殆ど客の来ない退屈なアルバイトを終えて、ロッカーで小さくなって制服を脱いで、裏口の戸を後ろ手に閉めて、おれは力なくため息を吐いた。


あいつ、まだいるのかな。いつまでいるんだろ。食費が二倍になってるのって気づいてないのかな、どんだけ図々しいのよ、もう。
ごちゃごちゃに絡まる電線をぼうっと辿りながら栓無い考え事をしている間に、もうアパートのすぐ近くまで来てしまっていた。
階段の下から仰げば、自分の部屋に煌々と明かりがついているのが見て取れる。



「おっかえんなさい」
抑揚のない声に出迎えられて、一層追い詰められた気分になる。
ドアを開けばふわりと漂う良いにおいに、覗き込めばただ単にあいつがカップめんを啜っているだけだった。
一瞬でもメシを作ってくれてるかだなんて期待したおれがバカだった。


銀時がおれんちに居ついてもう一週間になる。日がな一日ゴロゴロしているだけ。家事をしてくれるわけでもない。まさにヒモそのもの。
こんなときに限って運悪くハツが来ちゃったりしたらなんていうかもう阿鼻叫喚だ。そしておれの人生のタイミングの悪さを思い出すだに、満更ありえないことでもないような気分になってくるのが恐ろしい。

「ちょっと銀さん」
おれは意を決して、腹から声を出した。
「なーに」
あ、それおれの腹巻。
ずさと畳に膝を滑らせにじり寄る。
「いつまでここに居座る気」
「そーね」
「いつまでもここにいるってわけにもいかないでしょ」
「そーね」

ズルズル麺を啜る音に混じって気のない返事をよこしつつも、先ほどからずっと視線はテレビの画面に釘付けられている。こいつ、話聞いてねーな。
食べ終わったカップがおざなりにちゃぶ台にずずいと突き出される。絡め手を使ったところで通じる相手じゃない。単刀直入に行こう。
「帰れよ」
「やだ」
間髪いれずにそう来るか。おれは渋い顔になったけれど、ここで退くわけにもいかない。
「帰れってば」
「あ、UFO」
指された窓の外に思わず顔が行く。
「え」
「ウソ」
「ちょっと銀さん!」
いい加減に痺れを切らして声を荒げれば、しぶしぶといった体でやっとこちらに身体を捻った。おれはとどめにリモコンをかっさらってテレビの電源を切ってやった。

「なによ、なんで出てってもらいたいわけ」
「出てってほしいよ!食費だってバカになんないし」
「おれは親切でェ」
「はぁ?」
「一人身は寂しかろうと思ってさァ」
なにその恩着せがましい理由。云うに事欠いてこいつは。さすがのおれも殴りたくなってきた。ぐ、とこぶしを握りこむと、いやらしい笑顔が云う。
「なんならご奉仕もしますよ」
「いらねーよ」
おれは厳しくつっこみを返した。ちょっと頬に血が上っているのがわかる。なんか気持ちよくなっちゃったりしたらそれはそれで困るんだよ。

ニタニタした銀時へ咳払いを一つして、改まって低い、穏やかな声を出す。
「帰ってやりなよ。きっと怒ってねーから」
「なにそれ」
急に銀時は背筋を伸ばし、憤慨したように鼻を鳴らした。
「おれが新八にビビって帰らないとでも?」
あーあ、皆まで云っちゃった。
銀時もしまった、という顔で唇を噛む、その間を読んだかのように、ブー、と呼び鈴が鳴った。


「入りますよ」
どこか聞き覚えのある声がして、ノブがガチャガチャ云う。何だ、この遠慮のなさ。間もなく灰色のドアの向こうから現れた人影に、おれは納得した。
「銀さん、帰りますよ」
志村は開口一番そう云った。
銀時はふいとあさっての方向を向く。
「ホラ、迎えに来てくれたじゃん、帰りなよ。チャンスだよ」
ひそひそ声で促し、肘で突く。銀時は俯いて、それでも眇めるように志村へ一瞥だけくれた。

「帰りますよ」
繰り返す、志村の目は強い。
それは弱さを責めるような強さではなく、ほらあの、おかんがふてて家出した子供を迎えに来たときのような、辛抱強くひたむきな、揺るがない強さだった。

おれは銀時の、肩甲骨の辺りをそっと押した。おれにできるのはこのくらいだと思った。
肩は押されるままにふと傾いて、それから膝がゆるゆると立った。

「ほら」
もう一度志村が声をかける。銀時はやっとそちらに顔を上げて、それからふと目を細めた。安堵と苦しさが綯い交ぜになったみたいな、そんな表情をおれは初めて見た。


たたきでブーツを履いて、世話んなったな、とこちらを振り返った顔は、すっかりいつもの食えない銀時で、眉尻が自然と下がっておれはへらと笑った。
「いいよ、今度なんか奢ってくれ」
志村が最後に会釈をして、それからドアはバタリと閉まった。




ふたりがいなくなったあたりに、まだあまり自分に裏切られたことのない人間の、青い残り香が閃いて消えた。
おれはどこか満たされて、ふうと息を吐く。ぽつんと残された一人の部屋は、何故だか少し清清しかった。



〈了〉



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