件のプレイヤーを胸ポケットから尻ポケットへ、出してはひっこめ、ひっこめては出しを繰り返している。どこに入れていても落ち着かない。 ぴりぴりしているのを隠そうともしなかったら、日数が経つにつれおれの周りは人払いをしたみたいに静かになった。最低限の連絡をしに来る連中も用件が済んだらすぐに引っ込む。畢竟一緒にいる時間が長い山崎は、三日目に至って防刀チョッキみたいなのを着こんできやがった。さらにむかつくので着膨れていないところを狙って殴った。当の本人がいないのだから八つ当たりするしかない。 さっさと終わりにしてしまおうかとも思う。五日後と指定されたけれど別に律儀に守らなくったっていい。そんな義理なんかない。 キャバ嬢の誕生日なんて真に受けやがって、バカじゃねえの。今年何回目の誕生日だっつーの。かこつけてプレゼント毎回むしられてるくせに、気づかないのかね、あの御仁は。 一日目は屯所を出たところ、二日目は出て角を曲がったところ、三日目は警護の夜勤。四日目はかぶきちょうの入り口まで行って引き返してきた。 当日は敢えてスルー。万が一にも誕生日が本当の場合、万が一にもあのひとのポイントが上がったら困るからだ。さて六日目の夕方になって、文机に置いたプレイヤーとにらみ合う。 渡してやることなんかない。行かない。でも、明日帰ってくる近藤さんになんて言おう。残念がるだろうか、トシひどい、と怒るだろうか。想像だけでいたたまれなくなって、首を振る。おれは重い腰を上げ、おざなりにマフラーを巻いた。 ごてごてした装飾の扉を押すと、黒服に迎えられる。 まだ準備中だという彼を押し切り、志村妙を出せ、と警察手帳を見せれば、慌てて奥へひっこんでいった。 ほどなく現れたお妙は、後ろ髪をちょいちょいと整えながら言った。 「職権濫用じゃないかしら」 「顔貸せ。きっかり一時間」 本当なら会話をするのも厭だ。短く言えばお妙は、はあ、とため息をついてみせる。 「こちらも暇じゃないのよ」 「だから開店前に来てやったんだろうが」 「そうね、ボトル一本。それで手をうつわ」 誰もいいとは言っていないのに、決まりね、と言いながら颯爽と背中を向けて先導する。この女のこういうところが嫌いだ。好きなところなんか微塵だってないけれど。 通されたのは角の、他の席からは気持ち隔離されたようなボックス席だった。 お妙は、どうせなら顔がいいほうがいいわよね。などと失礼なことを言いながら席に着く。おれはソファの一番はなれたところに座った。 お妙は黒服を呼んで、早速ボトルその他を頼んでいる。わざとらしいムーディなBGMに胃がむかむかする。早いとこ終わりにしたい。 お妙が黒服からグラスと氷の載った盆を受け取ってこちらへ振り返ったタイミングで、おれはニスのかかった落ち着いた色のテーブルに、音を立ててカセットプレイヤーを置いた。 「あら、なにかしら」 「あんたの誕生日昨日だっていうから、近藤さんから言付けだ」 ひと睨みすれば、お妙はしれっとして目を細める。 「そんなこと言ったかしらねえ」 ほらやっぱりウソだ。 一体いくつにおなりなんだか、と嫌味を足せば、 「レディに年を聞くものじゃなくってよ」 鈴が鳴るように笑う。おれはイヤホンを投げつけるようにお妙のほうへと寄せた。 「いいから早く聞け」 「ゴリラの声を一時間も?拷問だわ」 おれにとっても拷問だ、と口の中で呟く。 「てめえが聞き終わるまで帰れねえんだ。さっさとしろ」 脅すように低く言えば、お妙は肩を少し竦めて、白く細い指をイヤホンに伸ばした。女らしい所作で耳にはめると、カチリとプレイボタンを押す。 内容まではわからないが、漏れ聞こえる近藤さんの声に、ちくりと胸が痛んで、それからじくじく疼きだす。 お妙は聞きながら水割りを作ってこちらに寄越したが最後、半分目を瞑っている。寝てるんじゃねえの、この女。 お妙の作った酒になんか口をつける気にもなれない。やけばちな気持ちで灰皿を引き寄せ、煙草に火をつけた。おれは何をやってるんだか。 誰より憎んでいる女に、誰より愛している男が、愛を囁くのを隣で聞いている。そう思えばとたんに惨めな気持ちになる。 なんでおれはこんな思いをさせられてまで、彼のことが嫌いになれないんだろう。 ガチャン、とB面に自動で切り替わったとき、ぴくりと眉が動いたけれど、すぐにいつもの読めない顔になった。おれの気のせいかもしれない。 黒服が灰皿を二回ほど替えに来た。二箱めが半分ばかり減ったところで、ようやくお妙は耳からプラグを抜いた。ひどく長い六十分だった。 「はい、聞いたわよ。全部ね」 おれは礼も言わずに席を立った。一刻も早くこの女の顔が見えないところへ行きたい。 「勘定は近藤さんにつけとけ。じゃあな」 早足で大通りを駆け抜ける。酒なんか一滴も飲んでいないのに頭がカッカしている。 メトロのマークが目に留まったので、何の気はなしに地下へと潜った。この時間は本数も少ない。ホームのベンチにどっかと腰掛けると、いっきに疲労感がおれを包む。暫く身動きしたくない。 つっこんだポケット、指先に当たる感触。おれはぼんやりイヤホンを取り出した。 もう一週間も耳にしていない。さっきあの女のイヤホンから漏れ聞こえるのだけでもひったくりたい衝動に駆られた。近藤さんの声だけでも聞きたいという気持ちと、あの女宛てのラブコールなんか聞きたくもないという気持ち。葛藤したけれど前者が勝って、おれは耳へとプラグを持っていった。 まずはお決まりの、音程の外れたバースディソング。 音質が悪いのも手伝って、時折掠める轟音とトンネルに響くレールの音、乗客のざわめきやよっぱらいの歌声でところどころかき消されるのがむしろちょうどいい。 それから歯の浮くような寝言がとうとうと並べたてられる。君は僕の太陽だのあなたなしではメシも喉を通りませんだの。これが全ておれ以外に捧げられていると思うと妬ましさで目から火花が出そうだ。それと同時に、こんなに甘い声で迫られてなんであの女が落ちないのかがほとほとわからねえ。自分だったら三十秒だって持たない。 忌々しくて、胸糞悪くて、何度も止めてしまおうと思った。それでも数日ぶりの近藤さんの声は、ひどい魔力でもっておれの指を縛り、停止ボタンを押させてはくれなかった。 あなたのいさおより!と言ったところでガチャンとプレイヤーが鳴る。B面に切り替わった。あれ、あと半分は何が入ってるんだ。 ジ、という機械音の下から聞こえたのは、おれを呼ぶ彼の声だった。聞き間違いかと息を呑む。くすりと声が笑った。 『トシのことだからこれ最後の日に聞いてるだろ。お前って分かりやすいもんな。おれがいなくて寂しかった?ごめんなー、留守して』 おれは腹の辺りで拳を握った。鼻の裏がつんとして、俯いて懸命に目を瞠った。 『なんだかんだいってこれ、お妙さんに聞かせてくれたんでしょ。いいこいいこ。な、お前、おれがお妙さんのこと喋ってるときこめかみピクピクさせてんの、知ってる?あれかわいいよ。かわいくってもっといじめたくなるよ』 もう周囲の雑音なんか耳に入らない。 こうやって、あんたの声を、あんたの声だけを、おれは待ち望む。行きつ戻りつ、繰り返し、壊れたテープみたいに、ずっと。 『明日帰ってくるかんな。いいこにしてろよ』 ばっかじゃねえの、とつぶやいた、せりふはホームに滑り込んできた車両にかき消された。降りてくるまばらな客の、足元を睨むことしかおれにはできない。 101129 |