。 だって近藤さんはこんなにも眩しく笑っている。 こちらを見やる近藤さんの、にこにことした表情をとにかくどうにかしたくて、おれは唸るように言った。 「法度を作る」 近藤さんの眉間がぴくりとこわばる。 「トシ、」 なだめるような声を振り払いたくておれは畳みかける。 「大将がそんなこと、させてやるこたねえ。大将をてめェの捌け口に使うような真似しやがって、そいつらみんな切腹だ」 「トシ、落ち着け!」 ぱん、と乾いた音がして視界がぶれた。 おそるおそる指先を当てた頬が熱い。顔を張られたのだと知っておれは、近藤さんに視線を茫然と向けた。 近藤さんはいかった肩を下ろして、おれの目を見据えた。 「俺だって、肌を合わせりゃ捌け口にされてるかされてないかくらいわかる。俺のこと頼りにして甘えてくれてるだけだ。事実、俺に頭下げにくんのは稽古も業務も熱心で、信頼の篤い奴らばっかりだぜ」 近藤さんの言葉が耳鳴りみたいに鼓膜に響く。おれは頬を押さえたまま、鼻の奥を刺すつんとしたものに耐えた。 110208 |