潮騒


水飛沫が派手に立って、視界が白く染まる。俺はぶるぶる首を振って水を払った。
「やったな、原田!」
お返しとばかりにばしゃばしゃ水を掬えば、うおー、と野太い歓声が上がる。
片や総悟は水鉄砲のでっかいやつで、ビニールのフロートに乗っていた斎藤をふっとばし、みんなでけたけた笑う。
ビーチボールで遊んでいるやつ、ひたすら泳いでいるやつ、浜茶屋で焼そば食ってるやつと、隊士たちは思い思いに楽しんでいるようだ。
「うー、気持ちいいっ」
照りつける太陽も水の冷たさを際立たせるし、肌を撫でる潮風の匂いもテンションを上げる。
砂浜のほうに目を向ければ、海の家の二階で仏頂面をしているトシを見つけた。
「おーい、トシー」
手を振るけれども、気づいているのかいないのか、ぷいとそっぽを向かれてしまった。
「トシも泳げばいいのに。勿体ない」
永倉がゴーグルを整えながら肩を竦めた。
「せっかく局長と水入らずだったのに、俺たちが着いてきたからヘソ曲げてんでしょ」
「えー、まさかあ」

たまたまオフが重なったから、どこかに日帰りで行こうという話を部屋でしていたら総悟が乱入してきて、その上メガホンで触れまわるものだから、十数名の大所帯になった次第だ。ちょっとした慰安旅行みたいでいいじゃないかと言ったら、トシは全く面白くなさそうな顔色になった。

このまま放っておくのもなんだか気の毒だし、ご機嫌うかがいに行った方がいいのかなあ。
「ちょっと喉渇いたし、なんか飲んでくるわ」
そう声をかければ、もう疲れたのか、体力ねえな、などとからかわれた。
焼けるような砂浜を早足で駆け抜け、飛び込んだ海の家で、おばちゃんからサイダーを二本買った。ちょっとビールと迷ったが、飲んだらもう泳げなくなっちゃうもんな。
人数も人数だしで、荷物置き場にここの二階を貸し切っている。
「トシー」
ぎしぎし軋む階段を上れば、トシは部屋の一番奥、すだれの下された窓際で胡坐をかいていた。俺がわからないわけもないのに、そっぽをむいたままで煙草をふかしている。
ほれ、と瓶を差し出しても受け取る様子はない。致し方なく隣に座って、座卓の上に瓶を置いてやる。ここについてから二時間も経っていないというのに、灰皿は既に吸い殻でいっぱいになっていた。
やっと口を開いたトシは忌々しそうに言った。
「誰だ、海に行こうなんて言いだした奴は」
「そんなに厭だったのか、海」
そんなら悪いことをした。そう言い添えるとトシは、そういう訳じゃねえけど、と言葉を濁らせた。乱暴な所作で新しい煙草に火をつける。明後日のほうを睨む、しわの寄った眉間を眺めて、俺は訝しく思って尋ねた。
「何、お前、ほんとに二人で来たかったの?」
トシは煙草を取り落とし、大いに噎せた。あんまり噎せるものだから心配になって腕を伸ばせば、がばと面を上げて怒鳴ってきた。
「そんなのも聞かなきゃわかんねえのかよ!」
勢いに押されて伸ばしかけた腕を引っ込め、俺は口をぱくぱくさせた。
「そ、そりゃ悪かった」
機嫌の悪い猫みたいなトシをなだめかねて、がしがしと自分の頭をかく。
「でもあれだろ、俺たち真選組のおとんとおかんみたいなもんなんだからさ。たまには家族サービスしてやんなきゃ」
「・・・…ふん」
トシはおもむろにサイダーの瓶を取ると煽った。甘い、と呟く。
どういう原理かはわからないが、とにかくトシは機嫌が直ったようだ。長い付き合いだけども、こいつのツボは未だによくわからない。

俺もトシと並んで窓枠に肘をついた。口を噤めば耳を塞ぐ波の音。窓からは熱気をはらんだ潮風が、ときおり強く吹き付けてくる。皮膚で水滴が乾いていく感触が心地よい。
盆も過ぎた海にはクラゲも浮くしで、空いているかと思ってやってきたが実際はそうでもなく、そこそこにぎわっていた。
海の家のシャワーの利用料金が半額になっていたのも逆に好都合。この部屋だって予約してもいなかったのに取れたし。窓から外を眺めれば親子連れやカップルがそこかしこで、夏休みの最後の週を満喫している。

先ほどから少し移動したあたりに総悟たちを見つけて手を振れば、声を揃えて振り返してくる。
サイダーの飲み口を手持ち無沙汰に弄っているトシを振り返って俺は聞いた。
「泳がねえの」
「疲れるだけだからな」
そっけなく答えたトシに、俺は歯を見せて笑った。
「年取ったなぁ、お前も」
「うるせえ、あんたよりは年下だよ」
泳げないってことはないはずだ。武州にいた頃のことを思い出す。
「昔はよく水遊びしたじゃねえか」
あのころはトシの髪がまだ長くて、身体も一回り細くて。
「濡れて肌に張り付いているところなんざ色っぽくて、ちょっとドキッってしたもんだ」
「なんだそりゃ」
少し考えたような間があって、トシは自分の後ろ髪に手をやった。
「そんなら切るんじゃなかった」
口先を尖らせた横顔を見遣る。
トシの襟足をつと汗が伝い、うなじで玉になるのに目が奪われる。言葉は無意識に舌に乗っていた。
「あ、今ドキッてした」

こちらを振り向いたトシの目が見開かれ、頬が面白いぐらい真っ赤になった。つられて俺の心拍数も上がる。
おれたちはばつの悪い顔でお互いに唇を結んだ。恥ずかしい。

寄せては返す波の音が、心臓の音とオーバーラップする。なんだかフワフワしてしまった雰囲気を振り払うように、俺はつとめて明るい声を出した。
「えーと、その、」
泳ごうぜ、と手を伸ばせば、
「ああ、」
トシも上ずった声を出して、俺の手を握った。じとりと触れ合ったそれは熱くて、初めて女の子と手を握ったときみたいにどきどきした。




120825