コレジャナイケド


「ちょ、副長!」

食堂でお茶を一杯飲んだ帰り、下駄箱のほうから咎めるような山崎の声が聞こえた。
玄関の方をひょいと覗けば、足もとのふらついているトシがいた。酔っ払っているのか顔は耳元まで真っ赤だ。妙なのは小脇に抱えている何かばかでかい茶色いものだ。

「なんですかこれ!どこから持ってきちゃったんですか!」
山崎に肩を揺すられ、ひっく、としゃくりあげたトシは舌滑も悪く、こんどうさん、と俺の名を呼んだ。
呼ばれたので二人のいるすのこの上まで降りていくと、茶色い塊はなんだかもこもこしている。近くで見れば、脇に抱えているのはゴリラのぬいぐるみだった。
「ん?」
トシは訝しげに俺とぬいぐるみを交互に眺め、首をかしげた。
「近藤さんがふたり」
「あほ!」
俺は思わずトシの頭をはたいた。


どこから持ってきたのか問い詰めたけれど全く要領を得ないので、山崎とふたりがかりで部屋まで連れて行き、布団をしいて放り込んだ。
ぬいぐるみのほこりを払って布団の隣に置いた山崎が、はあ、とため息をひとつついた。
「これ、初めてじゃないんですよ」
ぼそりと小声で囁かれてたまげる。
「えええ?」
「前にも何度かあったんです、ゴリラの人形とか、風船とか、持ってきちゃうの」
なにそれ泥棒じゃん!
「そのたび返しに行くの俺なんですよ、勘弁して欲しいです」
「わかった、これは明日、俺が返しに行かせるよ」
ぼやく山崎に、俺はそう請け負った。



翌朝、トシの部屋に寄ると二日酔いだとかでまだむにゃむにゃ言っていた。
布団から出ようとしないトシの横に膝をついて、ゴリラの頭をぽんぽん叩く。
「全く、なんでこんなの持ってきちゃうのよ」
「だって近藤さんが」
「俺じゃねえじゃん!生き物ですらねーだろ」
失礼すぎるだろ。俺は肩を落とした。
「トシさ、元々ちょっと近眼ぎみだろ?悪くなったんじゃねーの?メガネ作れば」
そう進言すれば、布団から覗く眉が訝しげにひそめられる。
「あんなんかけたら動きづらくなる、戦えない」
「そんなことねーだろ。先生だってかけてたじゃん」
言った後で思わず口を押さえた。あ、やべえこれ地雷だ。
「死んでもかけねえ!」
布団を頭から被ってそっぽを向くトシに、俺は咳払いをして、できるだけ明るい声で提案した。
「じゃああれ、コンタクトはどうだ」



ゴリラのぬいぐるみの出所はトシにもわからないときた。めんどくせえ、このまま捨てようというトシを叱って、ちょうど非番だったのもあり俺も同行することにする。
致し方なく、最後に入ったというガード下の飲み屋から屯所までをしらみつぶしに訪ねて回った。繁華街のはずれでようやく、薬屋の軒先に不自然なスペースがあるのを見つけた。置いてみればサイズもぴったりだ。ここからもってきちまったらしい。
俺の手にあるゴリラを見て店から飛び出てきたおばちゃんに怒られながら二人して平謝りして、菓子折りを渡してどうにか矛先を収めてもらった。

それからあまり気乗りのしないらしいトシを誘って大きめの眼鏡屋に行く。
控えの眼科医の検診を受けさせた結果、免許の更新に必要な視力もないということが判明した。(今までどうしてたんだ?と聞いたら、勘でどうにかなる、とか言いやがった。こんなやつが運転してるとか怖え)
ハードはすぐに入ったものの痛くて目をあけていられないとすぐにギブアップ。代わりに、これなら大丈夫でしょうとソフトタイプを勧められた。
本人は否定するが目に入れるのが怖いらしく、ゆうに二十分は鏡とレンズとにらめっこした挙句店員に入れてもらった。装着した状態は違和感はあるが、悪くはないようだ。
自力で出し入れできないと意味がないととがめられたものの、ムキになったトシが大丈夫だと押し切り買ってきてしまった。



喉が渇いたので帰り際、チェーンのコーヒーショップに入った。
席の確保はトシに任せて、レジに並んで冷たいコーヒーを二つ買う。ミルクとマドラーをセルフカウンターで拾い、店内を見渡す。あれ、いない。すぐにトシの姿を捕捉できずにフロアをぐるりと走査して、階段下のガラス戸を背にした奥まった席で、ひらひら手を振っているのをみつけた。
俺はテーブルの上にプラスチックのカップを置くと、トシの向かい、ガラス戸を背にして座った。止まり木みたいな洒落た椅子。俺は体がでかいから、こういうのは狭いし落ち着きが悪い。

ミルクを入れてかき混ぜ、ストローをさす。向かいのトシはカップを手に取ろうともせず、眉間を寄せて何度も瞬きをしている。
「まだ違和感あるか?」
コーヒーをすすりつつ尋ねれば、
「なんかごろごろする」
と目元をこすろうとするので慌てて止めた。
「あ、駄目ダメ、こすっちゃ」
顔を近づけ上を向かせる。瞼をひっぱってずれていないことを確認した。
「一人で入れられるようになんねーとだめだぞ。買ったのに使えなかったら意味ないかんな」
トシは微妙に俺と目を合わさない。俺の後方の一点を凝視しているように見えたから振り向こうとすると、
「ん、なんかあった?」
「痛い」
突然トシがうつむいて、声を上げるので俺は身を乗り出した。
「ん?どうした?」
「痛い、なんか変、」
「どれ?」
ゴミが入ったのかも。顔を覗き込むと、がしりと顎を両手で捕まえられた。
「むぐっ」
身を引く間もなく口づけられて、自分がされていることを知るまでにいくばくかかかってしまった。
「な、な、なんだよ、誰かに見られたらどうす、」
ここはフロアの外れで階段の陰になっているとはいえ、少なくとも男同士でキスに及ぶような場所じゃない。ようやっと引きはがして周りをきょろきょろすれば、トシが勝ち誇ったように口元を上げるので妙に思った。
振り返ればガラスごしに通りの向こう、横断歩道を渡ってくるお妙さんと真正面から目があった。彼女はにこりと微笑みかけてくる。

「ギャアア」
跳ねるように席を立った俺は店を飛び出て、お妙さんの背中を追った。涼しい顔でいてすごい速度だ。俺は必死で回りこむ。
「ちちちちがうんですあれは」
「どうでもいいです、興味もありません」
お妙さんは歩みをちっとも止めようとせず、にこやかに応えた。
「トシが!コンタクトが!痛いって言うから!」
「知らねえよ乳繰り合ってろ」
「いやあのほんと誤解でその、ちょ、」
肩にかけようとした手首はがしりと掴まれ、
「しっつけーんだよクソゴリラが!」
俺の体は宙に浮いた。あれよという間もなく、電柱に激突してひっくり返る。
反転した視界に、遠ざかっていくお妙さんと、道の反対側からこちらに近寄ってくるトシが見えた。
「ちょ、どーすんだよ、お妙さんに見られちゃったじゃんかあ」
涙目で訴えても、トシは鼻をフンと鳴らして、見せつけてやればいいんだ、などと嘯く。やっぱりわざとだったのか。
「あんたがそんなんだから、おれは」
その先はごにょごにょとして聞き取れなかった。
「へ?」
ふいと顔をそらし、どんどん先へと行ってしまう。
「なんだよ、聞こえなかった」

とっさに受身は取ったとはいえ、コンクリに叩きつけられたダメージは相当だ。打撲の痛みに耐えつつ起き上がり、トシの後を追う。トシはおもちゃ屋の軒先で足を止めていた。

「あれ」
だしぬけに指さされた先にはゴリラのぬいぐるみがいた。俺は促されるまま手に取って、その間抜けヅラと向き合った。ニコニコしちゃってまあ。
「なに、これが俺に似てるって?」
口先を尖らせると、トシはつまらなそうな顔で言った。
「それ買え」
「え、これ?買うの?」
なんで俺が、と思ったけれど、なんだか買わなきゃいけないような雰囲気だったので大人しく財布を出した。

トシは包みも断り、レジの俺を残し先に店を出て行った。むき出しのままでゴリラ身体の前に抱える、足取りから言って相当嬉しいらしい。トシは顔に出さないまでもちょっとした所作にダダ漏れなんだよな。
大の大人がぬいぐるみを持っているのはちょっと異様だ。でもトシの機嫌が直ったようなので、まあよしとしようか。






110818