ぼやけた、黄色い絨毯のような足元。目を凝らせばだんだんはっきり像を結んでいく一面の菜の花。 風に乗ってほのかに緑と、甘い香りが鼻腔を塞ぐ。 「わあ、綺麗」 声のするほうを振り向くと、亜麻色の髪がふわと揺れた。 逆光なのか顔がよく見えない。 何度も瞬きするけれど、何故か焦点がぼやけて合わない。 懐かしくて、胸が詰まりそうだ。 名前はもう喉下まで出ているのに、寸でのところで潰れてしまう。 彼女はふとしゃがむと、袂を持って右手で花を折った。 「十四郎さん、ほら」 差し出された黄色に身体が居竦む。 細められた目を正面から覗くと、動悸が急に跳ね上がった。 鼓動に合わせて天地が歪んで、五感が渦みたいなノイズで埋め尽くされていく。 重たい瞼で瞬けば、行燈にうっすらと照らされた心配そうな表情がこちらを覗き込んでいた。 おれは嗄れた喉から彼の名前を呼ぶ。 「……ど、さ」 声は掠れてまるで呻いているようになった。 「大丈夫か」 支えられるままに上体を起こす。身体を包む酷い倦怠感に、近藤さんの掌に預けた体重を取り返すのは諦めた。 深く息を吐くと、呼吸が乱れていることを自覚させられる。 暗がりの壁時計は子の刻を指していた。まだ布団に入ってから一時も経っていない。 「魘されてたぜ」 隣室の近藤さんに聞こえるほどだったのか。 病気の子供にするように背中をなでられ、おれは素直に頷いて見せた。 彼女の鈴を鳴らすような声が、先程囁かれたかのように耳から離れない。 あいつの前じゃ誰だってつられて微笑む。 誰より幸せにならなきゃならない。そういう女だった。 おれの心の、一番やわらかいところに根を下ろす、 美しい、あまりに美しい思い出がおれを苛む。 「落ち着いたか」 背骨を上下していた体温がそっと離れるのに、得も言われぬ喪失感に見舞われて、近藤さんの方へぎしりと顔を上げた。 仕草の意味を汲んでくれたのか手は元の位置に戻され、 「今晩、俺ここで寝ようか」 軽口を叩くでもなく云う彼に、おれは寄りかかるようにこうべを預けた。 「トシ?」 「もうちょっと、このまま」 それでも、何度あの日に戻っても、おれは彼女を選べない。 だっておれは既に、このひとを選んでしまっていたから。 まるでしなだれかかる女のようだと、どんより曇った頭の隅で思う。 それでもこの、近藤さんの温もりを手放しがたい。 「なあ、トシ」 耳元で囁かれて、緩慢に面を持ち上げる。 たっぷり間をおいて、唇がゆっくり動いた。 「今だけみんな、忘れさせてやろうか?」 真意がわからず俺は瞬いた。近藤さんの目は変わらずおれを慈しむように見ている。 今まで近藤さんがおれにしてくれたことで悪いことなんかひとつもなかった。 首を縦に振らない理由なんてない。 布団に横たえられて、初めて近藤さんが何をしようとしているのかがわかった。 わかったところで抵抗しようとは思わなかった。相手が近藤さんなら、女の代わりにされているのでも構わないような気がした。 怖いとも、不愉快だとも感じない。耳元や頬に触れる唇の感触に、俺は安らぎすら感じていた。 何よりのし掛かってくる身体は力強く、温かくて、おれを飲み込んでしまうような存在感で、全てを投げ出してしまいたいと思う。 近藤さんの指が粘膜に触れるたびに、おれの身体はいちいち過敏に反応を返した。かれの腕も手も熱も粘膜も、おれに快楽だけをもたらしてくれる。 自分のものじゃないような声を殺しながら、背中に指を立て、離れないように縋る。 腰の下で撓んでいくシーツ以外、全ての五感を近藤さんに塞がれていると思うと、安堵にも似た何かがおれを包む。近藤さんの汗の香を胸にいっぱい吸い込めば、生気に当てられ眩暈がした。 夢で嗅いだ匂いなど、もう思い出せなくなっていた。 今鼻孔を充たすのは、胸を内側から叩くような、むせかえるような、 071224 |