おねがいしますもう一度ここへやってきて好きだとか嫌いだとかそういう話をしてください(後)







俺の事を好きだと云った。

『へ』
『聞こえませんでしたか。好きって云ったんです』
『オマエが?』
『アンタのこと』

俺は思いきり変な顔をしていたと思うけれど、新八はちっとも怯まなかった。
別になんかして欲しいわけじゃないですから、云いたかっただけですから。それだけいったら深呼吸して、あーすっきりした、と背伸びをした。
俺は生返事すらできずに、目の前でガサガサと音を立てる新聞を忌々しく感じていた。動揺を表に出さないように、心の中で数を数えていた。



それだけ。目に見えて起こった出来事は本当にそれだけだった。
俺はできることなら聞かなかった振りをしたかったし、新八もそれに異存はないみたいだった。事実次の瞬間からの日常に表だった変化はなかった。

それでも無理遣り気付かされた、あいつが俺に向ける熱を帯びた視線、だけは意識せざるをえなくなった。
それを俺は煩わしいと、居心地が悪いと感じた。感じていたと思う。



思春期特有のアレだ。なんか年上の同性に憧れるとかそういうアレ。色々な理屈を付けてあいつの中の感情を隅においやってやりたかったけれど、新八の中ではもう覚悟だのなんだのひっくるめて出来上がっているらしくて、俺がどうにかする隙なんかないようだった。
俺には覚悟なんかない。新八が男だとかひとまわりも年下だとか、そういうことをヌキにしたって、この歳になってレンアイなんて世にも面倒くさいことを始める気はさらさらなかった。

俺たちの間にはすでに十分すぎるくらい絆とか、
イヤそんな聞こえのいいモンじゃないかもしれないけどとにかく悪くないしがらみのようなものがあったし、それは丁度いいバランスを保っていた。
俺はその距離が縮まらないといいと思っていたし、縮めるつもりもなかった。


だから今の状況は、俺と新八が出会った最初の頃に、振り出しに戻ったようなもので、
それは俺が望んでいたことのはずだった。
それなのに、あれだけ居心地が悪いと感じていた視線がなくなったのに、今俺が味わう喪失感のようなものは何なんだろう。
なんで俺は気にくわないと思うんだろう。








新八は土曜になるとお妙に連れられて病院に通った。
それから万事屋に帰ってきて、今週もダメでしたアハハとか云いながら晩飯をみんなで食うのがここ数か月の恒例になっていた。


「新八遅いアル」
神楽の腹がちょっとびっくりするくらいの音量で鳴った。
「もうすぐだろ。オマエ腹んなかにどれだけデカイ虫飼ってんの」
「今鳴ったのがトミーネ。トミーが一番小さいヨ」
「今ので小さいのかよ!」
俺がつっこんだのと同時くらいにチャイムが鳴った。
「あ、新八ネ!」
おかえりバンメシ!と身も蓋もないセリフを吐きながら神楽が勢いよく廊下へ飛び出していく。
俺もそれに続いてダラダラ起きあがった。


「新八、バンメシ!」
「ハイハイ、今作るから」
苦笑いをした新八が神楽にまとわりつかれて台所に消えると、玄関にはお妙と俺だけになる。
お妙はゆっくりとした動作でたたきに上がると、俺の方を見ずに云った。
「病院通うの、もうやめることにしたの」
俺はその真意を測りかねたので、気のない返事だけした。
「あ、そう」
「通ったからって直るものでもないしね。それに、今の新ちゃんが厭なわけじゃないもの」
でもそれはつまりは、以前の新八を取り戻すことを諦めたということだ。
何て云ったらいいか判らず眉根を寄せた。
「草履を揃えて左端に脱ぐ癖もね。変わってないのよ」
「でも前の新八はピンポンなんか鳴らさなかったぜ」
俺は対抗するみたいに云った。ムキになった子供みたいだと我ながら思った。
以前の新八なら鍵が空いてようが空いてまいがガタガタやって、空いてたら挨拶と同時にそのままずかずか入ってきた。音痴だったし、甘いものが苦手なんて云わなかった。
「銀さん」
たしなめるような声にくちびるを噛む。

「あそこも違う、ここも違うじゃ新ちゃんの立つ瀬がないじゃない。必要なのはお前じゃないって云われてるようなものだわ」
今の新八を肯定しようというお妙の姿勢は前向きといえば前向きかもしれない。でも。
「前の新ちゃんと比べちゃ、今の新ちゃんが可哀想よ」
じゃあ前のあいつはかわいそうじゃないのか?このまま俺たちに忘れられるあいつはかわいそうじゃないのか?
言葉は喉元まで出かかったけれど、お妙の顔を見たら、決してそんなつもりじゃないことがわかった。
「私は今そこにいる新ちゃんを愛してるわ」
お妙は真っ直ぐ前を見ていた。落ち着いたその声からは、慈しみと、悲壮のようなものが感じられた。


お妙が前の新八を忘れる事はないだろう。
小さい頃からの新八の記憶を全部ひとりで引き受けて、自分の中にしまった上で、お妙は今の新八を愛そうとしている。
だからお妙の知っていた新八は、それで救われるのかもしれない。


でも、俺を好きだった新八のことは俺しか知らない。

好きだと云われたことも、あいつの想いも俺の中だけに遺っていてこの世のどこからも消えていて、
だからみんな俺が責任持って葬り去らなきゃならないんだと思ったら、
息苦しさに似た何かが腹のあたりから込み上げてきて、思わず咳き込んだ。
咳き込んだけれどちっともすっきりなんかしなかった。









「銀さん」
耳に馴染んだ声が俺を呼んだと思ったら、顔を覆っていたジャンプが取り上げられた。網膜にいきなり大量の光が飛びこんできて、眩しさに瞬く。
反射的に上半身を起こすと、仁王立ちになった新八が開いたジャンプを片手に呆れた表情をしていた。
なんとなくばつが悪くて、眉間をごしごし擦った。これで寝起きを装えているだろうか。

「何ですかぁ」
とぼけた声を出そうと思ったらとぼけたを通り越して情けない感じになった。
「何ですかじゃないでしょ、ちょっとは掃除手伝ってくださいよ」
新八は以前と同じ遠慮のなさでモップを突きだして寄越した。
「俺上司ですよチキショー」
「そういうセリフはマトモに稼いでから云ってください」
いつかも同じような掛け合いをしたなと思い出して口の端だけで笑った。

突きつけられたモップを神楽になすりつけられないかと見回して、俺がここで横になるまで向かいのソファでテレビを見ていたあいつがいないことに気付いた。
「神楽は」
「さっきお使いに出しました」
「アイツトイレットペーパーは」
「1ロールずつしか買ってこないんでしょ。ちゃんと注意しましたよ」
せりふをさえぎられて、俺は「い」を発音しようとしていた口の形を大袈裟にした。

「もうすっかり馴染んだな」
教えることなんてなんもねぇ。背中を丸めながら耳の後ろをボリボリ掻く。
「おかげさまで」
新八はそれ以上会話を続ける気はないらしく、あー忙しい忙しい、と和室へ続く襖を開けた。
俺もそれに促されるように重い腰を上げて、お座なりにモップを動かし出す。


いつもと変わらない、街の喧噪が俺たちの間の沈黙を低く埋めていく。
通りを大きいトラックが通っていく音がして、行商人の声が止んだその一瞬の隙に、
「ねえ僕は、」
窓ガラスに洗剤を吹きつけてる背中が前置きもなく切り出した。手を止めて首をそっちに回したら、淡々としたトーンで科白が続いた。

「あんたのことが好きだったんですね」



喉の奥で、引きつれたみたいな音がした。
「…おまえ、知って…」

新八の口ぶりは落ち着き払っていて、戸惑ったようなところはちっともなかった。
「前の僕ってヘンなとこマメで。日記付けてたんでわかりました」
びっくりしたけど、僕の片思いだったみたいだし何もやってないからセーフですよね。他人事みたいに(実際今の新八には他人事なんだろうけれど)話す口調はあっけらかんとしている。

「あー、安心してくださいよ?」
俺が口をつぐんだのをどう思ったのか、新八はちょっと慌てたように云った。
「今だって好きだし、前の僕があんたの何に憧れてここにいたかも納得してますけど、もうそういう感情はないんで」
俺は耳から入ってくる言葉の意味を追うのに必死になった。モップが手から零れて、ガタン、と足元で低い音を立てた。
「思春期のなんとやらだったんじゃないスかね。すみませんね、迷惑だったでしょう」
新八の声は笑ったようだったから、みんな過去形だったから、俺は、






「…銀さん?」
項垂れたまま近寄る俺を、新八は窓枠に座ったまま見上げて、怪訝そうに呼んだ。
俺はやっとのことで、新八のたすきの下の袖を掴んだ。
袖を掴んだら俺の膝は簡単に崩れて、新八の前にひざまずくような形になった。


「しんぱち」
俺は新八を呼んだ。
今ここに居る新八じゃなくて、もう手の届かないところにいるのかもしれない新八を、
俺のことを好きだと云ったあの日の新八を呼んだ。
絞り出した声は掠れて上擦っていた。





おねがいしますもういちどおれのそばで好きだとか嫌いだとかそういうはなしをしてください






モドル