おねがいしますもう一度ここへやってきて好きだとか嫌いだとかそういう話をしてください(前)
そんな目で見たって駄目だよ。俺は振り向かねぇよ。 好きだとか嫌いだとか、そういう話はもうごめんなんだよ。 夢の中で俺はずっと、そう繰り返していた。 今朝の夢見も最悪だった。 口の中に歯ブラシをつっこんだ瞬間、玄関のチャイムが廊下に響いた。 鏡の中で寝ぼけまなこの自分が目を細めて瞬く。 「神楽、出ろよ」 居間に向かって声を掛けたが返事はない。あいつ、二度寝したな。せっかくさっき起こしてやったのに。そうこうしているうちに二度目のチャイムが鳴った。心なしか苛立ったような響きだった。しっかたねぇ。 「はいはい、今出ますよっと」 届かないであろう返事をして俺は気分的に重たいスリッパを引きずって廊下を駆けた。 「おはよう、銀さん」 戸を引くのと同時に鈴が鳴るような声が云った。思わず一歩後ずさる。この笑顔は心臓に悪い。読めない。 「お、おはようお妙サン。何、こんな朝っぱらから」 目を合わせないで早口で挨拶すると、お妙はちらりと横に視線を遣った。 その先には新八がいた。戸の陰で目に入らなかった。新八の目は落ち着かず、宙を泳いでいる。 「ほら、挨拶なさい」 促されて新八は上目遣いに会釈をした。 「はじめまして」 俺は口を半開きにしたまま固まった。ネタ振りなのかと思って暫く待ったがそういうことでもないらしい。寝起きの頭では文脈がちゃんと追えない。俺に期待されているリアクションもさっぱり判らない。 「…何コレ、罰ゲーム?」 俺は新八を指さしながらお妙に半笑いを向けた。 「あのね、なんだかちょっと面倒なことになっちゃったのよ」 お妙は肩を落として眉根を寄せた。 込み入った話になりそうだから、と玄関を塞いでいた身体をどかして居間に通した。神楽もようやく起き出してきて、志村姉弟と向き合うように俺の隣に座った。 記憶喪失。云われて、オレはバカみたいに繰り返した。 「キオクソウシツ」 「そう。銀さんもやったでしょ、去年の終わり」 身も蓋もないことをお妙が云うから、そういえばあったっけねそんなこと、と遠くを見て誤魔化した。 隣の神楽が身を乗り出して聞く。 「事故ったアルか、新八も」 「事故…ねぇ」 そんな大層なものじゃないんだけど。そう前置きしてお妙が話した話の概要はこうだった。 昨晩店が休みだったお妙は晩飯を一緒に食べる予定で、新八の帰りを待っていたが9時を回っても連絡がない。案じて迎えに出ると新八は近所で喧嘩に巻き込まれていたらしく仲裁をしてて、(あいつは本当にこういう面倒ごとで貧乏籤を引くのが上手い)お妙の目の前で殴られふっとばされたらしい。 お妙が新八をふっとばした浪人をボコボコにしてから新八を助け起こすと、新八は電柱に思い切り頭をぶつけていた。血こそ出ていなかったものの意識がなくて、 取り乱したお妙がガクガクと揺すると呻きながら目を開けた。第一声が「あなた誰ですか?」だったそうだ。 「病院には行ったのか」 「行ったわよ。閉まってたけどたたき起こしたわ」 俺はたたき起こされた(そして物理的に何らかの被害を被ったと思われる)医者に心の中で合掌しながら、その点にはつっこまないで続きを促した。 「医者は何て?」 「一時的なものだと思うけれど、とか歯切れの悪い事ばかり」 お妙は苛立ちを隠さずに頬を歪めた。 いつの間にか新八の隣に移動していた神楽が新八の頬をつねっている。 「いてて、何すんスか」 新八に手を振り払われて、神楽はほっとした顔で俺のほうを向いた。 「でもこの新八、銀ちゃんの時みたいにベツジンじゃないヨ」 確かに、反応や所作はいつもとあまり変わって見えない。 「そうなのよね。昨日だって慌てる私のことばかり気を遣ってくれて」 中身は変わらないわ、姉思いのいい子よ。そう云うお妙の表情からはそこまで切羽詰まったものは感じられない。 「あの」 会話に取り残されていた、その当事者であるところの新八が口を開いた。 「このひとが僕の上司なんですね」 指さされてムッとして聞き返す。 「なんだよ、不満かよ」 「そんでこっちが同僚、と」 神楽もどこが不満ネ、と頬を膨らます。新八はスンマセン、と緩く口角を上げた。 「いや、初めてって気しないんで。暫くモタつくかもしれないスけどよろしくお願いします」 新八は照れたように笑って頭を下げた。少なくともその顔は見なれないもので、俺はどこかくすぐったいような変な気分になった。 神楽もそれは同じらしく、新八キモいアル、と云ったけれど耳は赤くなっていた。 マゴついていたのは最初の一日二日だけで、すぐに新八はいつもの新八のポジションを取り戻した。 もともと万事屋には知らなきゃ支障をきたすようなこともあんまりなかったってのもある。 ツッコミもどんどん余所余所しさが取れて、一週間目には傍目には殆ど前と変わらないノリに見えただろうと思う。 それでも新八は確実に、前のあいつとは違った。 「これ、棄てちゃうアルか」 ゴミ箱を覗き込んだ神楽が驚いたような声を出した。 湯飲みを取り出して、新八にかざしてみせる。 「ああ、それ。欠けちゃってるしね」 「お通ちゃんのDVDのノベルティだとか何とかゆってたヨ、もういらないの」 「うん。もう興味もないし」 神楽は目をぱちぱちさせて、それから腕を組んでおっさんみたいに深く頷いた。 「アイドルオタ卒業できて良かったナ、正直キモかったんだヨ」 「余計なお世話だよ!」 記憶のないことまで責任取らされたらたまんねーよ、と顔をしかめてみせる。 ギャーギャー続く、険悪さのない口論を背に俺は向かいのソファでひっくり返っていた。 そうだよな、責任取らされたらたまらねーよな。と口には出さずにうなずいた。 前のお前は俺の事好きだったんだぜ。 そう云ったら、あいつどんな顔をするだろうか。 >Next |