昼時の食堂、ぼんやり見ていた備え付けのテレビ。CMが不自然に途切れ、あやしげなタイトルロールが映った。監督・総指揮沖田だと?続いて流れ始めた映像に、おれはしこたまマヨそばを噴き出した。 「な、な」 自分がお妙相手にニコニコしながら、二人で料理を作っている。なんだあれおそろいの割烹着なんですけど。距離も近く自分の箸で味見をさせようとして肘で小突かれたりとか、全身に怖気が走る。ありえない。こんなこと地球がひっくり返ったってありえない。近藤さん相手に恫喝し刀をぶんまわしている場面になったところで卒倒しそうになった。憤死ものだ。 「うおおおお」 腰から刀を抜き、渾身の力でもってブラウン管目掛けて投げつけた。刀は画面に命中し、大破したテレビはバチバチと火花を立てる。今晩のナイターが、とか、でもあれアナログだったから、などと食堂中がざわついた。 興奮醒めやらず肩で息をする。合成とは思えない。そういえば先週の木曜日気がついたら夜で何故だか志村邸にいたことがあった。あれか。ちっくしょう、総悟のやつ。 「なんでおれが、あんなこと…・・・」 正気だったら死んだってあんなことしないのに。 椅子から立ち上がった状態でわなわなしていたら、マヨとそばをひっかぶった眼前の原田が苦い顔で呟いた。 「催眠術かけられたって聞いたぜ」 「総悟ォォォ」 蹴破って入った休憩室では、総悟は寝転がってサンデーを読んでいた。こちらに一瞥をよこすとしれっとして云う。 「なかなかのデキでしょう」 「おま、ころ、殺すっ」 今日こそ!本気で! 「あんまり怒るとシワが増えますぜ」 おれの殺気立った剣先をひょいひょいとかわして、正面から入った、と思った太刀は両手で白刃取りされてしまった。ぎりぎりと全力で体重をかけるが、びくともしない。細い身体に似合わずこいつの腕力は侮れない。 「死ね!さんべん死ね!」 あんな醜態晒して録画までされて、お前を殺したらおれも死にたいぐらいだ。 「まあまあ落ち着いて」 全く悪びれたところのない、他人事みたいな口調。 すいと身体をかわされて、おれはバランスを失ってつんのめる。畳に刀が突き立ってしまい、柄を握って体勢を立て直せば、目前にずい、と本が差し出された。表題は『やさしいさいみんじゅつ』。 「おれの催眠術の腕前は身をもってわかったでしょう。お詫びといっちゃなんですが、近藤さんにいっこ、あんたの好きなのをかけてやりまさぁ」 そんなことじゃ俺の怒りは収まらない、けれど、あのすさまじいまでの効果を目の当たりにしては、ちょっと興味が沸く。 しげしげと眺めれば件の本には、さまざまな事例が載っている。とはいえ、『自分を犬だと思い込ませる術』、『すっぱいものを甘いと思い込ませる術』、まったく碌なものじゃない。総悟のいいおもちゃでしかない。 うんざりしながらページを繰って、おれはある項目で目を留めた。 「これだ!」 曰く、『目の前の人間を絶世の美女だと思い込ませる術』。 「総悟、これだ。これを近藤さんにかけろ」 文面を見せるとふむ、とまんざらでもなさそうに頷いた。 傍らでラケットのグリップを張り替えていた山崎が首を傾げる。 「でも局長にかかりますかね?その本のかかりやすい人間の条件だと局長にはあんまり」 山崎のつっこみを受けて、総悟はぺらぺらと前のほうのページをめくり、訥々と読み上げた。 「一、優柔不断なものを狙うべし。一、A型のものを狙うべし。一、バカ正直なものを狙うべし」 「…結局誰でもいいんじゃねーか」 廊下の向こうに近藤さんを見つけて、いまだ、と総悟をけしかける。総悟は大声を出して手招きをした。 「近藤さん近藤さん」 「ん?なんだ、総悟」 「近藤さんにも催眠術、かけてみていいですかィ?」 本を掲げると、近藤さんは困ったように笑った。 「俺に?えー、俺多分かかんないよ」 「お願いしやすよう」 かわいこぶった総悟に小首を傾げられて、仕方ないな、と頭をかく。全くこのひとは総悟に甘い。 すぐそばで握りこぶしで見守るおれにちょっとぎょっとしたようだったけれど、近藤さんは云われるまま総悟の前に正座した。 「はーい。よーく見てね」 振動する硬貨を追ううち、近藤さんの顔つきがだんだんぼんやりしてくる。揺れが止まったころにはすっかり夢を見ているような表情になっていた。 総悟は五円玉をひゅっと引っ込めると、おれの襟首をむんずと掴んで近藤さんの目前に突き出した。鼻先がぶつかりそうになってどっきりする。総悟の声がゆっくり告げる。 「目の前にいるのが絶世の美女ね」 「ハイッ」 わざとらしく手を叩くと、近藤さんの目の焦点が次第におれに合い、それからきらきら輝き始めた。 その異様な輝きに身体を少し引くと、すごい勢いでおれの両手を掴んで、 「お嬢さんッ」 などとのたまう。 「お名前はなんておっしゃるのですかッ」 鼻息も荒くそんなことを云われて、俺は面食らって口をぱくぱくさせた。お名前もなにも。ただ近藤さんの澄んだ瞳に気圧されて、ぼそぼそ声を出す。 「と、とうし…」 「トシ子さんですねっ、素晴らしいお名前だ・・・!」 皆まで聞かず尚且つ子までつけられて、それじゃ別人じゃねえの、と思ったけれど、はしゃぐ満面の笑みを見ていたらもうそれでいいかというかんじになった。 しかしこれはおいしい。おいしいどころではない。 「ああなんてお美しい。不肖近藤勲、こんなにお美しい女性に会ったのは初めてです。一生あなただけを見つめていたい……」 さきほどからもう一時間近く、至近距離で愛の言葉を囁かれている。もうこれだけでイきそう。実際何度か危ないかんじだった。 「これは運命!運命だとは思いませんか」 などと真剣なまなざしで覗き込まれては、もう鼻血が出たって仕方が無い。 おれはうっとりして聞きほれる。ほんとに近藤さんの声は低くて色っぽくて甘くて腰ごととろけてしまいそうだ。 「総悟・・・」 「なんですかィ」 傍らでサンデーの続きを読んでいる総悟に、力強く親指を立てる。 山崎や、休憩室に何人かいた野次馬はあまりのアツアツさに当てられたのか半刻もするとうんざりした表情で次々出て行ってしまった。 「どんな花もあなたの前では色あせてしまいます。その黒曜石のような瞳に、ずっと俺を映していたい…」 この口説き文句だって何十年前のセンスなんだ、と思うけれど、口元はにやけっぱなしで、何度も節操無く頷いてしまう。頭が沸騰しそう。 もうこれ永遠にこのままでもいいかも。最高。 091227 |