愛してるって言わなきゃ・1


柱時計が遠くで鳴るのに、しょっぱい気持ちで目を眇める。今日も午前様になってしまった。
トシ、起きてるかな。寝てるといいな。
抜き足差し足、それでもみしみしと床が鳴る。自分のガタイが疎ましい。

角を曲がったところでばたりと、たぶんトイレ帰りのトシに行き当たった。
「ひ」
仏頂面、その眼光に身を竦ませる。
「たたたたただいま」
どもった声を晒し、来る、と思って身構えたけれど予期したような面罵は訪れず、
「退けよ」
代わりに声は無遠慮に言った。
ふう、と紫煙をくゆらす、トシはさも面倒くさそうな視線をこちらへ寄越している。
「聞こえねえの?そこ退け、って云ってんの」
「あ、いや、えっと、すみません」
確かに俺の存在がトシの進行方向をふさいでいたのは事実で、俺はぎこちなく身体を引いた。

トシはそのまま俺の横をすり抜け、まっすぐ自分の部屋へ向かう。
すぱんと小気味よく障子の閉まる音。やけになったようでもない、一連の仕草には癪に障るほど無駄がなかった。

俺は身体の前でガードしていた腕を下ろすことも忘れ、暫しその場に立ちすくんだ。
おかしい。絶対におかしい。
いつもならついた香水の匂いをさんざなじられ、財布の中身をチェックされ、正座させられ小一時間説教というのが通例なのに。
怒っているようでもない、なんだかほんとに、俺のことなんかどうでもいいという体だった。




翌日。
朝礼が終わった後出口で待ち伏せして、のほほんとした顔で出てきた山崎をとっつかまえた。腕をひっぱり肩を抱き込めば、おどかさないでくださいよ、と胸に手を当てる。
「ト、トシになにかあった?昨日」
ぼそぼそ耳元に囁く。山崎はちょっと宙をにらんで応えた。
「え、いや知りませんよ。夜ふらっとでかけましたけどすぐ戻ってきましたし」

「どうかしたんですか?」
きょんとした顔の山崎に、まさか『俺への態度がそっけない』などとこっぱずかしいことを言い出すわけにもいかず、あーとかうーとか唸っていると、張本人の声が飛んできた。

「おい、山崎」
書類で頭を小突かれ、山崎が振り向く。
「あ、すみません、今局長と話が」
「そんなのいいからほっといて来い」
「は」
「バカがうつるぞ」

し、んらつなお言葉。軽く泣きたい。トシこんなこという子じゃなかったのに。
半分涙目で、固まっている山崎を肘でつつく。
「な、なんか変だろ」
「局長をバカ呼ばわり…オレがしたら超怒るくせに」
ぶつくさとつぶやく、なんかどさくさまぎれに失礼なこと言われてる気もするけど。

「おら!何ちんたらしてんだ、仕事!」
「はいッ」
促されてぴゃっと背筋を伸ばし、俺に一礼だけすると山崎は後を追いかけていった。




午前中一杯、あとをつけたりなんだりして観察したが、仕事ぶりや他の隊士への態度などは、これといっていつもと変わりはない。ただどうやらトシは、俺のバレバレな尾行に気づいた上で丸無視しているようだった。リアクションのひとつもとるのが惜しい、と云わんばかりにスルーされて、いつもがいつもだけに傷つく。

いい加減愛想尽かしたとか。なんかの罰ゲームとか。…には到底見えない。アイツがムリしてるとか、演技してるかなんて俺が見破れないわけもない。そうすると何か超自然的な力が、
そこまで考えて俺は、経験則から云って一番をからくりを知っていそうな人物に思い至った。

総悟。アイツが何か仕掛けたのかもしれない。


「様子がヘン?」
昼休みの食堂、Cランチを受け取った後姿を見つけて肩を叩いたら、総悟は素っ頓狂な声を上げた。
「し、しーッ」
「どこがどういうふうに」
間近のテーブルにトレイを置いた、横に並んで俺もしょうが焼き定食を置く。
すっとぼけているようでもない、てことは総悟が原因じゃないのかな?
この先はちょっと話しづらい。なんか俺自意識過剰みたいだから。お茶を一口すすって、もごもご云った。
「なんか、嫌われてるっぽいんだけど。心当たり、ねぇ?」
「まさか」
けたけたと品もなく笑う、早速エビフライと取っ組み合いだした。取り合ってもらえないのかと眉を下げたら、もしゃもしゃと口を動かしながらじゃあ試してみましょう、とキャベツつきの前歯を見せる。
「任せてくだせぇ、アイツの仮面なんかガラス以下でさァ」

すっくと立ち上がりずかずかと、奥のほうに座るトシに近づいていく。
あさってのほうを指差したかと思うと叫んだ。
「あっ、近藤さんのぱんつ!」
トシは見事にスルー。てゆうかどんなテストだよ。

「仕方ねェ、強情だな」
舌を一つ打つ。何をするのかと思いきや。
席まで戻ってきた総悟はよっこらしょ、と俺の膝をまたいで座った。腕は首に回され、まるでバカップルだ。
「ちょ、何を」
トシじゃあるまいし。
俺はこっぱずかしくて降りなさい、とたしなめた。周りの隊士もものめずらしげにこちらを見ているのに、トシは無心に箸を運んでいるだけ。
「土方さん」
総悟がちょっと声を張り上げた。
呼ばれて初めて億劫そうに面を上げて、お情け程度に一瞥をくれて、またすぐに皿に視線を戻した。

「…意地張ってるってわけでもなさそうですねィ」

そこで初めて眉を寄せた、総悟の声はいぶかしげだった。








090603