風がどんよりと澱んでいる。 ただでさえみすぼらしい色をした街が、鉛色の空に取り込まれて境界を滲ませていく。 俺は雨でしけった空気が下の方から伸び上がってくるのを想像して顎を背けた。 噎せ返る事すら赦さない、水を吸った埃の匂いだ。 コンクリートで整備されていない土が湿って堅さを手放しぬかるんでいくまでを思う。 意識したら今にも這ってきそうな鳥肌を袖の端でねじ伏せる。 押し殺したような人いきれとざわめきをかきわけ、俺は足をひたすら前に出した。 こんなことならもう少しあの家に留まっていれば良かった。 ふらりと立ち寄ってはセックスだけして帰る、今さっきまで抱き合っていた女の顔を思い出そうとしたが本郷の女と混ざってしまって上手くいかなかった。 元々顔立ちなんかどうでもいいのだ。俺は苦く口元を歪めた。 俺の容姿や役職や援助なんかを目当てで近づいてくるのを、こっちもいいように利用させて貰っているだけだ。 罵声も浴びせてこない。皆諦めたような目をして俺を見る。 足を開くだけと割り切る女もいるし、俺に立ち入ろうとして勝手に傷付いて姿を消す女もいた。 あいつらは俺を哀れんでいるのだと思う。そのことに腹が立たないわけではなかったけれど、 憤ったり憤られたりするような関係じゃないのだ、元々。 何度身体を重ねても情なんて移らない。むしろ嫌悪感だけが募る。 女の躯はとらえどころがないほど柔らかく空洞はねっとりと湿っていて俺をぐずりと呑み込む。 俺にとって肉を抉り中で掻き回す感触は決して好ましいものじゃない。 刀をつっこんでいるのとどう違うのだろう。 挿入しているときよく、そんなグロテスクな妄想が頭の底の辺りで点滅する。 鈍痛のような快楽。吐き出してもすっきりしない。 下半身にまとわりつく怠さが澱のように残るだけだ。 今し方取り込まれていた所ではない。そうではなく背中が疼いた。 綺麗に塗られた爪が俺の中にめり込み肌を引き裂くところを思う。 鈍く緩い性器への刺激よりもその鮮烈な痛みのほうがずっと俺を高ぶらせる。 俺は厭な事に気付いてしまった。 そういえばここのところ渡り歩いている女は皆爪が長い。 雨の音が急に遠くなった。何事かと顔を上げると傘を差し出す男と目があった。 「…風邪、引きますよ」 「…なんでこんなとこに」 オマエが。俺より少し低い位置にある双眸を捉えて睨むと山崎は、 監察方舐めないでくださいよ、と頼りなく笑った。 相手に身構えさせないための擬態のような笑顔。今はそれがどうしようもなく癪に障った。 「あーあ、ずぶ濡れじゃないですか」 すぐに目を逸らして、山崎は水気で重みを増した俺の袖を軽く払った。 ここで服乾かしていきましょう。こじんまりした茶屋を指さす。 山崎は俺の返事を待たずひょいとのれんを潜った。行きつけの店らしく、店主と低い声で一言二言交わしている。 身体を半分戸口に割り込ませただけの俺を尻目に、急な階段に足をかけた。 肩越しに目で促されて後を続く。 俺らしくもない。なんだその目はとつっかかる元気もない。 それくらい気分が悪かった。 雨が肺まで満ちてくるような厭な気分だ。 店の二階は薄暗くしんとしていた。どの部屋も使われていないようだ。 板張りの廊下ですらじとりとしている。 それともじとりとしているのは俺の足か。 一番奥まった襖を開いて、山崎は俺を待っていた。 六畳ほどの部屋だった。あまりいい部屋じゃない。 毛氈敷きの床に足裏を擦りつけるようにして、部屋の端に座り込む。 「今、着替え用意させますから」 立ったままの山崎を横目で眺めながら、腰から刀を外して漆喰の壁に立てかけた。 床の軋みと共に店主が顔を出し、山崎に会釈をする。 山崎はお構いなく、とか何とか云って茶の載った盆と羽織のようなものを受け取った。 それから盆を床に置いて、滑りの悪い襖を閉じた。 膝をついたままで俺の方に少し寄って、湯飲みを差し出してくる。 いらねぇ、と手の甲で払う。山崎はそのまま自分の口に持っていった。 「そんで」 山崎は言いづらそうに唇を前歯で弄ってから、羽織を放って寄越した。 「目に毒なんでなんか羽織ってください」 俺の首筋のことを云ってるらしい。 確かに判りやすい鬱血が散っている。 俺は衝動的に山崎の手首を掴んだ。 「何が目に毒だって?」 「ふく、ちょ…」 「これか?」 ここも、ここも。 赤い点をなぞるように触らせる。冷えた指先を鎖骨から胸まで降ろす。 こいつの熱を含んだ視線に今まで気付かなかったなんて云わない。 そこまで確かなものじゃないとしても、こいつのそれは俺のあのひとを見るそれに似ていた。 背中を押したらこいつも俺の所まで墜ちてくるだろうか? 「お前、俺のこと抱いてみるか」 沈黙は壁の外から重苦しい雨音を誘う。 空気が止まっている。酸素が足りない。 こんなところで息を呑みあう俺達は深海魚みたいだ。 そう思ったらこいつが口をぱくぱくさせた。 笑う。 冷気が貼り付いた頬が麻痺したみたいになっている。引きつって見えないといい。 髪からぴたん、と垂れた水滴が背筋を伝う。 俺はそこから鳥肌が立っていくのを感じて、耳朶と襟足を寄せて顎を反らした。 それに反応するかのように伸ばされた手が俺の着物の襟を掴んで、思いの外強い力で引っ張られた。 男の唇は手入れがされていなくて表面はがさついていたけれど、柔らかさと温かさは変わらない。 けれどこのかぶりつくような性急さは女にはない。 山崎は盛りの付いた犬みたいに腰を押しつけてきて、それがあんまり必死なものだから可笑しくなった。 腿で擦ってみせると、喉が呻いた。ごくりと動く。 今からこの顎に噛み砕かれる自分を想像して、俺はやけに興奮していた。 慣らそうとする手を制して、自分から後ろ手で尻肉を開く。 荒い息が肩胛骨のあたりを襲って、それから狭間にひたりと熱が添えられた。 「ぐ、…ぅ、ッ」 肉の輪がみちみちと拡げられる。目が眩むほどの痛みとひりつく粘膜。 キツイのは山崎も同じだろうに、小刻みに息を吐きながら器用に収めていく。 尻たぶにじとりとした毛の感触があって、焼き切れたような頭の隅で全部入ったのだなと思う。 ぐずり、と入り口で音がした。血が出たのか結合したところは厭らしい粘度で湿っていた。 腰を掴んだ手が、汗ばみ滑りながら俺を揺すり上げる。 ペニスが内壁を突き上げる度に腹から喉にかけて突き上げるようなそれ。 何かに似ていると思った。吐き気だ。俺は口蓋で蜷局を巻くような苦い熱を持て余した。 厭な予感に限って的中するものだ。 痛みで勃起している。俺は。 証拠に少しも刺激を与えられていないのに雄の器官は反り返っている。 生木を割くような痛み。腹を抉られるような圧迫感。 そしてその中に確かにある愉悦が俺を退っ引きならないところまで追いつめる。 身体がバラバラになったみたいな錯覚がする。視界の底のそれは怒張しきっている。 このまま身体に引きずられて戻って来られなくなるかも知れないとまで思う。戦慄する。 裏返った自分の声にすら煽られる。 「いたぁ、痛、」 俺は自分が泣いているということに酷く驚いた。 いつも犬コロみたいに扱っている年下の部下に痛めつけられている。 痛めつけられて勃起している。甘美な背徳がただ俺を追い込む。 肩口に何度も口づける山崎は今にも泣きそうな声で俺を呼んでいた。 胸は少しも痛まなかった。 俺のエゴの犠牲になるこいつを可哀想だなんて少しも思わなかった。 他人を傷つけることなんて少しも怖くない。 だって誰より哀れなのは俺なんだから。 揺さぶられる。身体を中から突き崩される。 俺はきつく目を閉じて律動に身を任せた。 ああこれが 俺を犯すものが あのひとであったら俺は今すぐ死んでも構わないのに。 腹の奥で生暖かいものが弾けて、俺は掠れた咆吼を吐いた。 強烈すぎる開放感に腿の筋肉が引きつる。それが射精だと判るまで暫くかかった。 萎えたものがずるりと出て行く。その衝撃にすら震えが走る。 俺の身体に空いた空洞がひくりと収斂するのを感じて俺は恍惚とした。 そうだ俺はずっとあの空洞を持つ女という性に嫉妬していたのだろう。 山崎は肩で息をしながら躰を離すと、腰まで丁寧に着物を掛けて寄越した。 うつぶせの俺からは表情は伺えない。けれど顔を背けているようだった。 荒い息の下から小声で何か呟いたようだったけれど、俺の耳には届かなかった。興味もなかった。 それから吐き捨てるように云った。今度は聞こえた。最悪だ、と。 最悪だ、とそう云った。 俺は床に額を押しつけた。首の後ろから忘れていた鳥肌が戻ってくる。 瞼が引きつる。眼球がぴくりとした。 このまま雨が上がらないといい。 重苦しさで俺もあいつも あのひとも みんなを押しつぶしてしまえばいい。 間もなく冷気が口元まで降りてくる。そうしたら俺は泥のように眠ろう。 俺は懺悔なんかしないだって赦されたくもないのだから。 |