さわやかパンパース



「トシ、トシ、どうしよう」
可哀想なくらいに狼狽した近藤に揺り起こされ、土方は低血圧の頭を奮い立たせた。
「なんだよ、近藤さん」
まだぼんやりする視界に飛び込んできた近藤は半泣きだ。

「あのな、その、あああ、どうしようトシ」
「指示語と感嘆詞ばっかじゃねぇか。推測も不能だよ」
落ち着け、まずはまあ落ち着け。
どうどう、と牛のように宥められて、近藤はようやくいかった肩を下ろした。


袖を引っ張られるままに近藤の部屋に導かれ、そこで土方は瞳孔をめいっぱい開く事になる。

敷かれていたのは布団。掛け布団は近藤の豪快な寝相でいつものように遙か向こうに飛ばされている。
問題は敷き布団に描かれた地図だ。
「…これ、」
所謂寝小便、だろう。位置的に。

「どうしようトシ、この歳になってオーストラリア大陸を描く事になるだなんて思っても見なかった…!」
「オーストラリアっていうよりユーラシア…いや、そんな事どうでもいいんだが、」
いつも酔ってへべれけになって寝てしまう近藤のだらしなさを土方はよく知っていたが、いくらなんでも寝小便というのは記憶の限りなかった。

どこかの誰かに負けたというのより始末に悪い。これは真選組局長としての沽券に関わる。
誰にも知られるわけにはいかない。
時計を見るともう朝礼の時間だ。固まっているヒマはない。
「と、とにかく早く布団を片づけないと…」
土方の声を遮るように山崎の間の抜けた声が聞こえた。
「局長ー、副長ー、おはようございますー」
「おはようごぜぇますー、いい加減起きてくだせぇ」
多分朝礼に出てこない近藤たちを呼びに来たのだろう、山崎と沖田だ。
足音が二人分近づいてくる。
「トシ、どうしよう、トシ」
まるで「お母さんにおねしょがバレそうになった子供」のように慌てふためく近藤に、
(そして事態はそれとあんまり相違ないのだが)
土方はギリリと唇を噛んだ。


ガラリと障子が開く。開口一番、土方は叫んだ。
「俺がやった!」
「ト、トシ…」
目を丸くする二人をギンと睨んで、布団を指す。
「これは俺がやった!文句あるか!」

「…ありません」
呆然とした山崎が、反射的に応えていた。







「副長が…」
「局長の部屋で…」
「ねしょんべん…」
「ユーラシア…」
ざわめく食堂の空気に、土方は割り箸を真ん中からボキリと折った。
とっさに作った筋書きは、沖田のメガホンを通じて午前中には組内全員の知るところとなった。
チラチラとこちらに注がれる視線がうざいことこの上ない。
「鬼の副長」である土方に面と向かって云ってくる度胸のあるヤツはいないが、昼食のオカズとするには十分すぎるほどの話題性だろう。

いくら焦っていたからって、あんなこと云わなければ良かった。今考えれば他にもごまかしようは幾らでもあったのに。
土方は後の祭りという慣用句を噛み締めていた。

「土方さぁん」
A定食をトレイに載せた沖田が土方の隣の椅子を引く。
「どうしたんでさぁ、浮かぬ顔して」
「どうしたもクソもねぇよ。死ね」
斬りつける元気もない。土方はげっそりした顔で毒突いた。
「ここのオバチャンまで知ってやがる…」
先程寝る前にジュース飲んじゃダメよ、と声を掛けられた。土方は軽く死にたい、と思った。
「でも土方さんがやったんじゃないかもしれないですしねェ」
「…どういう意味だ」
ぴくりと土方の眉が動いた。沖田は物怖じせず続ける。
「誰かさんを庇って云ってるのかも、とか、ねぇ?」
土方は青筋を立てて机を叩いた。
「うっせぇな、俺がやったって云ったら俺がやったんだよ!」
自棄になったような土方の物言いに、斜め向かいの山崎が見ていられない、とばかりに顔を覆う。
「最近小便近くなってたんだよ!尿漏れとかもしてんだよ!」

「へぇ、尿漏れねぇ?」
沖田はとぼけたように首を傾げた。
「尿漏れって昼間も漏れるんですよね確か」
俺のじいちゃんは昼間っからジョロジョロしてましたよ?
沖田の語尾が笑ったようになるのに、土方は拳を握りしめた。
「俺、土方さんが尿漏れしてるとこなんざ見た事ないでさぁ」

「〜〜ッ、見てろよ、総悟ッッ」
顔を真っ赤にした土方がガタンと席を立つ。
数秒の間、に続いて、勢いの悪い水音がした。

まさか、とその場の(沖田を除く)誰もが思った。
土方のズボンの染みと、微かに昇る湯気がどうしようもなさを物語っている。
全身を震わせて、涙目の土方は直立不動だった。
土方は靴越しに ぴちゃん、と湿った感触を憶えて
気絶してしまいたい、と切実に思った。


沖田はにっこり笑うと、
「そうそう、それでこそ尿漏れでさぁ」と白い歯を見せた。


その場から最初に動いたのは山崎だった。
「と、とりあえず床拭かないと…」
身体に染みついた雑用根性が彼を動かす。食堂に添え付けてある掃除用具入れに走った。
「トシ!」
同時に、隊士に知らされて走ってきた近藤が食堂の扉を勢い込んで引く。
「どうしたんだ、トシ?!」
トシまでおもらしを?!とバレバレなセリフを呟きながら駆け寄った近藤は、屈んで無抵抗な土方のズボンと下着を脱がせた。
手ぬぐいでてきぱきと下半身を拭かれ、俯いたままだった土方が正気に返ったようにキッと顔を上げた。
小さく呻くと、そのまま走り出す。
「おい、トシ!」
土方は誰もいないところで小一時間泣きたかった。



下半身裸の土方が廊下を早足で駆け抜ける姿に、隊士達はぎょっとしながら道を空ける。
しかも半ベソだ。ありえない。
「トシ、パンツ、パンツ!!」 
その後をパンツを握りしめた近藤が追いかけていく。

「この組、大丈夫かな…」
一人がぼつりと呟いた感想は、当事者を除く組の総意だったに違いない。




「こりゃまたいいオカズになりまさぁ」
何時の間に撮ったんだそんなもの。
デジカメを覗きながら上機嫌の沖田を、山崎は脂汗をかきながら見ていた。
画面の中では土方が赤い顔をして震えている。
「…ああ、局長が寝小便さえしなければ、こんなことには…」
山崎の独り言に振り向いて、沖田が云った。
「え?近藤さんも寝小便なんてしてねぇぜ?」
「だ、だって副長は局長を庇って…」
「昨日の晩に布団に水かけといたんでさぁ。思ったより面白い事になったけどなァ」
ニタァと笑う沖田に、山崎はキリスト教徒でもないのに十字を切りたい気分になった。